第88話 学園は一枚岩じゃない
学校を敵だと思った方が、たぶん気分は楽だ。
全部まとめて黒なら、まとめて壊せばいい。
誰を疑うか迷わなくて済む。
どこまで信じていいか悩まなくて済む。
でも現実は、そういう分かりやすさでできていなかった。
朝の職員棟前では、生徒会役員が備品運搬の指示を飛ばしていた。
校門側ではスポンサー企業の補助腕章が来訪票を見せて通っている。
風紀委員はいつも通り巡回し、教員は提出物の遅れにだけ本気でうるさい。
全部が同じ顔には見えない。
「水城、これ二階の会計に持ってって」
担任が雑に封筒を渡してくる。
「俺じゃなくてよくないですか」
「今いちばん断りづらそうな顔してるから」
「ひどい理由だな」
「ひどい担任だからな」
教室が少しだけ笑う。
その笑いの向こうで、ユラが「それはそう」と小さく乗る。
カナデは廊下側で別のクラスの巡回記録を受け取っている。
誰も繋がって見えない。
見えないくせに、裏では同じ机の上に痕が集まってくる。
会計室へ向かう途中、生徒会の前を通る。
開いた扉の向こうで、備品台帳と鍵束が見えた。
そこには悪意より、忙しさと雑さがある。
でも、その雑さの隙間から情報が抜ける。
校門側を見れば、企業補助の大人が柔らかい顔で教師と話している。
あれも全部が敵じゃない。
ただし、あの顔で拾える情報は確実にある。
風紀委員は風紀委員で、自分たちの論理で動いている。
巡回表。立入制限。提出記録。
悪意ではなく秩序のために見ている情報が、そのまま別の誰かにとって価値を持つ。
学園は一枚岩じゃない。
その当たり前が、ようやく今の形で見えた。
放課後、準備室で玲司は最初に言った。
「学園を一枚岩だと思うのはやめる」
ユラが机に頬杖をつく。
「やっと言ったね、それ」
「前から思ってたでしょ」
「思ってたけど、玲司の口から出ると重さ違うし」
カナデは紙を揃えながら聞く。
「整理するなら、最低でも三層ね」
「校内で回る情報」
「外へ売られる情報」
「それを昔から保管し直している層」
「保管っていう言い方、もう嫌な感じしかしないな」
レナが言う。
「嫌な感じで合ってる」
玲司は答えた。
「違法採掘に食いついたのは、外の線だ」
「倉庫を見たのは、中の線だ」
「でも昔の事故資料と形式が似てるなら、その下に“隠すための置き場”がある」
ミオが静かにうなずく。
「図書室の古い保管コード、そこだけ時代がずれてます」
「廃棄済み扱いの参照番号が、今の倉庫照会に似てるんです」
「普通なら、形式ごと切り替わってるはずです」
「昔から繋いでるってことか」
レナが低く聞く。
「たぶん」
ミオの声は小さい。
でも、準備室の中ではそれで十分だった。
玲司は机上の紙を順番に見た。
違法採掘。
倉庫。
昔の事故資料。
全部の顔は違う。
でも“消す”“ずらす”“残さないように置く”という発想だけは近い。
「今まで俺たちは、動いた人間を追ってた」
玲司が言う。
「でも次に追うのは、動かせる構造の方だ」
「個人より先に、仕組みを切るってことね」
カナデが言う。
「ああ」
ユラが少し真面目な顔になる。
「それってさ、逆に言うと」
「生徒会も、風紀も、教員も、スポンサーも、全部まとめて敵にしないってことだよね」
「そうだ」
玲司は即答した。
「一括で敵にしたら、見えるものまで潰れる」
「珍しく優しいこと言うじゃん」
「違う」
玲司は短く切る。
「雑に切ると、向こうの方が楽になるだけだ」
それは本音だった。
学校全部が黒だと決めつければ、隠している側はその影に紛れやすくなる。
本当に必要なのは、どこが同じで、どこが違うかを分けることだ。
レナが壁に寄りかかったまま言う。
「じゃあ、次は図書室か」
「たぶんそこが入口です」
ミオが言った。
「閉じられた側に、まだ残ってるものがあります」
「残してるのか、残っちゃってるのか」
ユラが聞く。
「そこも見ないと分かりません」
ミオは答える。
「でも、参照番号だけ残ってるのは変です」
「廃棄済みなら、そこも切れるはずなので」
準備室がまた静かになる。
違法採掘の現場に先回りした誰か。
生徒会側の備品と鍵へ触る誰か。
外へ抜ける線と、中で止まる線。
その下に、昔の事故資料へ伸びる古い保管コード。
学園は一枚岩じゃない。
だから厄介だ。
でも、一枚岩じゃないからこそ、全部を敵にせずに切り分けられる。
玲司はその夜、準備室を出る前にもう一度だけ言った。
「個人の顔を追うのは後だ」
「先に場所を追う」
「隠すための置き場があるなら、そこに昔の痕が残ってる」
カナデが短くうなずく。
「なら、次は記録庫ね」
「え、図書室のやつ?」
ユラが少しだけ口元を上げる。
「静かな後輩の本気回じゃん」
ミオは困ったように目を伏せた。
「……騒がないでください」
「そこは無理」
ユラが笑う。
「でも、足音は消す」
「あなたが言うと信用しづらいのよね」
「ひど」
その軽いやり取りが落ちたあと、玲司はふとミオを見る。
「持ってこれるか」
ミオは少しだけ考え、それから静かに答えた。
「たぶん」
「閉じられた書架の方なら」
その言い方で、もう決まった。
探すべきは、誰が流したかだけじゃない。
何を流せる構造になっているか、その方だ。
そして、その構造が昔から続いているなら。
今の密告者だけを抜いても、きっと終わらない。
図書室の閉じた側。
廃棄済み扱いのはずの保管コード。
昔の事故資料。
個人の顔より先に、場所の臭いが立ち始めていた。
次に開けるべきは、人じゃない。
鍵の向こうに残された記録の方だった。




