第83話 疑うべき相手が多すぎる
疑う相手が一人だけなら、話はむしろ単純だ。
面倒なのは、全員に少しずつ理由がある時だった。
翌朝の教室では、生徒会が文化祭会計の締めで慌ただしく動いていた。
風紀委員は巡回の追加当番表を回している。
実習補助の教師は来週の予定変更を黒板へ書き足し、協賛企業の礼状の話まで混ざってくる。
全部、普通だ。
普通の学校の、普通の忙しさだ。
「水城、これ職員室に持ってって」
担任が適当に封筒を差し出す。
「なんで俺」
「今一番手が空いてる顔してるから」
「顔で仕事振るなよ」
「仕事できそうには見えないから軽いの選んだんだよ」
教室が少し笑う。
玲司は封筒を受け取った。
こういう扱いは嫌いじゃない。
空気でいられる。
職員室前の廊下を歩きながら、玲司はすれ違う顔を見た。
生徒会役員。風紀委員。実習担当教員。外部来訪者用の札をつけた企業担当。
誰が敵でもおかしくない。
でも誰か一人に決め打ちするには、まだ薄い。
職員室で封筒を渡し、戻る途中、掲示板前で二人の女子が話していた。
「今度の実習、補助担当また変わるんだって」
「え、急に?」
「スポンサー側の立会いも増えるらしいよ」
軽い噂だ。
けれど、こういう断片が外へ流れるだけでも線になる。
放課後、準備室に集まると、机の上にはまた新しい紙が増えていた。
巡回表の写し、来訪札の返却一覧、補助担当変更の控え。
その上に、ミオが小さな付箋を一枚だけ置く。
【実習補助 直前変更 二回】
【来訪札返却遅延 三回】
【夜間立入閲覧 同日発生】
たった三行だった。
だが、会話だけで見ていたものが急に重くなる。
カナデが最初に切った。
「候補を整理するわ」
「はいはい、会議っぽくなってきた」
ユラが言うと、カナデは無視して紙を並べた。
「まず風紀委員。巡回導線と立入制限に触れられる」
「次に生徒会。予算、外部協賛、行事動線の断片を拾える」
「実習補助教員は、予定変更と現場配置に触れられる」
「企業担当は、学校の中へ合法の顔で入れる」
「全部嫌だな」
レナが言った。
「嫌、で済めば楽だったんだけど」
ユラが肩をすくめる。
ミオが端末を開いた。
「それぞれ、見ている情報が少し違います」
「風紀委員側は、夜間立入と巡回の穴」
「生徒会側は、行事経費と外部搬入」
「教員側は、実習予定と報告順」
「企業側は、来訪履歴と設備搬入」
「重なってるけど、同じじゃない」
玲司が言う。
「はい」
ミオは小さくうなずく。
「だから余計に切れません」
カナデは机の端を指で押さえた。
「誰か一人が全部を流しているなら、もっと楽だった」
「でも現実は違う」
「学校の中で情報が点ではなく帯として流れている」
「情報の市場、って感じね」
ユラが言った。
その言い方に、玲司は少しだけ目を細める。
市場。
たしかに近い。
必要な情報を持つ人間。
それを欲しがる外。
間に立って、小さく売るやつ。
利益は金だけじゃない。進路、評価、便宜、保身、義理。
どれでも人は動く。
「悪意だけじゃないわね」
カナデが淡々と続けた。
「スポンサーに恩がある人間もいる」
「立場を守りたい教員もいる」
「正義感で“怪しい動き”を流しているだけの人間も、たぶんいる」
「それが一番面倒だな」
レナが低く言う。
「裏切りじゃなくて、善意の顔して漏らすやつ」
「善意の方が切りにくいからな」
玲司は答えた。
準備室が少しだけ静まる。
疑うべき相手が多すぎる。
それは捜査の難しさだけじゃない。
敵の線引きを間違えた時、こちらが守るべき人間まで切ってしまう危険でもある。
「どうするの」
ユラが聞く。
軽く言ったが、目は軽くない。
玲司は机の紙を順に見た。
風紀委員。
生徒会。
教員。
企業。
全部を同時に疑うのは、全部に正直になるのと同じだ。
そんなことをすれば、先にこちらが読み切られる。
「絞らない」
玲司が言った。
ユラが眉を上げる。
カナデは黙って続きを待つ。
ミオは端末を閉じた。
「今は、犯人を決めない」
「代わりに、見ている窓を分ける」
「……ああ」
ユラが先に気づいたみたいに笑う。
「誰が何を見たがるか、逆に試すんだ」
「そういうこと」
カナデも静かにうなずく。
「候補が多いなら、一つの情報で釣るのは悪手ね」
「餌を分けるべきだわ」
レナが腕を組み直す。
「ようやく会議っぽい話になったな」
「最初から会議だよ」
ユラが返す。
「お前が雑談に寄せてるだけだろ」
「それも大事でしょ。自然な噂って、真面目な顔で作れないし」
その軽さに、少しだけ空気が緩む。
でも、芯は同じ場所へ向いていた。
学校の中に一つの敵がいるわけじゃない。
違う立場の人間が、違う理由で、同じ構造を助けている。
なら、狙うべきも個人一人じゃない。
どの窓がどの餌に反応するか、その構造の方だ。
玲司は最後に言った。
「明日、偽情報を流す」
準備室の空気が、そこで一段だけ締まった。
疑うべき相手が多すぎる。
だからこそ次は、正しく疑わせる番だった。




