第79話 あの時、見捨てた側
声は、忘れたつもりの場所から戻ってくる。
八代と別れたあとも、学園祭の音は変わらなかった。
校庭では呼び込みが続いている。
模擬店前では行列ができ始めている。
教室展示の案内板には、ユラの字で書かれた矢印が増えていた。
全部が今日の顔をしている。
それなのに玲司の中だけが、別の時間へ引かれていた。
――余計なことを知る学生は長生きできない
さっきの声が、頭の奥で少しずつ別の場所へ繋がっていく。
土埃。
焼けた金属。
崩れかけた支柱。
止まりかけた呼吸。
前の時間軸の、あの最後の現場。
玲司は中央棟の裏階段を下りながら、一度だけ立ち止まった。
思い出したくて思い出す記憶じゃない。
それでも、同じ声は無理やり扉をこじ開ける。
あの時、自分はまだ証拠の全部を掴んではいなかった。
でも、事故じゃないと分かるだけの線は見えていた。
だから消された。
見捨てられた。
薄暗い仮設通路の向こうで、誰かが言ったのだ。
――学生一人に構うな
――崩落側へ流せば処理できる
――見えるやつほど、事故で消えた方が綺麗だ
丁寧で、落ち着いた声だった。
怒鳴りもしない。
だから余計に残った。
その少し離れた位置で、別の男が短く返した。
――余計なことを知る学生は、長生きできない
あの時は、誰が言ったのか切れなかった。
暗くて、埃で、音も割れていた。
でも今は違う。
今なら、あの声が誰のものだったか分かる。
八代宗吾だ。
玲司は階段の手すりを握る手に、少しだけ力を込める。
犯人そのものかは、まだ切れない。
だが、見捨てた側だ。
あの場で止めず、処理側に立っていた人間の声だと分かった。
「先輩」
一つ下の踊り場から、ミオが見上げていた。
いつもの小さい声だが、少しだけ早い。
「顔、良くないです」
「……大丈夫だ」
「大丈夫じゃない人ほど、大丈夫って言います」
返しまでいつも通りだった。
だから玲司は少しだけ息を吐いた。
「場所、変える」
「裏階段は使うな。もう見られてる」
「はい」
放課後。
旧校舎側の空き教室。
時間をずらして集まった四人へ、玲司は先に今日の事実だけを置いた。
「東雲設備管理は隠れ蓑だった」
「学院内の点検名目で、黒峰が入ってる」
「接触してきたのは八代宗吾。黒峰幹部」
ユラが腕を組んだまま、真っ先に顔をしかめる。
「うわ、真っ向から来たね」
「しかも祭りの日に学校の中で」
「学院側の許可線を借りてるなら、向こうにとっては正面じゃないんでしょうね」
カナデが言う。
「制度の隙間から入ってきてる」
「配線室は?」
レナが短く問う。
「今はまだ触らせてない」
玲司が答える。
「でも目的は設備点検そのものじゃない。導線確認か、仕込みの下見だ」
ミオが端末を開く。
「名簿外の通行、結局二系統ありました」
「一つは来賓処理。もう一つは実行委補助の臨時追記です」
「学院の中で、誰かが通しやすい形に変えてます」
話は繋がる。
繋がりすぎて嫌になるくらい、綺麗に。
ユラが玲司を見る。
「で」
「さっきからそれだけじゃない顔してるよね」
玲司はすぐには返さなかった。
言い切るにはまだ根拠が薄い。
でも、自分の中ではもう薄くなかった。
「……八代の声を知ってた」
部屋の空気が少し止まる。
カナデが表情を変えないまま聞く。
「どこで」
「前の現場で」
玲司は短く切った。
「事故のあと、処理側にいた声だ」
「見捨てる側の声だった」
レナの目が鋭くなる。
「黒峰の現場か」
「ああ」
ユラの軽さが少し落ちた。
「それ、かなり深いとこまでいたやつじゃん」
「少なくとも末端じゃない」
玲司は答える。
「現場に来て、切るか残すかを決める側だ」
ミオが小さく補う。
「……去り際の台詞も同じでした」
「さっきの録音、取れてます」
「音質は良くないですけど、声紋比較なら材料になります」
カナデは数秒だけ考え、それから淡々と言った。
「なら、ようやく敵の顔が一つ見えたことになるわね」
「今までは黒峰という塊だった」
「でも今日からは、学院の中へ入ってきて、こちらを学生扱いせず、事故処理の側にいた人間として見られる」
「嬉しくない整理だな」
ユラが言う。
「でも前進ではある」
ミオが小さく続けた。
「知らない相手より、知ってる敵の方が切りやすいです」
玲司は窓の外を見る。
校庭ではまだ祭りが続いている。
明るい顔のまま、今日が終わろうとしている。
その裏で、ようやく繋がった。
死に戻り前の最後と、今目の前にいる敵が。
黒峰はただ遠い大手クランじゃない。
あの時、自分を事故の側へ流した人間たちの名前だ。
「……見捨てた側だった」
玲司が低く言うと、誰も軽くは返さなかった。
レナが壁にもたれたまま、短く吐く。
「なら、個人的にも切る理由ができたな」
「個人的だけで動くなよ」
ユラが言う。
「そういうの、玲司いちばん嫌うでしょ」
「分かってる」
玲司は即答した。
「だから整理する」
カナデが静かにうなずく。
「怨みと目標は分けるべきね」
「分ける」
玲司は言う。
「でも、切り離さない」
「今日ので、黒峰は未来の敵でも過去の敵でもあるって分かった」
その言葉は重かった。
自分で言って、ようやく形になる種類の重さだった。
ユラが少しだけ息を吐く。
「やっと名前が敵の顔になった感じ」
「最悪だけど、分かりやすくはなったね」
その時、ミオの端末が震えた。
全員の視線が向く。
「……来ました」
ミオが画面を見たまま言う。
「黒峰側の来賓動線、予定より三十分早く切り上がってます」
「でも、配線室の一時開錠記録だけ残ってます」
カナデの目が細くなる。
「接触だけして終わったわけじゃない」
「何か見たか、何か入れたか」
レナが低く言う。
玲司は画面を見る。
その時刻だけ、妙な正確さがあった。
早すぎる接触。
正確すぎる開錠。
こちらの動きを知っているみたいな引き際。
偶然では片づけにくい。
「……読まれすぎてるな」
その一言が、次の問題の輪郭になった。




