第76話 秘密が増える前触れ
綻びは、大きな事件の前に小さい顔で出る。
翌朝の教室は、ぱっと見ればいつも通りだった。
誰かが出店の売れ行きを予想し、誰かが装飾のやり直しに文句を言う。
窓際ではユラが友人たちに囲まれ、昨日の件を笑い話へ変えていた。
「いやほんと、近かっただけだって」
「むしろわたしの腕の方が被害者なんだけど」
「でも朝比奈、反応やばかったよ」
「スポーツ推薦みたいだった」
「褒められてる?」
「ねえそれ褒められてる?」
明るい。
普段通りだ。
でも、普段通りに見せようとしている分だけ、玲司には分かる。
教室の目線が少しだけ変わっていた。
露骨ではない。
ただ、二、三人だけ見る角度が違う。
空気扱いだったはずの玲司へ、“何かあるかもしれない側”の視線が半歩寄っている。
「水城」
後ろの席の男子が、何でもない調子で身を乗り出してきた。
「昨日、朝比奈に助けられてたじゃん」
「珍しく目立ったな」
「たまたまだろ」
「まあな」
男子は笑う。
「でもお前、最近そういう“たまたま”多くない?」
「冬月にもよく絡まれてるし」
雑談の温度だった。
追及ではない。
だから余計に厄介だった。
昼休み、玲司は図書室へ向かった。
逃げるためじゃない。
空気の変化を整理するためだ。
奥の席には、先にミオがいた。
閉じた本の上に端末を置き、玲司が座るのを待ってから小さく言う。
「……増えてます」
「何が」
「昨日の件を見てた人の短文です」
「掲示板と、非公式の小さいチャット」
「数は多くないですけど、“たまたま”で流せない書き方が混ざってます」
ミオは画面を少しだけ見せた。
――朝比奈、あの位置から間に合う?
――冬月も仕切るの早かった
――橘先輩まで来るの、出来すぎじゃない?
玲司は表情を変えない。
「消せるか」
「露骨なのは消せます」
ミオは首を振る。
「でも、全部は逆効果です」
「消すほど、“何かあった”って形になる」
正しい。
厄介な正しさだった。
「なら薄める」
玲司が言う。
「事故そのものの話にずらせ」
「棚脚の噛み、積み方、実行委の管理。そっちへ寄せろ」
「もう少し流してます」
ミオは端末を切り替えた。
「それと、もう一つ」
表示されたのは学園祭の協賛一覧だった。
地域商店会、食品会社、機材レンタル、探索者用品店。
学園祭らしい並びの中で、一つだけミオの指が止まる。
「ここです」
『東雲設備管理株式会社』
社名そのものは普通だ。
だが横に並ぶ連絡先の下四桁に、見覚えがあった。
以前、違法採掘現場近くの管理棟ログで見た転送先。
黒峰側の下請け回線と一部だけ一致する番号だ。
「確定ではないです」
ミオが静かに続ける。
「でも、この会社、去年の学院設備更新報告にも一回だけ出てます」
「担当区画が、違法搬出の線と少し重なってました」
玲司は画面を見たまま問う。
「それだけか」
「まだあります」
ミオは別のファイルを開く。
去年の設備更新記録。
臨時保守の申請書。
学園祭当日の搬入許可一覧。
「去年は中央棟の空調保守名目」
「今年は臨時点検名目で、一枚だけ搬入許可が出てます」
「しかも時間が早朝です」
「展示物搬入が始まる前」
さらに別紙には、備考欄の小さな文字があった。
「搬入内容、“設備資材一点”だけです」
ミオが言う。
「量のわりに、通れる区画が広すぎます」
玲司の視線が細くなる。
早朝。
人が少ない。
でも学園祭当日なら、関係者車両が入っても不自然じゃない。
しかも設備管理の名目なら、校内の裏導線へ理由つきで入れる。
「黒峰関連か」
玲司が低く言う。
「たぶん」
ミオは頷く。
「少なくとも、無関係ではないです」
「設備更新の担当区画、去年は中央棟裏配線室」
「今年の臨時点検も同じ系統です」
中央棟。
搬入口。
裏導線。
昨日まで自分たちがいた場所と、気味が悪いほど近い。
「金だけじゃないな」
玲司が言う。
「人も物も、理由つきで中へ入れる」
「しかも今は、校内の視線も少し乱れてます」
ミオの声は小さいままだった。
「綻びが出た日に、外からも入りやすくなる」
図書室の外では、誰かが笑いながら走っていった。
学園祭前の浮ついた音だ。
けれど玲司の頭の中では、別の線がもう繋がり始めていた。
昨日は学校の中で綻びが出た。
今日は学校そのものへ外の線が入った。
別々の火種に見える。
でもたぶん、そうじゃない。
向こうはもう、現場の外を見ている。
なら学園祭みたいな“人が多くて、理由つきで入り込める日”を使わない方がおかしい。
放課後、時間をずらして集まった三人にだけ、玲司は一覧と記録を見せた。
裏階段の死角。上にはミオがいる。
ユラが最初に顔をしかめる。
「うわ、最悪」
「祭りの協賛にまで混ざる?」
「協賛というより通行証ね」
カナデが資料を見ながら言う。
「金を出す口実を作って、設備名目で中へ入る」
「正面から来る分、逆に疑われにくい」
レナは一覧の社名を睨んだまま短く吐く。
「潰すか」
「まだ早い」
玲司は切る。
「まず見る」
「何を入れて、どこを見る気なのか」
「昨日の綻びの上に、これ?」
ユラが腕を組む。
「やばくない?」
「やばい」
玲司は即答した。
「だから切る順番を間違えない」
カナデが申請書の下段を指で押さえた。
「この許可、学園祭当日の午前六時二十分」
「車両番号の末尾、空欄のままよ」
「普通の業者申請なら、ここが未記入のまま通るのはおかしい」
ミオが上から小さく補足する。
「印も少し変です」
「去年の書類と比べると、承認印の角度が違う」
「急いで通したか、誰かが差し込んでます」
玲司はその一行を見たまま、浅く息を吐いた。
綻びは増えた。
しかも今度の相手は、最初から学校の中へ入る気でいる。
祭りの日。
正面から。
設備点検の顔で。
その申請書の最下段には、もう一つだけ短い追記があった。
――中央棟裏配線室 一時開錠予定
学園祭は、ただの行事では終わらない。
そう告げるには十分な一行だった。




