第73話 学園祭準備
おかしいと思ったのは、騒がしさじゃなくて名前の並びだった。
朝のホームルームが終わるなり、教室の前に学園祭準備の担当表が貼り出された。
紙が一枚増えただけで、教室の空気は妙に軽くなる。
「うわ、模擬店じゃん。当たり引いた」
「いや展示の方がラクだろ」
「中央棟の搬入はハズレだって。ずっと段ボール運ぶやつ」
そんな声が一斉に重なった。
いつもの教室なのに、もう半分くらい祭りの顔をしている。
玲司は最後列の自分の席から立つのが少し遅れた。
急いで前に行く理由がない。
どうせ、目立つ役なんて回ってこない。
「水城、見ないの?」
前の席の男子が半笑いで言う。
「どうせ地味作業だろうけど」
「たぶんな」
短く返して前へ出る。
貼り紙の前は人で詰まっていた。
覗き込む肩越しに、自分の名前だけを拾う。
中央棟一階 資材搬入口補助
水城玲司
朝比奈ユラ
冬月カナデ
橘レナ
玲司の視線が、そこで止まった。
普段なら避けられる組み合わせだった。
同じクラスの行事でも、細かい配置まではずらせる。
ずらしてきたし、ずらしてきたから今まで保っていた。
なのに今回は、同じ区域に寄りすぎている。
「え、なにこれ」
すぐ横で、明るい声が弾んだ。
朝比奈ユラが友人たちと一緒に貼り紙を見上げている。
「中央棟の搬入口って、いちばん映えないとこじゃん」
「せっかくの学園祭なのに裏口担当ってどういうこと?」
「朝比奈、逆にそっち似合わなすぎて面白い」
「リボンつけて段ボール運んでよ」
「やだよ。写真盛れないし」
ユラは肩をすくめて笑った。
「わたし、もっとキラキラした労働がよかったんだけど」
周囲もつられて笑う。
いつも通りだ。
玲司には視線すら寄越さない。
「水城くん」
反対側から、温度の低い声が落ちる。
冬月カナデだった。風紀委員の腕章をつけたまま、貼り紙の端を指で押さえている。
「前に立ち止まるなら、見終わった人から下がって」
「通路が詰まってるわ」
「……悪い」
「それと、担当表を触らないで。剥がれたら面倒だから」
必要以上に冷たい。
でも、その冷たさがちょうどいい。
周囲からは、また水城が風紀委員に小言を言われているようにしか見えない。
「冬月、容赦なっ」
「水城、どんまい」
軽い笑いが起きる。
玲司は肩をすくめて一歩下がった。
その瞬間、背後から三年の制服が雑に割り込んできた。
「どけ」
橘レナが、丸めた配置図を肩に担いだまま通り抜ける。
玲司の肩先を軽く押して壁際へ寄せ、そのまま担当表を一瞥した。
「中央棟の搬入口、今年も人足りねえのか」
「橘先輩、そっちなんですか?」
一年の女子が目を丸くする。
「実行委の雑用」
レナは面倒そうに答えた。
「祭りってのは表より裏の方が汚れるんだよ」
それだけ言って、さっさと去っていく。
格好いいとか怖いとか、周囲が勝手にざわつく。
玲司だけが、その押し方の速さを気にしていた。
立ち位置をずらすみたいに、自然すぎた。
午前中の授業は、半分くらい祭りに食われていた。
教科書は開いているのに、後ろの席では出店の売れ行きや展示の飾りつけの話が続いている。
「二年は展示だっけ?」
「うちのクラス、ダンジョン災害の歴史パネルとか言ってなかった?」
「地味すぎ」
「水城向きじゃん」
最後の一言で、何人かが笑う。
玲司は否定も肯定もしなかった。
こういう雑な認識のままの方が、学校では都合がいい。
昼休み、中央棟の搬入口へ行くと、そこはもう学園祭前の裏側の顔をしていた。
展示用パネル、模擬店の予備机、舞台装飾、紙花の入った箱。
段ボールに書かれたクラス名と矢印だけが増えていく。
「わ、ほんとに地味」
ユラが台車の取っ手に肘を乗せて言う。
「裏方ってもっと“みんなでわちゃわちゃ楽しい”感じかと思ってた」
「汗とガムテしかないんだけど」
「文句言う前に運んで」
カナデが搬入表を見ながら返す。
「その台車、二組の展示パネルよ」
「はいはい。労働でーす」
ユラは不満そうに言いながらも、ちゃっかり友人たちへ笑顔を向ける。
「ねえ誰か褒めて。わたし今すごい働いてる」
「朝比奈は写真だけ撮ってそうなのに」
「失礼。今日はちゃんと腕力担当です」
明るい掛け合いだ。
祭り前の空気としては、たぶん正しい。
その奥で、玲司は床を見ていた。
台車の車輪跡。
養生テープの貼り直し。
人の流れの割に、通路の中央だけが妙に整っている。
誰かが先に、物じゃなく人の動線を決めている。
「水城、それ重い方な」
担任が段ボールを指さす。
「余ってるなら頼む」
「分かりました」
返事をして持ち上げる。
見た目より軽い。
中身は飾り布か紙資材だろう。
その時、すぐ横でユラが小さく言った。
「それ、底抜けかけてるかも」
友人へ話しかける調子のまま、視線だけ箱に落としている。
玲司は持ち上げる角度を変えた。
底のガムテープが片側だけ浅い。
そのまま抱え直していたら抜けていた。
「朝比奈、見てた?」
近くの女子が笑う。
「見える見える」
ユラは肩をすくめる。
「こういう雑さ、いちばん事故るやつだから」
その言い方は軽い。
でも、玲司の方を見ないまま助ける癖が、少しだけ早すぎる。
さらに奥では、カナデが搬入リストと現物を照らしていた。
「番号が一つ飛んでる」
「誰が先に三年用備品を入れたの」
「冬月、また始まった」
実行委の男子が苦笑する。
「祭り前なんだから細かいことはあとで」
「祭り前だから今やるの」
カナデは顔を上げない。
「あとで崩れる方が面倒でしょう」
正論で押し切る声音は、いつも通りだった。
だから周囲も慣れて流す。
その“流され方”まで計算に入っているのが、カナデらしい。
玲司は箱を棚へ置きながら、資材置き場の端を見る。
三年の実行委向けらしい予備備品棚。
脚の一本だけが床の継ぎ目に噛んでいた。
今すぐ倒れる形じゃない。
だが、人が寄る日に限って、そういうズレは形になる。
「水城、そこ邪魔」
レナが横から来て、雑に言う。
「通路の真ん中立つな」
玲司は一歩引いた。
次の瞬間、上から降ろされた細長いパイプ束が、さっきまで玲司がいた位置へ擦れるように落ちる。
係の生徒が慌てて謝る声。
周囲は「あぶな」「今のギリじゃん」と笑って済ませる程度の騒ぎだった。
レナは振り返りもしない。
「だから邪魔だっつったろ」
「先輩それ、分かってたんですか?」
一年が聞く。
「上見りゃ分かる」
ぶっきらぼうな返事。
けれど玲司には、レナが荷物じゃなく、荷下ろし役の足運びを先に見ていたのが分かった。
庇う。
止める。
位置をずらす。
その全部が、学校では余計な癖になる。
放課後、搬入口の喧騒が少し引いた頃、玲司の端末が一度だけ震えた。
差出人表示なし。
――同じ場所に集まりすぎです
――偶然なら、出来すぎてます
――中央棟の割り振り、去年より偏ってます
ミオだ。
玲司は画面を伏せ、もう一度担当表の控えを見た。
自分たちの周囲だけ、表も裏も寄りすぎている。
学園祭はまだ始まっていない。
それでももう、距離を保つ方が難しくなっていた。
しかも誰かが、その並びそのものを見ている気配があった。




