第72話 敵もまたこちらを見る
食いつかなかった相手ほど、沈黙の中に意志が残る。
ミオの画面に出ていたのは、さっき仕込んだ三つの餌そのものじゃなかった。
それを見た側が、逆にこちらの流し方を測っている痕だった。
「どういう意味だ」
玲司が聞く。
「閲覧のあと、普段なら別の動画か掲示板に移るんです」
ミオは小さく言う。
「でも今回は、同じ時間帯にわたしたちが使った窓だけ順番に見てます」
「公開側」
「半閉鎖側」
「それから、管理照会に近いところまで」
ユラが笑いかけて、やめた。
「うわ」
「釣れたっていうか、向こうも“あれ?”ってなったやつじゃん」
「ええ」
カナデが冷静に引き取る。
「こちらの餌に反応したあとで、今度は分布そのものを見ている」
「つまり、内容じゃなく“どう置かれたか”を確認し始めた」
レナが眉を寄せる。
「面倒な相手だな」
「最初からそうだ」
玲司は短く答えた。
こちらが揺らした。
向こうは少しだけ反応した。
そして、その反応のあとで、今度は揺らし方を見返した。
雑な相手なら餌だけを食う。
慎重な相手でも、食ったあとで隠れるだけだ。
でもこいつは違う。
食う前に見る。
食ったあとで見る。
こちらの手の長さそのものを測っている。
痕跡を消す者。
その呼び名は、少しだけ足りなかったかもしれない。
「痕跡だけじゃないな」
玲司が呟く。
「向こうも、観測してる」
準備室の空気が静まる。
第45話以降、TRACEは見られる側になった。
企業経由の監視。
匿名依頼を装った観測。
救助映像の閲覧。
そこへ今回、もう一つの顔が重なった。
現場を消す技術者は、現場の外でもこちらを見ている。
「だから焼けたのね」
カナデが言う。
「現場に着く前から、こちらの見方を知っていた」
「知っていたから、消すものと残すものを選べた」
「しかも、今はこっちの揺さぶり方まで測ってる」
ユラが肩をすくめる。
「ほんと性格悪い」
ミオは画面を見たまま小さく続けた。
「でも、完全には切れてません」
「見返した順番に癖があります」
「二つ目の窓を見たあと、管理側に近い照会を一回だけ飛ばしてます」
「公開側は最後です」
「内部寄りの確認が先か」
玲司はすぐに理解した。
「公開窓より、半内部の窓を信じてる」
「つまり、向こうの基準でも“現場の残留記録”の方が重い」
「現場屋だもの」
カナデが言う。
「噂より原本側を見たがるのは自然よ」
それは小さいが、重要な情報だった。
敵の優先順位が見える。
なら、次に切る窓も決めやすい。
ユラが椅子をくるりと回した。
「じゃあ次からは、公開で煽るより半端な内部寄りの方が効く?」
「うっすい関係者っぽい匂わせとか」
「使い方次第ね」
カナデは即答した。
「でも、連発は駄目」
「今回で十分、こちらの手も見せた」
玲司は頷いた。
「次は揺さぶりじゃなく切り分けだ」
「反応した窓の外側を追う」
「どの中継が、現場側に近いかを先に掴む」
レナが立ち上がる。
「じゃあ、今日は終わりか」
「いや」
玲司は首を横に振った。
「最後に一つだけ確認する」
窓の外はもう暗い。
校舎の端、人気の薄い渡り廊下。
夜の学園は、現場ほど分かりやすくはない。
でも、今のTRACEにとってはここももう戦場の外ではなかった。
「明日からは学校も含めて見る」
玲司が言う。
「向こうがこっちの流し方を見返したなら、生活側の窓も切ってくる可能性がある」
「学園の中まで?」
ユラが聞く。
「ゼロじゃない」
「少なくとも、俺たちの行動時間と接触の薄さは、外から見れば不自然なほど揃ってる」
「現場の外を見始めた相手なら、そこにも触れる」
カナデの目がわずかに細くなる。
「第19章への入り口ね」
その言い方はしなかった。
でも、意味は近かった。
学校では他人のふり。
その鉄則は今まで以上に重くなる。
ミオが端末を閉じる。
「……向こう、最後に一つだけ残してます」
「何だ」
「見返した痕はあるのに、保存してません」
「キャッシュも薄いです」
「確認だけして、持ち帰らない見方です」
玲司は息を浅くした。
持ち帰らない。
つまり、記録を残す価値がないと思ったのか。
それとも、もう頭の中だけで十分だと思ったのか。
どちらにしても、余裕がある。
「見て、覚えて、消える相手か」
「嫌な言い方ですね」
ミオの小さな返事に、玲司は少しだけ口元を動かした。
「嫌な相手だからな」
その夜の最後、誰からともなく片づけを始めた。
机上の画面が順に暗くなる。
でも、一度見えたものは消えない。
敵は現場を消す。
敵は痕跡の意味を壊す。
そして敵は、TRACEそのものも観測している。
頭脳戦に入った。
もう、それだけは確かだった。
準備室を出る前、玲司は最後に低く言った。
「次は、読まれる前に動く」
返事は短かった。
でも、全員同じ意味で頷いていた。
その頃、どこか別の端末の向こうでも、たぶん同じように画面が閉じられていた。




