第59話 口を塞ぎに来る者たち
管理会社を名乗る人間ほど、足元を見ればだいたい嘘が分かる。
ノックのあと、扉の前に立った二人の気配は妙に静かだった。
工具箱を持っているくせに、重心がぶれない。
修理じゃない。
押し入る側の立ち方だった。
玲司は男を室内の奥へ下げる。
「窓は?」
「隣と近すぎる」
「飛べねえ」
「いい。正面は使わない」
レナが扉の横へ立つ。
共用廊下側から見えない角度だ。
ユラは廊下の照明スイッチ盤の前に移り、ミオは裏階段の音を読む。
カナデは端末で住棟の非常錠をいじっていた。
「裏階段の一階、二十秒だけ開けられる」
「そのあとは管理側の手動解除が入るわ」
「十分だ」
玲司は答える。
正面からは出ない。
出れば挟まれる。
やることは一つだ。
一瞬だけ相手のリズムを壊し、裏へ抜く。
「管理ですー」
「開けてください、確認だけなんで」
三回目の声。
その柔らかさの裏に、待つ側の余裕があった。
玲司は男へ言う。
「歩けるか」
「速くは無理だ」
「速さはいらない」
「止まるな」
男がうなずく。
ようやく、指示だけは通る顔になっていた。
玲司が指を二本立てる。
二秒後、ユラが照明を落とした。
三階の共用廊下が一気に暗くなる。
同時に、どこかの部屋で警報みたいな電子音が鳴った。
ユラが事前に共用盤へ触っていたのだろう。
漏水警報の誤作動か、住人には判別がつかない鳴り方だった。
「何だ?」
扉の外の声が初めて崩れる。
その瞬間、レナが扉を内側から半開きにして、外の男の手首だけを引いた。
短い息。
重い身体が前へ流れる。
レナは一撃で沈めない。
代わりに、押し込ませない位置で止める。
「通るぞ」
低い声。
もう一人が何かを抜く音がした。
棒状。警棒か、短いスタン。
修理道具じゃない。
玲司は男の背を押し、室内の奥にあった非常扉を開けた。
古い住棟には、住人用じゃない細い保守通路が残っていることがある。
ミオが押さえていたのはそこだった。
「右」
玲司が切る。
男がよろけながら進む。
ミオが先に入り、曲がり角の先を見て言う。
「今なら通れます」
背後で金属がぶつかる。
レナが一人を壁へ押しつけ、もう一人の突進を肩で止めた音だ。
「玲司、先」
「先輩も」
「行く」
短いやり取り。
でも十分だった。
カナデが端末越しに言う。
「一階正面、軽トラの中の一人が降りた」
「裏へ回す気よ」
「ユラ」
「分かってる」
ユラの声と同時に、外から別の騒ぎ声が上がる。
住棟前の自転車が倒れたのか、誰かが「何だよ」と大きな声を出した。
視線を散らすには、それで足りる。
裏階段へ出る。
狭い。古い。手すりが冷たい。
男の足が止まりかける。
右足がまだ痛むのだろう。
「止まるな」
玲司が支える。
「話はあとだ」
「……っ、何で」
男の声が震える。
「何でそこまで」
「今聞くな」
玲司は切った。
一階手前で、ミオが小さく言う。
「下、います」
「でも一人だけ」
「レナ先輩」
「落とす」
短い返答のあと、レナが前へ出る。
階段を半分飛ばして、下から上がってきた男の胸元へ体ごとぶつかった。
鈍い音。息が潰れる音。
次の瞬間には、相手は壁際へ押しやられていた。
「あんたら、誰の差し金だ」
レナが低く言う。
返事はない。
代わりに、相手の無線が小さく鳴る。
『回収優先、喋らせるな』
全員の空気が一瞬だけ冷える。
喋らせるな。
十分だった。
証拠としては弱くても、状況としては足りる。
玲司は男を引いて階段を下りる。
「聞いたな」
男がかすれた声で言う。
「……あいつら、本気で」
「だから先に出す」
一階の洗濯室を抜け、裏口。
外の空気は少し湿っていた。
ユラが先に出て、道の向こうを見ている。
「左は駄目。軽トラの一人が回ってる」
「右ならまだ薄い」
「右」
玲司が即断する。
カナデが走りながら言う。
「この先の防犯カメラ、十秒だけ止める」
「その間に切って」
「十分だ」
男はもう、自分から走ろうとはしなかった。
でも、引かれるだけでもなかった。
足を引きずりながら、必死に食らいついてくる。
後ろで追う音。
靴底が速い。
二人、いや三人。
レナが振り返りざまに吐き捨てる。
「玲司に触るな」
次の瞬間、後方で短い衝突音が二つ続いた。
本格的な戦闘にはしない。
足止めだけ。
逃がすための前衛だ。
ミオが路地の先を指す。
「こっち」
「退避路、一本だけ残ってます」
古い搬送路の下をくぐる細い通路。
人が並べば二人で詰まる。
だからこそ、追う側も広がれない。
玲司は男を先へ押した。
「入れ」
「お前は」
「俺が最後でいい」
男がそこで初めて振り返る。
その顔には、疑いより別のものが混じっていた。
理解だ。
少なくとも、こいつらが自分の口だけを欲しがってるわけじゃない、という理解。
背後でユラが低く言う。
「玲司、早く」
玲司は最後に路地へ入り、カナデが後ろの非常柵を落とす。
金属音。
追手の足が一瞬だけ止まる。
それだけで足りた。
十分後。
TRACEは住棟の外周を切り、別導線へ抜けていた。
男は壁に手をついたまま荒く息をしている。
レナは肩で呼吸しながらも、まだ前を向いていた。
ユラは周囲の灯りを見て、ミオは退路の音を聞いている。
カナデは端末で追跡の窓を潰していた。
誰も証言を急かさない。
その沈黙の中で、男がやっと言った。
「……あんたら、何なんだ」
玲司は短く答える。
「生き残りを、消させない側だ」
男は何も返さなかった。
でも、もう逃げる顔はしていなかった。




