第57話 生き残りの証言
死んだ扱いの人間ほど、生活の癖だけが残る。
昼休みの図書室は静かだった。
静かすぎて、ミオの端末が震える小さな音だけがよく響いた。
玲司は閉架の事故記録から目を上げる。
向かいの席にいたミオは、画面を見たまま小さく言った。
「……一人、残ってます」
「何が」
「違法採掘の件です。生き残り」
玲司の手が止まる。
違法採掘。
第七章でTRACEが踏み込んだ、あの現場だ。
証拠は持ち帰った。作業員も一人救った。だが、全体像を知っている側の人間はもう消されたか、逃げたと思っていた。
「確度は」
「高いです」
ミオは端末を少し寄せた。
画面には、いくつかの細い記録が並んでいた。
市営区画外れの簡易診療所。現金払い。偽名。足の捻挫と肩の打撲。受診日は、違法採掘の件の二日後。
さらに、日雇い探索補助の掲示板。短い書き込みが一つだけある。
――南側旧居住棟、夜勤不可。脚をやった。
「書き込み自体は消えてました。でも、魚拓が一つだけ残ってて」
ミオの説明は短い。
だが必要なことは足りていた。
「居場所は切れるか」
「たぶん」
「完全じゃないですけど、絞れます」
「診療所から徒歩圏。現金しか使ってません。通信も古い端末を一台だけ」
玲司は画面の住所候補を見た。
学園都市の外縁。低層区画に出入りする雑工や単発探索者が流れ着く、安い旧居住棟の並びだ。
正式な保護を受けない。
記録も残さない。
名前も残さない。
そういう動き方をする人間は一つしかない。
「追われてるな」
「……はい」
ミオがうなずく。
「たぶん、その人も分かってます」
「だから、病院にも行かないし、窓口にも出ない」
「でも生活の痕だけは消し切れてないです」
玲司は本を閉じた。
死んだふりじゃない。
生き残ったまま、見つからないように暮らしている。
それは証人としては厄介だ。
だが、もっと厄介なのは――そういう人間を探しているのが、自分たちだけとは限らないことだった。
「準備室」
玲司が立ち上がると、ミオもすぐに端末を閉じた。
放課後、旧校舎の準備室。
ユラは机に広げられた地図を見て、最初に眉をしかめた。
「うわ、いかにも逃げてる人が選びそうなとこ」
「古い住棟です」
「管理が甘い代わりに、人の出入りも雑です」
ミオが言う。
カナデは候補の建物番号を目で追いながら、すぐ別の点を拾った。
「雑なのはいいけれど、その分、見張る側にも向いているわね」
「出入口が少ない」
「逃げ道も限られる」
レナが壁に寄りかかったまま聞く。
「そいつ、何を見た」
「黒峰の名前です」
ミオが答えた。
「違法採掘の搬出側にいた人間が、現場でその名前を出したらしいです」
「直接見たのか、聞いただけかはまだ不明ですけど」
ユラの軽さが少し落ちる。
「充分じゃん、それ」
「向こうからしたら消す理由しかないやつ」
「だから急ぐ」
玲司は地図の一角を指で叩いた。
「ただし、確保の優先は証言じゃない」
「まず生かす」
レナが短くうなずく。
「当然だな」
「相手が喋る気あるとは限らないわよ」
カナデが淡々と言う。
「むしろ、こっちを敵側と見る可能性の方が高い」
「分かってる」
玲司は答える。
「だから、最初から全部は聞かない」
「場所の確認、危険の確認、逃がす準備。それだけでいい」
ユラが腕を組む。
「はいはい。つまり今日は“証言を取る回”じゃなくて、“まだ死んでないか確認する回”ね」
「そうだ」
玲司は即答した。
「話したがらないなら、無理に開かせない」
「でも、向こうがもう動いてるなら、説得してる時間もない」
準備室に少し沈黙が落ちる。
玲司は地図から顔を上げた。
「ミオは絞った位置の最終確認」
「カナデは住棟管理の更新と監視の有無」
「ユラは外の目。住人と通行の流れを読む」
「レナ先輩は前。接触があれば盾」
「了解」
四人の返事は短かった。
夕方。
学園都市外縁、南側旧居住棟。
そこはもう住宅というより、長く使われた作業者用の箱だった。
外壁は汚れている。階段は狭い。共用廊下には乾き切らない洗濯物と、安い消臭剤の匂いが混ざっている。
玲司は建物を見上げた瞬間に、嫌なものを一つ見つけた。
「……先に来てるな」
「何が?」
ユラがマスク越しに聞く。
「見て」
「階段の三段目だけ、泥の乾き方が違う」
正面階段の一部に、硬い靴底の泥が残っていた。
この時間帯の住人なら、もっとバラつく。立ち止まり方も一定にならない。
だがそれは違った。
上がって、止まって、また下りた痕。
迷いのない往復だった。
カナデが端末を見ながら言う。
「住棟の共用監視、昨日から一台だけ復旧してる」
「前は死んでたのに」
「都合が良すぎるな」
玲司は低く返す。
ミオがさらに小さく足した。
「候補の部屋、三階の角です」
「さっき十分だけ、窓が開きました」
「でも、人影はすぐ引いてます」
怯えている人間の動きだった。
「行く」
玲司が階段へ向かう。
レナが一歩前に出て、ユラとミオが少し距離を取る。
いつもの形だ。
ただし今回はダンジョンじゃない。廊下の角一つ、階段の踊り場一つが、全部見張りの場所になり得る。
三階。
角部屋。
玲司は扉の前で止まった。
安い金属扉。新聞受けは空。だが足元に置かれたペットボトルだけが新しい。
誰かはちゃんとここで暮らしている。
軽く二回、叩く。
反応はない。
もう一度。
今度は短く間を置いて三回。
内側で、何かがわずかに鳴った。
息を殺した気配。
動いたのは一人だけだ。
「話がある」
玲司は扉へ向けて言った。
「違法採掘の件だ」
内側の気配が、はっきり固くなる。
返事はすぐには来なかった。
代わりに、金属音が一つ鳴る。
チェーンの位置を確かめる音だった。
それから、低く掠れた男の声。
「帰れ」
「……」
「何も知らねえ」
「見てねえし、聞いてねえ」
「だから帰れ」
ユラが廊下の端で、わずかに目を細める。
カナデも何も言わない。
この拒絶が、むしろ当たりだった。
玲司は扉から離れない。
「黒峰の名前を聞いた人間を探してる」
沈黙。
次の瞬間、扉の向こうで何かがぶつかる音がした。
立ち上がりかけて、よろけた音だ。
「その名前を出すな!」
声がさっきより大きい。
怯えが先に出た声だった。
「お前ら、誰だ」
「何でそれ知ってる」
「助けに来た」
「嘘つけ」
即答だった。
「そう言って近づいてきたやつがいた」
「もう帰れ」
「次は開けねえ」
玲司は返事をしなかった。
その代わり、廊下の床を見る。
部屋の前には古い擦れが多い。
だが、その上に新しい痕が二つ重なっていた。
一つは、今この部屋の男のもの。
引きずる足。片側に体重を逃がす歩幅。
もう一つは、硬い靴底。止まる位置が正確すぎる。扉の正面じゃない。覗き穴と死角を避けた位置だ。
見に来た人間がいる。
しかも最近だ。
玲司は低く言った。
「説得に使える時間、あんまりない」
「……何だと」
「もう一度来てる」
「ここの前まで」
内側の気配が止まる。
玲司はさらに続けた。
「俺たちより先に、お前を探してるやつがいる」
それが本当かどうかを、扉の向こうの男はたぶん分かっていた。
だから次の返事は、さっきより少しだけ遅れた。
「……帰れ」
「巻き込まれたくねえなら、余計に帰れ」
玲司は扉を見たまま答える。
「それは無理だ」
「何でだよ」
「見つけた以上、放っておくと死ぬからだ」
その言葉を切ったところで、階段の下から足音がした。
軽くない。
住人の戻り方でもない。
止まる位置を知っている足音だった。
玲司は目を細める。
早い。
思っていたより、向こうも近い。
説得より先に、順番を変える必要があるかもしれなかった。




