第45話 残された監視ログ
消したつもりの痕ほど、雑な人間の本音が残る。
翌日の昼休み、玲司は図書室の奥にいた。
新聞縮刷版でも事故報告書でもない。
今日は端末だ。
表向きは、レポート用の端末を借りに来た二年の地味な生徒。
その横で、神谷ミオはいつも通り静かに返却本を棚へ戻していた。
誰が見ても、接点は薄い。
ただの利用者と図書委員。
それでいい。
「……先輩」
本を持ったまま、ミオが小さく言う。
「昨日の依頼文、完全には消えてませんでした」
玲司は端末の画面から目を離さない。
「どこに残った」
「受信箱じゃなくて、外側です。踏み台側の参照記録。閲覧した端末の癖が少しだけ」
玲司は短く打ち返す。
「持てるか」
「少しだけなら」
昼休みの図書室は、静かすぎるせいで会話が目立つ。
だから二人は、ほとんど本の話みたいな声量で話した。
ミオが端末を開く。
画面には文字列の並び。
普通の生徒が見ても意味のない数字だ。
だが玲司には、そこに順番が見えた。
送信。
受信。
開封。
消去。
それとは別に、二度だけ不自然な参照。
「これです」
ミオの指が止まる。
「依頼文を開いた時間と、少しずれてます」
「送ったやつとは別か」
「はい。しかも一回じゃないです。最初に一度。救助のあとに一度」
玲司は目を細めた。
最初に見たやつがいる。
そのあと、TRACEが実際に動いた結果を確認したやつがいる。
つまり、助けを求めた人間とは別に、最初から観測席にいた誰かがいる。
「……観測記録か」
ミオが小さくうなずいた。
「たぶん。依頼を送るためじゃなくて、誰が開いて、どう動いたかを見るための方です」
その時、図書室の入口側で椅子の脚が鳴った。
玲司は何気ない顔で本を一冊引き寄せる。
ミオも自然に立ち上がり、別の棚へ歩いた。
演技空間。
ここはそういう場所だ。
十分ほどあと。
玲司が図書室を出た時、廊下の反対側からユラの声が聞こえた。
「えー、それ提出今日だっけ?」
友人たちに囲まれて笑っている。
玲司の方なんて一度も見ない。
だが階段を下りる直前、スマホが短く震えた。
――旧校舎。いつもの。
放課後、旧校舎の準備室。
五人が揃うと、玲司は最初に言った。
「依頼文は、送信者以外にも見てるやつがいた」
ユラの表情が変わる。
「マジで?」
「二回です」
ミオが端末を机へ置いた。
「一回目は、依頼が届いてすぐ。二回目は、わたしたちが現場から戻ったあと」
カナデが画面を引き寄せる。
「送信者が自分で確認しただけ、ではないの?」
「違います」
ミオの声は静かだった。
「開き方が違います。送信側の処理じゃない。外から、結果だけ見てる方です」
レナが壁に寄りかかったまま言う。
「気持ち悪いな。救助行くかどうかだけじゃなく、終わったあとまで見てるのか」
「見てる」
玲司は即答した。
「依頼は救助要請であり、同時に餌だった。俺たちが開くか、行くか、どう戻るかを見るための」
ユラが苦く笑う。
「うわ。趣味悪。しかもちゃんと本物混ぜてくるの、最悪」
「本物だから動いた」
玲司は否定しない。
「そこは変わらない」
カナデが画面を追いながら、少しだけ眉を寄せた。
「でも妙ね。これ、学校の端末っぽくないわ」
玲司が見る。
「何が違う」
「参照の癖。学内の端末なら、もっと素直に記録が残る。これは間に何か噛ませてる」
ミオが小さく足した。
「たぶん、最初から隠す前提です」
準備室の空気が少しだけ冷えた。
学園内の協力者。
学園外の観測者。
線はまだ一本じゃない。
だが、少なくとも一つははっきりした。
こちらを見ているのは、行き当たりばったりの誰かじゃない。
玲司は机上の数字を見たまま言った。
「次は依頼文の中身じゃない。見てた側を追う」
ミオがうなずく。
「もう少し取れます。ただ、深く掘るなら冬月先輩が必要です」
カナデは端末から目を離さない。
「いいわ。癖を見れば、何を噛ませてるかくらいは分かるかもしれない」
ユラが肩をすくめた。
「はいはい、じゃあわたしは見られた時の顔担当ね」
「軽く言うな」
玲司が返すと、ユラは笑わなかった。
「軽くしないと腹立つから」
その言葉だけは本音だった。
ミオが最後に、もう一つの数字を指した。
「先輩。これも」
「何だ」
「二回目の参照、わたしたちが救助を終えてから早すぎます」
玲司の目が細くなる。
「現場の結果を、ほぼ同時に見てる?」
「はい。救助に行ったことを知ってる前提の速さです」
つまり、端末の向こう側は、現場だけを見ていたわけじゃない。
こちらの戻りまで、別の線で追っていた可能性がある。
カナデが静かに言った。
「……端末の向こう側、思ったより近いかもしれないわね」
玲司は数字の並びを見たまま、短く答えた。
「なら尚更、先に見る」
その夜、ミオの端末にはまだ細い参照痕が残っていた。
救助依頼の皮をかぶった観測記録。
その入口は確かにあった。
そして、そこから先へ進めば、今度は端末の向こう側そのものが見えるかもしれなかった。




