第36話 四人目の加入者
放課後の図書室は、昼よりずっと静かだった。
利用者はまばらで、窓の外ももう薄暗い。
貸出カウンターの灯りだけが残っていて、その周りだけ時間が遅いみたいに見える。
ミオの言葉は、その静けさの中でも妙に輪郭があった。
黙っていてほしいなら、わたしも使ってください。
玲司はすぐには答えなかった。
答えを引き延ばしたいわけじゃない。
引き受けるにしても断るにしても、この後輩がもう“何も知らない側”には戻れないと分かっていたからだ。
「使う、って言い方は嫌いだ」
やっと出た言葉がそれだった。
ミオは少しだけ目を上げる。
「じゃあ、働きます」
「言い換えの問題じゃない」
「でも、意味は同じです」
静かだが引かない。
小声なのに芯だけは薄くならない。
玲司は椅子から立ち上がった。
「場所を変える」
ミオはうなずき、本を片づけに行く。
その手つきに慌てたところがない。
たぶん、答えを急かすつもりは最初からなかったのだろう。
十分後。
旧校舎裏の小さな空き教室に、いつもの三人とミオが揃った。
最初に口を開いたのはユラだった。
「え、静かな子来た」
「朝比奈さん、声」
カナデが短く刺す。
「分かってるって」
ユラは口では軽く返しながら、ミオを観察していた。
表で派手な分、こういう時は相手を見る。
レナがいない代わりに、その役も少し担っているみたいだった。
ミオは扉の近くに立ったまま、小さく会釈する。
「神谷ミオです。一年です」
「知ってるわよ、そのくらい」
ユラが言う。
カナデは余計なことを言わない。
玲司は壁際に立ったまま、本題だけ切った。
「神谷は学内の噂と記録の偏りに気づいてる」
ユラの表情が少しだけ変わる。
「へえ」
「図書委員ルート、非公式チャット、貸出履歴、備品記録。見てる場所が多い」
「多いですね」
ミオは自分で肯定した。
「だから、たぶんもう外には置けない」
その一言で、空気が少し締まる。
カナデが先に問うた。
「どこまで知っているの」
「名前はまだです」
ミオは昨日と同じ言い方をした。
「でも、学院の中で事故の話が触られてること。影の救助班の噂が不自然に削られてること。資料や新聞の抜けがあることは見えてます」
「十分すぎるわね」
カナデが淡々と言う。
ユラは腕を組んだ。
「で、何で入りたいの」
ミオは少し考え、それから答えた。
「一人で見てても、次に消えるだけなので」
「怖くない?」
「怖いです」
即答だった。
その潔さに、ユラが少しだけ目を丸くする。
「でも、知らないふりの方が、たぶん後で困るので」
それは玲司にも分かる理屈だった。
学院の中で偏りに気づいたやつは、黙っていれば安全というわけじゃない。
むしろ、誰にも繋がっていない方が切られやすい。
「役割は」
カナデが聞く。
ミオは抱えていたノートを開いた。
中には小さな字で、日付と場所と短いメモが並んでいる。
「噂の発生場所。消えた投稿の時刻。備品記録のズレ。図書室の貸出と返却の偏り。あと、鍵の貸出です」
「鍵?」
ユラが首を傾げる。
「資料室、保管庫、倉庫。全部は追えてません。でも最近、倉庫だけ動き方が変です」
玲司はそこを聞いて、視線をノートへ落とした。
「どのくらい変だ」
「閉庫扱いの日に、鍵だけ出てます」
「誰が持った」
「そこはまだ切れてません。記録が一部だけ薄いので」
カナデの目が細くなる。
「薄い、ね。消されたんじゃなく、残し方が雑なのか」
「たぶん両方です」
ミオの答えは早かった。
「最初から全部は残してないです。でも、完全にも消してない。だから、隠すのが上手い人と、雑な人が混ざってる感じがします」
ユラが小さく吹いた。
「この子、静かなのに言うことえぐいね」
「静かな人ほど、怖い話を静かにするものよ」
カナデが返すと、ユラは肩をすくめた。
「冬月さん、それ自分にも刺さってるからね」
少しだけ空気が緩む。
その緩みの中で、玲司は決めた。
「神谷」
「はい」
「入るなら条件がある」
ミオはうなずく。
「学校では関係を見せるな。俺には話しかけない。必要なら本の受け渡しだけで済ませろ。危険だと思った時は、一人で追うな。必ず流せ」
「分かりました」
「あと、無理はするな」
その言葉だけ、少しだけ重くなった。
ミオはそこで初めて、ほんのわずかに目を瞬いた。
驚いたのかもしれない。
「……はい」
ユラがにやっとする。
「玲司、最後だけちょっと優しい」
「うるさい」
「はいはい」
カナデは短く結論を置く。
「異論はないわ。情報収集と学内監視は、今の私たちに一番足りない部分だもの」
「わたしも賛成。静かな子だけど、拾ってる場所がいい」
玲司はノートを閉じ、ミオへ返した。
「レナはもう現場で噛んでる。でも、学内導線まで共有する中核はまだ三人だ。そこに入るなら、お前が四人目になる」
ミオはその言葉を一度だけ噛みしめるみたいに黙ってから、小さく頭を下げた。
「よろしくお願いします」
その声は相変わらず小さい。
けれど、もう昨日までの図書委員の声じゃない。
学院の中で見えないものを拾う側の声だった。
解散前、玲司は最後に一つだけ確認した。
「神谷。倉庫の件、他に分かることは」
ミオは扉へ向かいかけた足を止める。
「搬入出の時刻です」
「何だ」
「事故報告書が抜けた日と、だいたい重なってます」
空き教室の空気が静かに張る。
「それと」
ミオは振り向いた。
図書室で本を渡してきた時と同じ、静かな顔のまま。
「倉庫の奥、古い記録箱がまだ残ってるはずです。廃棄済みの表示なのに、鍵だけは最近も動いてるので」
玲司は数秒、何も言わなかった。
倉庫。
古い記録。
動く鍵。
次に取るべき線が、そこでようやく一本になった。
「……分かった」
短く返すと、ミオは小さくうなずく。
学内の中核はこれで四人になった。
救助、解析、見せ方、情報。
まだ細い。
けれど、見える範囲は確実に広がった。
倉庫に隠された記録。
そこへ辿る耳が、ようやくこちら側に入ったのだから。




