第22話 救助と証拠保全
最初に揉めたのは、強さの話じゃなかった。
次の日の昼休み、玲司は購買の列に並びながら、窓の外を見ていた。
グラウンドの向こう、実習棟へ資材車が入っていく。積まれているのは補修材と簡易支柱。事故のあとに動く量としては妥当だ。妥当すぎるとも言える。
「パン取らないの?」
背後から声が落ちる。
振り向かなくてもユラだと分かった。
「取る」
「じゃあ前見なよ。観察癖出てる」
周囲から見れば、ただの何気ない会話だ。
玲司は小さく舌打ちしたくなったが、しなかった。
「朝比奈の方が近い」
「褒められた?」
「違う」
ユラは小さく笑って、そのまま列を離れた。
追わない。目でも追わない。
学校では他人のふり。それを徹底するほど、裏で揃えるべきものの重さが増す。
放課後、昨日と同じ準備室。
今日は机の上に紙が一枚置かれていた。カナデの字で、項目だけが並んでいる。
目的。
優先順位。
情報共有。
持ち出し。
失敗時の切断。
「怖い見出しあるな」
ユラが紙を覗き込んで言う。
「必要だから書いたのよ」
「切断って人間関係?」
「違うわ。導線と情報」
玲司は紙を見て、少しだけ安心した。
こういう整理を勝手に先回りしてくれるのが、カナデの強さだ。
「まず目的ね」
カナデが言う。
「私たちは何をする集まりなのか。そこが曖昧だと、次から判断がぶれる」
ユラが机に肘をつく。
「悪いことしてるやつを暴くチーム、でよくない?」
「雑すぎるわ」
「でも半分くらいそうじゃない?」
「半分ならなおさら危険よ。半分で動く組織は、残り半分で壊れる」
言い方は冷たいが、その通りだった。
玲司は壁際に立ったまま、昨日拾った外縁ダンジョン周辺の簡易図を広げる。
赤で印を付けたのは、不自然な反応が出ている地点だ。
「暴くのは結果だ」
玲司が言う。
「先にあるのは、事故を防ぐことと、人を死なせないこと」
ユラが顔を上げる。
「それ、優等生っぽくない?」
「優等生の建前じゃない」
玲司は図面の一点を指で叩いた。
「ここ。掘り方がおかしい。もし外れじゃなければ、崩落を起こすやり方だ。そうなった時、欲しいのは犯人探しより先に生き残りを引っ張る手だろ」
カナデが静かに続ける。
「でも救助だけでは終わらない。事故を防いでも、証拠が消えたら次が来る」
玲司はうなずいた。
「だから二つだ。救助と、証拠を消させないこと」
部屋の中が少しだけ静まる。
その二語は、思った以上にしっくり来た。
ユラが口元に指を当てる。
「救助班って響き、ちょっと好きかも」
「軽いわね」
「大事じゃん、響き」
「軽さも武器ではあるけど、今は本題」
カナデは紙へ書き込んでいく。
救助。
証拠保全。
その文字を見て、玲司の中で一本線が通った。
戦うためじゃない。
勝ったと名乗るためでもない。
先に見つけて、先に助けて、消される前に残す。
そのための形なら、ぶれない。
「優先順位も決める」
玲司が言う。
「人命が先。次に証拠。追跡回避はそのあと。戦うのは最後」
ユラが眉を上げる。
「勝つの、一番下なんだ」
「勝っても死んだら意味がない」
「……まあ、それはそう」
カナデも異論は挟まない。
「妥当ね。証拠保全を人命より上にすると、組織の軸が歪む」
「でもゼロにはしない」
玲司は言葉を切らずに続ける。
「次を防ぐには残さなきゃ駄目だ。だから救助した上で、取れるものは取る。その順番だけは崩さない」
ユラが少しだけ真面目な顔になる。
「玲司、それ前から決めてた?」
「決まったのは前じゃない。必要だっただけだ」
本当は前の時間軸で、もっと痛い形で知っている。
誰かを助けようとして証拠を落とせば、次で別の誰かが死ぬ。
証拠を追いすぎれば、その場の誰かが間に合わない。
だから順番がいる。
だがそこまで口にはしない。
カナデが別の項目へ指を移す。
「役割は仮でいいわね。玲司が現場判断。私が記録と解析。朝比奈さんは人の目と空気を動かす」
ユラが笑う。
「言い方、完全に便利屋」
「便利なら十分価値があるわ」
「それ褒めてる?」
「褒めているつもりよ」
玲司はそのやり取りを聞きながら、図面の端に小さく追記する。
持ち出し機材。最低限の照明。記録用端末。退避導線の共有。
「あと、学校の延長で動かない」
二人が玲司を見る。
「外に出たら、クラスとか風紀委員とかそういう顔は切る。必要以上に合わせない。判断は現場優先」
カナデは即座にうなずく。
「了解」
ユラも少し遅れて頷いた。
「分かった。じゃあ外では、ちゃんと別の顔ってことね」
「別人になる必要はない。ただ、日常の続きで動くな」
「思ったより難しいこと言うなあ」
「難しいから、最初に決める」
準備室の窓の外で、部活帰りの生徒たちが笑っている。
普通の放課後だ。
その普通の裏で、玲司たちは自分たちの優先順位を決めていた。
ユラが紙の真ん中を指で叩く。
「でもさ、ここまで決めるなら、さすがに呼び方いるくない?」
「呼び方?」
「この集まりの。毎回“あれ”とか“例のやつ”って言うの、不便じゃん」
カナデが視線を落とす。
「……確かに、管理上は不便ね」
玲司は少しだけ黙った。
まだ早い気もした。名前がつくと、形が固定される。
固定されれば、痕になる。
だが、何も持たないまま動くのも危うい。
「仮でいい」
玲司が言う。
「必要なら付ける」
ユラの目が少しだけ光る。
「じゃ、次までに考えとこうよ。こういうの、ちょっと楽しいし」
「遊びじゃないって昨日言っただろ」
「分かってるって。でも、真面目なものほどちゃんと名前あった方が強いじゃん」
その言葉に、カナデが珍しく即答しなかった。
代わりに、紙の上の二語を見ている。
救助。
証拠保全。
やがて彼女は小さく言った。
「……痕跡を追う側、なのよね。私たちは」
玲司が顔を上げる。
カナデはそれ以上続けなかった。
だが、その視線はすでに次の言葉を探しているように見えた。
名前の輪郭だけが、先に部屋の中へ入ってきていた。




