第21話 名前のないチーム
おかしいのは、証拠が消えたことより、そのあと何も起きないことだった。
次の日の蒼栄学院は、拍子抜けするほど普通だった。
一昨日まで小さな事故が続いていた訓練区画も、昨日の現場も、教員側の説明では「設備確認済み」で終わっている。注意喚起の紙が一枚増えただけで、空気はすぐ元に戻った。
誰も騒がない。
だからこそ、玲司には不自然だった。
隠したい側は、隠したあとに少しだけ雑になる。
慌てて帳尻を合わせた痕は、静かな方が見えやすい。
午前の移動教室で、玲司は廊下の掲示板を横目で見た。
訓練区画Bの使用再開通知。押印の位置がずれている。確認担当の欄だけ新しい。昨日のうちに差し替えた紙だ。
「水城、見てどうすんの。それ」
横から軽い声が飛ぶ。
ユラだった。
玲司は振り向かない。
「別に」
「ふーん。じゃ、ただの掲示板好きなんだ」
周囲にはクラスメイトがいる。
ユラもそれを分かっているから、声は明るい。雑談の顔だ。玲司にだけ通じる深さは、そこに混ぜない。
「朝比奈、遅れるよー」
「今行くー」
ユラはすぐ輪に戻った。
そのまま一度も振り返らない。
学校では他人のふり。
昨日決めたばかりのルールは、思った以上にうまく機能していた。
放課後、玲司が向かったのは旧実験棟の端にある準備室だった。
使われていない机が二つ、壁際に寄せられているだけの狭い部屋。窓は小さい。外からは見えにくいが、完全に閉じてはいない。こういう場所の方がいい。密室は逆に目立つ。
先に来ていたのはカナデだった。
鞄を机に置き、端末を開いている。
「二分遅いわ」
「誤差だろ」
「そういう雑さで綻ぶのよ」
いつも通りの冷えた声だ。
ただ、その言い方はもう敵側のものではない。
数秒後、ユラが入ってきた。
ドアを閉める前に廊下を一度見て、それから中へ滑り込む。
「お待たせ。ちゃんと別ルートで来たから褒めて」
「褒めない」
「玲司、最近ちょっと辛口強くない?」
「前からだ」
ユラは肩をすくめ、窓側へ寄った。
それぞれ立つ位置まで自然に散る。こういう無駄のなさは、昨日までの関係ならなかった。
カナデが端末を回す。
画面には昨日の訓練区画の使用記録と、設備点検の更新ログが並んでいた。
「やはり変ね。事故報告の修正が早すぎる。しかも現場写真の保存番号が飛んでいる」
「削ったのか」
「少なくとも、抜け落ちているわ。偶然とは思えない」
ユラが机の端に腰を預ける。
「教師が証拠だけ持ってった件、やっぱ重いよね。あれ、隠すものがある動きだったし」
玲司は短くうなずいた。
事故を防げたこと自体は小さい。
だが、起きなかった事故の現場から、証拠だけを先に回収する人間がいる。
それが分かった意味は大きかった。
「学園の中だけ見てても足りない」
玲司が言う。
「昨日の教師の動き、処理が慣れてた。あれ一人じゃない。外と繋がってる」
カナデが視線を上げる。
「私もそう思う。訓練区画の資材番号に、学外搬入の記録が混じっていたわ。表の帳簿とは合わない」
「うわ。もう普通に嫌な匂いしかしないんだけど」
ユラの声は軽いが、目は笑っていない。
玲司は壁にもたれたまま考える。
今の自分たちは、ただ秘密を共有しているだけの三人だ。
たまたま同じ違和感を見て、たまたま利害が噛み合っているだけ。
だが、それでは足りない。
事故を防ぐ。
証拠を残す。
そのたびに個人で動けば、痕が散る。誰かが失敗した時に切り離せない。次の現場で一人でも遅れれば、全部崩れる。
「継続して動くなら、形がいる」
玲司の言葉に、ユラが首をかしげた。
「形?」
「ただの内緒話じゃなくて、役割と手順」
カナデが先に理解する。
「組織、ということね」
その言い方に、部屋の空気が少しだけ変わった。
ユラが笑う。
でも、茶化し切らない。
「え、なに。急にそれっぽい話になってきた」
「それっぽくじゃない。そうしないと次で終わる」
玲司は机の上の更新ログを指で叩く。
「現場を見るやつ。記録を洗うやつ。人の目を動かせるやつ。今はたまたま噛み合ってる。でも、このまま個人で動いたら、どこかで潰される」
カナデは数秒だけ黙り、それから小さくうなずいた。
「合理的だわ。学校で無関係を装う以上、裏では逆に線を明確にした方がいい」
「ルール作る感じ?」
「最低限は必要」
ユラは少し考えてから言った。
「じゃあ、もう“たまたま協力してる三人”じゃないんだ」
玲司は即答しなかった。
ただ、昨日の現場で証拠を持ち去った教師の手つきが、頭に残っていた。
向こうは慣れている。
なら、こっちも慣れていくしかない。
「名前はまだいらない」
玲司は言う。
「でも、次に動く時からは役割で動く。学校では他人。外では目的優先。それだけは揃える」
カナデが端末を閉じる。
「了解したわ。ならまず、次の現場を決めましょう」
ユラが眉を上げた。
「もうあるの?」
玲司は窓の外を見た。
夕方の校舎は、どこまでも普通だ。
その普通の裏に、昨日みたいな処理が走っている。
「学園外だ」
そう言うと、二人の表情がわずかに引き締まった。
「校内だけ追っても、回収役しか見えない。元を見に行く」
「どこを?」
「低危険度の外縁ダンジョン。最近、不自然な魔力反応が出てる」
カナデがすぐ端末を開き直す。
「公表されていない小規模異常ね。どうして知っているの」
玲司は短く答えた。
「昨日の資材番号だ。搬入元の一つが、その区域の管理会社だった」
ユラが小さく息をのむ。
「うわ。繋がってんじゃん」
「まだ線が細いだけだ」
玲司は扉へ向き直る。
「細いうちに拾う。そうしないと、また消される」
準備室の中が静かになる。
三人とも、もう昨日までの延長じゃないと分かっていた。
そして玲司は、ようやく口にした。
「次からは、本当にチームとして動く」
その言葉が落ちたあと、廊下の向こうでチャイムが鳴った。
放課後の終わりを告げる音だった。
だが玲司には、始まりの方に聞こえた。
翌日、最初に決めるべきは、何を優先する組織なのかだった。




