第18話 小さな事故を潰せ
おかしいと思ったのは、音より先に並び方だった。
基礎搬送実習用の訓練区画。
床は平坦で、危険度も低い。重い資材箱をラックに積み、決められた導線を運ぶだけの、地味な授業だ。
だからこそ、事故が起きても軽く処理されやすい。
玲司は列の後方で、前に置かれた二台の搬送ラックを見た。
右側の車輪だけが、わずかに内へ噛んでいる。
見た目では分からない程度。
だが荷重がかかれば、曲がる瞬間に片側へ流れる。
さらに悪いのは、ラック側面の補助バーだ。
固定ボルトの頭に、新しい擦れがある。
一度外して戻した痕。
「水城、ぼさっとすんなよ」
前の男子が振り返る。
玲司はいつも通り、気のない顔で肩をすくめた。
「分かってる」
気にしていないように見せて、視線だけ動かす。
教師は実習表を確認している。
区画の出入口付近では、風紀委員腕章をつけたカナデが何かを話していた。
おそらく機材申請の番号照合だ。
あいつはああいう顔をしている時が一番厄介だ。
正面から揉めているように見えないまま、進行だけを遅らせられる。
もう一人は、列の前方にいた。
「ちょ、待って。その並び、映えないって」
朝比奈ユラが、いつもの軽さで笑っている。
搬送前の記念動画でも撮る気らしい。
友人たちが「何それ」と笑いながら、自然に立ち位置を変えた。
それで十分だった。
本来なら、事故に巻き込まれる位置にいた三人が外れる。
玲司は呼吸を浅くする。
いい。
ここまでは予定通りだ。
「実習開始まで少し待ちなさい」
カナデの声が区画に通る。
「搬送ラックの申請番号と配置が一致していないわ」
教師が面倒そうに振り返った。
「冬月、授業中だぞ」
「だから確認しているんです。番号が違うまま使って、後から記録がずれる方が面倒でしょう」
言い方が正しい。
正しすぎて、教師も即座には切れない。
数十秒。
その数十秒で、玲司は列から半歩だけ外れ、ラックの横を通った。
さりげなく足先で車輪を見る。
軸が甘い。
しかも補助バーの留め具も片側だけ浅い。
故障じゃない。
調整だ。
「水城、どこ行くの?」
同級生の声。
玲司は振り向かずに返す。
「手袋落とした」
しゃがむ。
拾うふりで、車輪脇の小さな金属片を指先で抜いた。
薄い削り板みたいなものだった。
挟めば進行がわずかに狂う。
抜けば、少なくとも横流れは薄くなる。
だが補助バーの方は駄目だ。
荷重がかかれば、まだ落ちる。
玲司は立ち上がった。
その時、ユラが前方でわざとらしく声を上げる。
「え、見て。これ絶対こっちの方が早くない?」
また人が動く。
前列の位置がずれる。
事故の中心が、少し空く。
教師が苛立ち混じりに言う。
「朝比奈、遊ぶな」
「遊んでませんって。効率の話」
口ではそう言いながら、ユラはすでに一歩下がっていた。
自分は危険域に入らない位置だ。
カナデが端末を見たまま言う。
「確認終わりました。どうぞ」
教師が舌打ちを飲み込み、合図を出す。
実習が始まった。
一台目が動く。
問題なし。
二台目。
例のラックが荷重を乗せて前へ出る。
玲司には、崩れ方が先に見えた。
左へ微流れ。
補助バーが外れる。
最前列の肩へ角が落ちる。
「そこ、少し離れろ」
玲司が低く言う。
前の男子が「は?」と振り向いた直後、補助バーが外れた。
金属音。
短い悲鳴。
だが人はいない。
バーは床を叩き、箱の一つが横へ崩れただけで止まった。
二歩離れていた女子生徒が息を呑む。
肩を押さえる必要もない。ただ、驚いただけだ。
教師が駆け寄る。
「全員下がれ!」
その声より早く、玲司は落ちたバーの接続部を見た。
ネジ山が削られている。
工具でやった痕だ。
自然に緩んだ形じゃない。
「大丈夫? 誰か当たった?」
ユラが前へ出そうな顔をして、でも出すぎない距離で止まる。
カナデは教師の死角から、落下位置と時刻を端末に打ち込んでいた。
いい。
軽傷でさえない。
事故は潰せた。
そのはずだった。
「……早いな」
玲司が呟いた。
区画奥の扉から、実習補助教員がすぐに入ってくる。
あまりに早い。
音を聞いて来た速度じゃない。
男は生徒の安否より先に、落ちた補助バーの根元へしゃがみ込んだ。
視線が、怪我人じゃなく接続部へ落ちる。
拾う場所まで決まっている動きだった。
玲司の背中が冷える。
教師は補助バーを持ち上げながら、「設備の不具合だな」と言った。
その言い方は、もう結論を置いている声だった。
カナデが小さく目を細める。
ユラの笑顔も、一瞬だけ薄くなる。
玲司は何も言わない。
言えば、ここで終わる。
だがもう一つだけ、はっきりしたことがある。
防いだだけでは足りない。
こいつらは、そのあとに残るものを先に回収しに来る。




