第17話 三人目の放課後
先にいたのは、二人だった。
旧校舎側の渡り廊下は、夕方になると人が薄い。
ガラスの向こうに運動部の掛け声が流れているのに、ここだけ温度が違った。
冬月カナデが、いつもの乱れない姿で立っている。
その少し手前の壁際には、朝比奈ユラまでいた。
玲司は足を止めた。
「……どういうつもりだ」
先に答えたのはユラだった。
「それ、こっちの台詞なんだけど。わたしも来たら、いたんだよね。風紀委員さまが」
「私が呼んだのよ」
カナデは平坦に言った。
「あなた一人と話すより、その方が早いと思っただけ」
玲司は眉を寄せる。
「朝比奈まで巻き込む理由はないだろ」
「もう巻き込まれているでしょう」
即答だった。
「少なくとも朝比奈さんは、あなたの周辺で起きた小事故を“偶然”で処理していない。違う?」
ユラが少しだけ目を細める。
「……観察力あるね、冬月さん」
「あなたほど見せ方は上手くないけれど」
軽くもない会話だった。
けれど、露骨に刺し合ってもいない。
玲司は二人の距離を見た。
仲が良いわけでもない。信頼もない。ただ、互いに無視しきれないだけだ。
一番面倒な組み合わせだった。
カナデが先に口を開く。
「話を整理するわ。水城くんは最近、実習関連の旧記録ばかり追っている。しかも、事故が起きる前から動いていたように見える場面がある」
「見える、ね」
「断定していないだけよ」
「じゃあ何をしたい」
「確認。取引。必要なら協力」
カナデはそこで一拍置いた。
「私も、記録の歪みを見つけたから」
渡り廊下を抜ける風が、窓を小さく鳴らした。
玲司は表情を崩さない。
だが、内心の警戒は少しだけ変わる。
「どの歪みだ」
「先週の訓練区画B。設備不良で処理された件」
ユラが壁から背を離した。
「やっぱあれ、変だったんだ」
「事故報告の更新時刻が早すぎたの。現場確認より先に文面の雛形が入っていた。普通ならあり得ない」
「雛形?」
「“軽微な設備不良につき注意喚起のみで終了”という文言が、かなり早い段階で置かれていた。つまり、そう処理する前提で動いていた人間がいる」
玲司は目を細めた。
自分が見た欠損。
消された記録。
一時停止指示の痕。
別々に見えていたものが、少しずつ一本に寄ってくる。
ユラが首を傾げる。
「じゃあ何。ほんとに隠してるやつがいるってこと?」
「可能性は高いわ」
「学園の中に?」
「外だけでこんな処理速度は出ないでしょうね」
玲司は二人を順に見た。
片方は映像から違和感を拾う。
片方は記録の整合性から歪みを拾う。
どちらも、放っておくには危うい。
同時に、使えれば早い。
「……俺からも一つだけ確認する」
玲司が言うと、二人の視線が揃った。
「お前ら、何が欲しい」
ユラは少しだけ笑う。
「欲しいもの? 雑だなあ」
「質問に答えろ」
「わたしは、知らないまま終わるのが嫌なだけ。あと、助けられた借りを借りのままにしたくない」
軽い声のまま、芯だけが残る言い方だった。
カナデは迷わない。
「私は、隠されている記録をそのままにしたくない。事故を“なかったこと”にする側がいるなら、見過ごせないだけ」
玲司は黙った。
どちらも、完全には信じられない。
だが、私欲だけで寄ってきている感じでもなかった。
一人で動けば、痕は減る。
その代わり、見落としも増える。
もうそれで足りる段階じゃない。
それは、自分が一番分かっていた。
「取引なら、条件がある」
「はいはい、絶対重いやつ」
「朝比奈」
「聞いてるって」
玲司は窓の外へ一度だけ視線を流した。
空の色が落ち切る前に、決める。
「俺が読む。冬月は記録を見る。朝比奈は人の流れと、見え方を触れ」
「役割分担ってこと?」
「仮だ。次で使えないなら終わりにする」
カナデが静かに問う。
「次、何があるの」
玲司は手元の実習予定表を出した。
折り目だらけの紙の一点を指で叩く。
「明日の搬送実習」
ユラが覗き込む。
「え、また?」
「軽傷で済む。たぶん腕か肩。だから表では大した事故にならない」
「でも起きる」
「起きる」
カナデの目が細くなる。
「根拠は?」
「搬送ラックの交換時期が不自然にずれてる。訓練導線も、いつもより詰まる配置だ」
「……見てきたのね」
「見た」
本当は、それだけじゃない。
床の擦り傷も、金具の癖も、動かされる順番も見えている。
だが全部は言わない。
ユラが口元に指を当てた。
「で、どう潰す?」
玲司は短く言った。
「人をずらす。記録を押さえる。現場は俺が見る」
カナデがうなずく。
「分かった。私は機材申請と点検記録を見る」
「わたしは?」
「明日の前列、あそこに集まりやすい連中を動かせ」
「雑談で?」
「お前の得意なやり方で」
ユラは少しだけ笑った。
「それ、初めて褒めた?」
「褒めてない」
「はいはい」
軽い返事。
だが、逃げなかった。
三人の間に、まだ信頼はない。
あるのは、必要だけだった。
それでも、前に進むには十分だった。
玲司は予定表をたたむ。
「明日、事故を潰す」
そう言った直後、頭の奥で細い違和感が走る。
搬送ラック。
遅らせた点検。
詰まる導線。
それともう一つ――事故のあとに、真っ先に動く大人の影。
玲司は視線を落とした。
防ぐだけでは終わらない。
明日はたぶん、その先まで見ることになる。




