第14話 風紀委員はよく見ている
冬月カナデは、目立つタイプではない。
いや、正確には逆だ。
目立たないことで目立つ。
姿勢が崩れない。
制服が乱れない。
誰かを注意していても声は上げない。
それでも、近くにいるだけで空気が少し締まる。
そういうやつだった。
翌朝、玲司が教室に入ると、窓際の輪ではもう朝比奈ユラが笑っていた。
友人二人に囲まれ、昨日見た動画のことなんて一欠片も匂わせない顔で。
笑い方も、声の抜き方も、全部いつも通りだ。
「おはよー」
誰にともなく飛ぶユラの声に、何人かが曖昧に返す。
玲司はいつも通り、その輪の少し外を通って自分の席へ向かった。
「水城、お前また寝不足?」
前の席の男子が振り向く。
「顔、昨日より死んでるぞ」
「失礼だな」
「褒めてないって」
「知ってる」
「ていうかその反応できるなら、まだ生きてるか」
「残念だったな」
そこで周囲が少し笑う。
玲司が返すと、それだけで妙に珍しいらしい。
「え、今のちょっとおもしろくない?」
「水城って喋れたんだ」
「ひど」
輪の向こうからユラの声が混ざる。
軽い。明るい。
けれど玲司の方は見ない。
見ないのに、見ていない感じがしない。
学校は演技空間だ。
それを昨日よりはっきり思う。
普通の教室。普通の雑談。普通の距離。
その中で、知っていることだけが少しずれている。
一時間目と二時間目の間、廊下へ出ると、風紀委員の巡回列が通り過ぎた。
その中に冬月カナデがいる。
黒髪をきっちりまとめ、無駄のない足取りで前を見る。
ただ歩いているだけだ。
なのに、列が教室前を横切る一瞬だけ、カナデの視線が室内をなぞる。
玲司の席の位置で、ほんのわずかに止まった。
気のせいかもしれない。
そう思えたら楽だが、たぶん違う。
昼休み。
玲司はあえて購買へ行かなかった。
人の多い場所で偶然を増やすより、静かな廊下で誰が追ってくるかを見たい。
遠回りの廊下を選び、旧校舎寄りの棟へ足を向ける。
途中、自販機の前で一年生がジュースを取り合っていた。
「それ最後じゃん!」
「先に手出したの俺だし」
「いや見てたから!」
どうでもいい言い争い。
そういう普通の音が、逆に緊張を浮かせる。
曲がり角を二つ抜けたところで、前方から冬月カナデが来た。
偶然にしては、昨日と位置が近すぎる。
玲司が脇を抜けようとした瞬間、カナデが止まる。
「廊下での歩きスマホは禁止よ」
玲司は一瞬だけ眉を動かした。
スマホはポケットにしまっている。
「使ってないけど」
「今は、ね」
返しが速い。
冷たい声なのに、必要以上の感情は乗っていない。
周囲には数人の生徒がいる。
ここで長く話すのは得策じゃない。
「風紀委員って、未来でも見るのか」
「見える範囲だけで十分よ」
それだけ言って、カナデは先へ進んだ。
ただの牽制。
それだけのはずなのに、玲司の中には嫌な引っかかりが残る。
見える範囲だけで十分。
あれは冗談じゃない。
あいつは本気で、見える情報だけで人を詰めるタイプだ。
教室へ戻ると、今度はユラが席の近くにいた。
正確には、玲司の前の席のやつと話しているだけだ。
けれど距離が近い。
「え、水城にプリント渡しといてって先生に言われたんだけど」
「本人そこいるじゃん」
「今それ言う?」
そう言ってユラが振り向く。
玲司と目が合う。
「はい、これ。提出期限、今日の放課後までだって」
ごく普通のやり取りだ。
ごく普通の顔だ。
けれど紙を渡す指先だけ、少しだけ丁寧だった。
玲司は無言で受け取る。
「ありがと」
「どーいたしまして」
軽い返事。
それだけで終わる。
周囲から見れば、ただのクラスメイトの距離だ。
だがユラは去り際、誰にも聞こえないくらいの声で一言だけ落とした。
「今日、顔かたすぎ」
玲司は反応しなかった。
その一言を聞いた前の席の男子が、不思議そうに首をかしげる。
「今なんか言った?」
「べつにー。水城、今日ずっと難しい顔だなって思っただけ」
「いつもじゃん」
「まあね」
その軽さで、空気はまた普段に戻る。
午後の授業が終わりに近づくころ、玲司はようやくはっきり分かった。
ユラは“普通に振る舞う”のがうまい。
そしてカナデは“普通の中の不自然”を拾うのがうまい。
相性が最悪だ。
放課後前の短い休み時間、玲司は教務端末のある棟へ向かった。
昨日見つけた欠損履歴を、別の経路から確認するためだ。
閲覧申請の端末を開き、事故報告、点検表、補助教員配置の関連番号を順に追う。
すると、一つだけ出てきた。
訓練区画B――資材移動補助・一時停止指示。
記録そのものは開けない。
権限不足。
だが、件名だけが履歴の断片に残っている。
玲司の喉がわずかに詰まる。
やはりあった。
事故と事故報告の間に、一時停止指示が存在していた。
つまり、誰かは事前に止める理由を持っていた。
それでも事故は起きた。
止めなかったのか、止めたことをなかったことにしたのか――どちらにせよ、意図がある。
玲司は画面を閉じた。
それ以上追えば、逆に痕が残る。
端末室を出ると、廊下はもう夕方の色だった。
窓際に伸びた光の中、壁に寄りかかるでもなく、まっすぐ立っている影がある。
冬月カナデだ。
「閲覧申請、最近ずいぶん偏ってるわね」
玲司は表情を動かさない。
「風紀委員って、そこまで見るのか」
「見る必要があるなら」
「俺が何見ようが、校則違反じゃないだろ」
「内容次第ではね」
カナデの声は平坦だった。
怒っているわけでも、脅しているわけでもない。
ただ、確認している。
それが一番厄介だ。
「あなた、最近ずいぶん妙な動きをしているわね」
玲司は答えない。
「資料室。端末室。実習関連の旧記録。偶然にしては回数が多い」
「調べものだよ」
「何を?」
「自由研究」
「面白くない冗談ね」
即答だった。
廊下の向こうでは、部活へ向かう生徒が笑って通り過ぎていく。
ここだけ妙に温度が低い。
カナデは一歩だけ近づくでもなく、ただ言った。
「今ここで続きをする気はないわ」
そう言って、玲司の横を通り過ぎる。
すれ違いざまに、声だけが落ちた。
「放課後、旧校舎側の渡り廊下に来なさい」
玲司は振り向かなかった。
「断ったら?」
「別にかまわない」
足音が止まる。
「その場合は、私が持っている違和感だけで続きを組み立てる」
脅しではない。
ただの事実みたいな言い方だった。
玲司が何も返さないままいると、カナデは最後に一言だけ残した。
「あなた、何を知ってるの」
その問いだけが、妙に冷たく背中に残った。




