第13話 残されていた改ざん
一件だけ、履歴が欠けていた。
点検実施の記録はある。
事故報告の追記もある。
なのに、その間にあるはずの更新だけが消えている。
玲司は校内端末の画面を見たまま、指を止めた。
雑な削除ではない。
“最初からそうだった”ように見せる消し方だ。
もし単なる実習ミスなら、ここまで丁寧に消す必要はない。
消されたのは、ミスそのものではなく、ミスの前にあった何かだ。
玲司はもう一度、更新時刻の並びを見直した。
端末側の一覧では、一四時一二分の点検記録から一四時二八分の事故報告へ飛んでいる。
間の十数分だけが、不自然に真っ白だった。
空白は痕跡だ。
何もないんじゃない。消された結果、何もない形になっている。
玲司は画面を閉じた。
ここで長く粘るのはまずい。校内端末の閲覧履歴だって、見ようと思えば見られる。
必要なのは、端末の外に残ったものだ。
教務棟を出ると、夕方前の廊下は妙に明るかった。
吹き抜けの階段で誰かが騒いでいて、購買袋を下げた一年が走り抜ける。
教室からは笑い声が漏れている。
いつもの学校だ。
だからこそ、裏で記録が抜かれているのが気味悪い。
玲司はわざと歩幅を緩めた。
急いでいるように見せないためだ。
ただの寄り道、ただの調べもの。そう見える速度に落とす。
資料室の前では、文化祭準備の段ボールが壁際に積まれていた。
持ち込みリストの紙が半分はがれ、ガムテープの端だけが浮いている。
そういう雑さのある場所だから、逆に丁寧に消された改ざんは浮く。
中に入ると、紙とインクの古い匂いがした。
司書補助の女子生徒がカウンターで台帳をつけている。
玲司は軽く会釈だけして、奥の実習関係資料の棚へ向かった。
校内実習・訓練区画B。
点検報告。
資材搬入記録。
一時封鎖申請。
補助教員配置表。
年度別に並んだ背表紙を一冊ずつ引き出し、玲司は机の端へ積んでいく。
急がない。
だが迷いもない。
前の時間軸で、何度も見た。
大きな事故の前には、必ず小さな処理の速さがある。
報告が妙に早い。
配置変更の理由が薄い。
申請記録が綺麗すぎる。
単体なら通る。並ぶと臭う。
紙をめくるたび、違和感が増えた。
綴じ順が妙だった。
本来なら通し番号で並ぶはずの用紙が、一枚だけ飛んでいる。
前後の穴の位置は同じなのに、紙のへたり方だけが違う。
途中で抜いて、綴じ直した跡だ。
玲司は指先を止める。
端末だけじゃない。
紙側まで手を入れている。
しかも、抜かれたのは事故報告じゃない。
その前の、現場の扱いを決めるための記録だ。
一時封鎖申請か、搬入制限か、補助記録の追加か。
どれにせよ、あの事故が“ただの設備不良ではなかった”ことを示す紙だったはずだ。
「……やっぱりか」
小さくこぼした声は、紙の匂いに吸われて消えた。
その時、資料室の入口側で扉が鳴った。
玲司は反射でファイルを閉じる。
だが入ってきたのは教師ではなく、司書補助の生徒だった。
返却棚を整えるだけらしい。こちらを気にする様子もない。
玲司は何気ない顔で別の冊子へ手を伸ばす。
事故報告だけを追っていると目立つ。だから閲覧の痕を混ぜるなら、周辺資料も見るしかない。
搬送ルート図。
訓練区画の月次点検表。
実習補助教員の配置表。
配置表の端に、赤い訂正印が残っていた。
事故当日の補助担当は、直前で一人入れ替わっている。
玲司の視線が止まる。
理由欄は空白。
代行扱い。
承認印だけある。
そこまで見た瞬間、背筋に薄い寒気が走った。
前の時間軸でも、大事故の前には必ず“理由のない配置変更”があった。
欠員補充。急用。代行。調整。
どれも表向きは自然だが、痕跡を重ねると妙に偏る。
偶然じゃない。
少なくとも、自分の中ではもうそう切れない。
玲司は配置表の番号を頭に入れ、別のファイルへ移った。
今度は資材搬入記録。
日付、搬入時刻、立会者、保管庫キーの使用回数。
そこでまた、一つ引っかかった。
事故当日の午前、資材庫の開閉回数が一回多い。
備考欄は空白。
立会者名もなし。
なのに、使用ログだけがある。
玲司は呼吸を浅くした。
記録が消されているのに、鍵の使用だけが残っている。
つまり、現場に誰かが入った。
しかも正式な記録に載らない形で。
今の段階で断定はできない。
だが、点はもう三つある。
欠けた更新履歴。
抜かれた紙資料。
理由のない配置変更と、説明のない鍵使用。
十分だ。
“たまたま変な日だった”では済まない程度には。
資料室の時計が小さく鳴った。
玲司はそこでようやく、自分が思ったより長く居座っていることに気づく。
長居は危険だ。
紙は持ち出せない。今は覚えるだけでいい。
ファイルを元の順番へ戻しながら、玲司は頭の中で整理した。
事故は止められなかったんじゃない。
止める理由を知っていた誰かがいて、その痕を消している。
そこまで見えた時点で、これはもうただの“学校内の不手際”ではない。
前の時間軸で広がっていった崩落の、手前の臭いだ。
資料室を出たところで、スマホが震えた。
画面にはクラスの連絡グループ。放課後の雑談がどうでもよく流れている。
『誰かノート写してー』
『無理、わたしも終わってない』
『朝比奈なら何とかしてくれそう』
『え、なんでわたしが』
その直後、ユラのスタンプがぺたっと落ちる。
笑った顔。
いつもの軽いノリ。
何も知らない側の顔だ。
けれど玲司には、あれももう演技の一部に見える。
スマホをしまい、廊下へ出た瞬間だった。
ガラス窓に、別の影が映った。
黒髪。
きっちりした制服。
腕に巻かれた風紀委員の腕章。
玲司が振り向くより先に、その影はちょうど曲がり角を折れて消える。
見られていた。
しかも、ただの通りすがりじゃない。
立ち止まっていた長さだった。
玲司は数秒だけその場に立ち尽くし、それから歩き出した。
朝比奈ユラとは種類が違う。
軽さではなく、観察で踏み込んでくる相手。
風紀委員の冬月カナデが、最近やけに近くにいる。
しかも最悪なのは、あいつが“記録の歪み”に気づける側の顔をしていたことだった。




