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神宿ル劍  作者: 竹河参号
07章 彼方の星を追う
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08.第八獄・星蝕海嘯

八岐禍津神大蛇

 “魔王”トガの振るう魔術のひとつ

 呪詛を込めた大蛇をなし、一気呵成に追い立てる


 異界の徒、崚から掠め取った記憶を基にした呪術

 国作りの神譚にて滅ぼされた荒神を象る呪術は

 国滅ぼしの魔譚に相応しかろう

 ざり、と土を蹴る音がいやに響いた。

 “孕魔霊樹(ナヴァ・ム・グリア)”の樹壁に覆われた暗がりの先にあったのは、赤黒の空。うねる根毛が形成した魔の洞窟は、いつの間にか地表高く、魔樹の幹の中腹に繋がっていたらしい。ぎちぎちと軋む音を上げる魔力汚染の中央に、それ(・・)は鎮座していた。



「――来たか」



 淀んだ紫水晶の玉座に、一人の青年が坐っていた。鴉羽のような黒髪に、淀んだ血赤色の瞳。襤褸のような衣を身に纏い――しかしそれ以上に、煮え滾るような濃密な魔力を纏っている。

 “魔王”トガ。失われた魔界“孕魔霊樹(ナヴァ・ム・グリア)”を再生し、世界に三度目(・・・)の災厄をもたらした大逆の徒。その小さな呟きに、答える者は一人しかいない。



「来たぜ」



 足元の汚泥を蹴り、両手に黒白の刃を携えて歩みを進めるローブの剣士――崚だった。全身に活力を漲らせ、戦意に満ちた血赤色の瞳でトガを見上げる。



「掃き溜めの王様気取りを、ブチ殺しに来たぜ」

「神の人形ふぜいがよく喋る」



 侮蔑交じりの言葉を吐きながら歩み寄る崚に対し、トガもまた片肘を突いたまま応酬した。世界で最大――あるいは唯一とも言っていい宿敵、星剣エウレガラムを前に、まるで警戒する様子がない。崚もそれに頓着しなかった。理を歪め、世界を相手取る大敵。たかが凶器を一つ二つ向けられた程度で怯むほど、甘い情など持ち合わせていまい。

 ――ずるり、と世界がずれた(・・・)

 トガが纏う魔力の壁が四散し、ばらばらと崩れ落ちた。その様子を見て、初めてトガの表情が感嘆のようなものに変わった。



「――ほう。空間ごと(・・・・)結界を断ったか。よく気付いた、褒めて遣わす」



 尊大な態度で賞賛を投げるその先には、右手の黒刃を振り抜いた姿の崚があった。



(多重結界か)



 防御された。晦冥の湾刀(イーレグラム)の権能による先制攻撃――一の太刀で場の結界を破壊し、二の太刀で本体を斬るはずだったが、トガ自身を取り巻くもう一つの結界に阻まれ、刃が届かなかった。戦意を漲らせたまま、凶悪な表情を見せ続ける崚に対し、トガがめずらしく剽軽におどけた。



「そう怖い顔をするな。魔王たる吾の、偽りなき賞賛ぞ。素直に受け取るがいい」

「喜ぶ相手は選ぶ主義でね」

「そうか」



 凄む崚の威嚇を、トガはさらりと聞き流した。一層とはいえ魔王の魔力で編まれた結界を、一撃で斬ってみせた事実にも驚嘆しない。



「――(もっと)も、」



 そう呟くと、トガは紫水晶の玉座から腰を上げ、ゆっくりと立ち上がった。



この程度(・・・・)の障害すら超えられぬようでは、この吾に挑む資格など与えられんがな」



 それだけで、ぶわりと魔力が溢れ出た。たちどころに拡がる赤黒い瘴気に、崚がぴくりと顔をしかめる。それに負けじとばかりに、両手の双剣から清澄な霊気が溢れ出た。



「融け合った神器を、再び二つに分けたか。並大抵の魂では、反発する霊気に耐えられまい。いよいよもって、神の傀儡に成り下がったか」

「誰かさんのお陰でな」

「そうか」



 崚の厭味を、トガはさらりと聞き流した。元はと言えば、トガが崚の魂を破壊したせい――さらに遡れば、世界を脅かした“魔王”の存在そのものが、星剣エウレガラムの存在意義(レゾンデートル)に直結していると言っても過言ではなく、つまるところ、トガの存在さえなければ成立しなかった対決だ。

 トガの魔力とエウレガラムの霊気が衝突し、びりびりと空間が軋む。世界最大の決戦が、ここに始まろうとしている。



「では、慈悲をくれてやろう。――人としての死を、貴様に(たまわ)す」

「やってみろ」



 トガの挑発的な言葉に、崚は一切怯むことなく言い返した。

 ――一瞬後。両者の激突により、世界が音を立てて歪み始めた。






 ◇ ◇ ◇






 “ガルプスの渦”、沖よりはるか奥地――“羅刹”の魔人アスレイと、使徒ベルーダおよび大炎竜ヴァルムフスガの戦いは、混迷を極めていた。

 なにしろ戦場が人智の領域ではない。身を潰すほどの超重力と、可視化されそうなほどの灼熱。地底深く、星の奥底たるマントルを現出させたような超常空間での戦いは、さしもの古強者でさえ苦戦を強いられていた。



(くそっ……重てぇ……!)



 最も疲弊しているのが、臣獣ヴァルムフスガだ。その巨躯ゆえに重力の影響を最も受けやすく、本来空を征するはずの皮翼すら、満足に羽搏かせることができない。鉛のような四肢を引き摺り、何とか位置取りを整え、灼熱の息吹(ブレス)を以て支援攻撃を重ねる――それで精一杯だ。無論、一山いくらの魔物が相手ならば、それでも十二分の火力はあるのだが……



「ぜぇぇあぁぁッ!」



 ベルーダが炎精の戦斧(ガルマエルド)を振りかぶり、アスレイに殴り掛かった。並の人間ならば鎧甲冑ごと両断できる重厚な一撃は、しかし赤錆の長剣によっていとも容易く止められた。がぃぃん、と甲高い音が響き、衝撃波を放散させた。



「どうした、使徒。まるで這いずる赤子のようだ」



 魔界の主アスレイは、涼しい顔でベルーダを嘲弄した。この程度、彼が“アルマの井戸底”に封じられていた約八百年に比べれば、僅か一瞬の苦痛でしかない。世界を護る使徒ともあろう者が、この程度で膝を折っていいのか?

 それに反抗するように、ベルーダはぐりんと戦斧を薙ぎ払うと、その刃にぼおと火焔を滾らせた。咄嗟に目の色を変えたアスレイが、反射的に飛び退く。それを追うように、ベルーダは腰を入れて戦斧を振り下ろした。



「ずぇいッ!」



 裂帛の気合とともに、戦斧から火焔が噴き出した。魔力で赤熱する大地をがりがりと削り、巨大な火柱が迸る。ふわりと跳躍するアスレイを追うように疾走する火焔の斬撃が、中空で大爆発を起こした。



「――ふん。ただでは殺されんか」



 爆煙が晴れた先――防御が間に合ったアスレイは、辛うじて無傷を保っていた。その眼から、すでに嘲笑の色は失われている。魔王トガの魔力によって歪められた忌地、さらに己という魔界を展開してもなお、あの橙色の両刃に宿る霊気は衰えを見せない。それを握る女戦士の瞳にも、未だ戦意が漲っている。かつて彼を封じ、敗残の恥辱を与えた、霊王の剛槍(ゴールトムク)の古い使徒――今の世にいう大聖人イグナーツめと同じ、油断ならない脅威だ。

 一方――戦斧を構えてアスレイを睨み続けるベルーダは、しかし脳裏の苦渋を払拭できなかった。



(さて、どう組み立てるかね)



 条件はかなり悪い。ヴァルムフスガの機動力がほとんど制限され、使徒戦術の王道である『臣獣との連携/機動戦』が展開できない。無論、それは自分も同じだ。霊気を放出し続けながら魔界の魔力と対抗し、全力で相殺しなければ、立っていることもままならない。さすがは魔王に匹敵する強大な魔人、神器の一つを使い潰してまで封印されながらも、ついに滅びることなくその怨嗟を積み上げ続けた怪物――そう称賛するべきか。



「ふんッ」

「ぜぃやッ!」



 宙を駆り、高速で突撃してきたアスレイに対し、ベルーダは戦斧を振るって迎撃した。ぎぃぃん、と双方の得物が激突し、再び衝撃波を撒き散らす。足元の岩盤が砕け、放射線状に亀裂が走った。

 そのまま、両者は斬り結んだ。本来ならばあり得ない光景だ。魔界の重力によって激烈な威力を発揮するアスレイの魔剣と、刃に宿る火焔で魔力を焼き払いながら応戦するベルーダの戦斧。大気ごとかち割るかのような重い連撃が、ぎりぎりと響き渡った。



「ゴァァァッ!!」



 一瞬の隙を突いて、ヴァルムフスガが灼熱の息吹(ブレス)を噴き出した。それはアスレイの指先ひとつで払い除けられたが、流れた火焔の一部が炎精の戦斧(ガルマエルド)の刃に乗り移ると、一際大きく燃え上がった。アスレイの腕に絡み付くように燃え広がる炎が、その全身を包み縛り上げていく。あっという間に形成された炎の檻が、そのまま魔人を焼滅させようとして――



「小癪」



 アスレイの五体から噴出した魔力が、炎の檻を弾き飛ばした。必滅の灼熱は、ただの一呼吸を以て千々に吹き飛ばされた。

 ぱらぱらと炎の破片が舞い落ちる中、アスレイはふわりと飛翔しながら距離を取り、ゆっくりと着地した。その横顔に、疲労の様子は窺えない。



「……“炎の神器”めは、後継に恵まれたようだな」



 変わらず戦斧を握り、気勢衰えぬまま構えるベルーダの姿を見て、アスレイがぽつりと零した。



「往時の――ユルヴァと言ったか? あの獣もどきとは比べ物にならん。多少なりと、戦歴を積み上げただけのことはある」

「そりゃどうも、ありがたくって涙が出そうだ。お褒めの言葉ついでに、そのまま負けてくれてもいいんだよ」

()。先達の尻拭いというのも、なかなか苦労するものだな。若造よ」



 ベルーダの減らず口を、アスレイは鼻で笑った。言葉ほどに同情の色が見えないのは、お互い様だろう。

 ――八百年前の“魔王大戦”の折。当代の使徒ユルヴァは、この魔人アスレイを相手に敗死したという。無論ただでは死なぬのが使徒、多少なりと傷を負わせたと信じたいところだが……



「嘆かわしいことだ。たとえ貴様でも――この(おれ)を殺すには、とても足りない」



 その言葉とともに、アスレイが再び吶喊した。並の人間なら自重で押し潰されるほどの超重力の中で、必中必殺の亜音速――それは歴戦のベルーダでさえ捉えられない突撃を以て、彼女の胴へ突き刺さった。



「――がっ……!」

『――ベル!!』



 赤錆に汚れた魔剣が、その濃密な魔力をベルーダの臓腑へと炸裂させる。堪えられず苦悶の声を上げるベルーダに、勝利を確信したアスレイがにっと笑みを深め――

 彼方から飛来する音速の衝撃波に、諸共突き飛ばされた。



「むっ!?」



 衝撃波の勢いに突き飛ばされ、トドメを刺すことなく剣を引き抜かされる。やんぬるかなと距離を取り、手近なところに着地した瞬間、



“大地鳴動せよ!”



 ばきばきと足元から生えてくる岩棘に、咄嗟に飛び退かざるを得なかった。

 顎門(あぎと)のように開かれる地割れから逃れ、アスレイはさらに距離を取って着地した。その視線の先にいたのは――黄金色の長槍を携えた巫女と、黒い長弓を構える傭兵。



「ベルーダ様、ご無事ですか!?」

「……何とかね……荒っぽい援護だが、助かったよ」



 長槍の巫女――カヤがベルーダの許へ駆け寄り、その槍穂を輝かせた。霊王の剛槍(ゴールトムク)炎精の戦斧(ガルマエルド)の加護により、腹部を大きく傷つけた致命傷はあっという間に回復する。その後をじりじりと歩み寄り、黒弓に不可視の矢を番える傭兵――セトの姿を視止めると、アスレイはあからさまに嘲弄の笑みを浮かべた。



「なるほど、“土”に“風”か……引きこもり共がぞろぞろと、威勢だけは一丁前にやってくる」



 片や己を封じるのに手一杯だった神器、片や使命すら放棄した神器――新たな使徒を得たところで、所詮は付け焼き刃だ。今の今まで単騎で相対していた、“炎の使徒”ことベルーダにはまるで及ばない。

 一方、駆け付けた二人の森人(ケステム)は油断なく神器を構え、目の前の強大な敵に相対した。その額から、滝のような汗が流れている。



「それで? ()が魔界に、のこのこやってきたようだが――よもや、無策で嬲り殺されてはくれないだろうな?」



 アスレイの言葉とともに、びりびりと重圧が広がった。いよいよ臨界を超えた溶岩が溢れ出し、周囲を焼き尽くすように噴火する。そのプレッシャーに怯みながらも、三人の使徒はきっとアスレイを睨み据え、改めて戦意を漲らせた。

 三つの神器と一騎の臣獣、対すること“羅刹”の魔人――数的不利だけで勝敗を断定できるほど、伝説の大魔は甘くない。






 ◇ ◇ ◇






 それは、極彩の血神楽。

 橙の火炎が舞う。青い雷電が散る。凍てる瀑布が溢れる。黒の残影が覆い、白の剣閃が裂く。

 “孕魔霊樹(ナヴァ・ム・グリア)”の中腹で、“魔王”トガと“星剣の使徒”崚が激突し続けていた。無数の剣戟と、無数の爆光が、永遠無限と思えるほどに錯綜し、世界に悲鳴を上げさせる。撃滅すべき敵から逸らされたそれらが四方八方に飛散し、巨樹の根元を爆砕し続ける。



「ふんッ!」



 崚が繰り出す無数の剣戟を、トガが魔剣を振るって凌ぎ、ぎゃりぎゃりと金属音が響いた。



“灼炎豪雨”



 トガが繰り出す蒼炎の魔弾を、崚が光気を噴き出して相殺し、びりびりと大気が軋んだ。



「ずぇあッ!!」

「ふん」



 崚が無数の光の剣気を召喚し、輝く死の雨とともに墜落した。音速を超えて飛来する死の牙が、衝撃波を伴ってトガを襲う。トガは魔剣エウトルーガに赤黒の魔力を纏わせると、ぶわりと強烈な一撃を以て迎えた。中空で激突する魔力と霊気が、びりびりと衝撃波を撒き散らした。



「来たれ、“八岐禍津神大蛇”」



 トガが手掌を突き出すとともに、その足元の汚泥がぶわりと揺れ、巨大な蛇の頭が現出した。グレームルさえ一呑みできそうな巨大な頭蓋がその数、八。崚は咄嗟に闇に飛び込んで距離を取るも、呪詛の大蛇はどこまでも追い続ける。視界いっぱいに崚を取り囲み、ついにその逃げ道を塞いだその瞬間――崚は双剣を猛然と振るい、その全てを叩き落した。

 黒白双輪の刃が草薙の剣の如く閃き、大蛇の頭蓋を斬り落とした。だんと着地した崚に対し、トガが感心したように口を開いた。



「……なるほど、ただでは死なんか」

「てめえこそ大人しく死ね」



 変わらず毒舌を浴びせる崚を、トガは口の端でせせら笑うだけだった。多少の剣戟、多少の異能程度で疲弊されては、こちらも張り合いがない。この程度は、お互いに小手調べの域だ。



「さて――小手先の技巧では勝負がつかんな。お互い、それで納得いくものでもあるまい?」

「ほざけ老頭児(ロートル)気取りの化石野郎。てめえがさっさと死にゃ、全部丸く片付く話なんだよ」

「おや、怖い怖い。神に選ばれた使徒様は随分と余裕がないらしい」



 トガのおどけた物言いに、崚が素早く噛みついた。その心持ちは、戦士ではなく狩人のそれだ。目的達成のために必要なことを整理し、最短距離で達成する――多くの戦士が抱える『戦う愉しみ』という宿痾を、しかし星剣エウレガラムの使徒としての崚は持ち合わせていない。『神器と魂を繋ぐ』という異次元の繋累は、ある種の人間らしさを奪い去ってしまったのだ。

 そんな力強くも冷徹な戦意を漲らせる崚に、トガは小さな興味を抱いた。



「貴様も見てきたはずだ。この世界の醜さを――それを許容する理の不完全さを。

 こんな醜い世界を放置して、醜い摂理に妥協することが、『正しい生き方』だと思うか? それが、“神なる理”に選ばれた使徒の使命だと思うか?」



 両手の双剣を油断なく構える崚に対し、トガは手を伸ばして問いかけた。

 『世界を護る』ために覚醒して神器を振るう本来の使徒と、『敵を殺す』ために神器と契約し権能を振るう崚。その視座は、似ているようで同じではない。果たしてその瞳に、この世界はどう映っているのか。こうして傷付き続けてまで守る必要が、本当にあるのか――?

 崚としても、幾分か覚えのある話だった。砂人(オグル)を蛮族と蔑み『駆除』を企てる諸人(ヒュム)たち、主君を弑逆したアレスタに同調しその軍門に下ったベルキュラス貴族、無辜の民に対して収奪と暴虐を許容する軍閥、世界を巻き込んだ魔王の脅威よりも保身に走るレノーンの軍勢――



「くっだらねえ」



 だがそれを、崚は切って捨てた。



「哲学者ごっこなら余所でやれ。こちとら毎日を生きてるので精一杯だ。摂理だの正義だの、上っ面だけ着飾った言葉に頭悩ませてるヒマなんか無えんだよ。

 俺は(・・)ヘクター・(・・・・・)ベルグラント(・・・・・・)じゃない(・・・・)。てめえの詭弁に付き合って、いいように騙されてやるほど善良じゃねえんだよ」



 吐き捨てるような言葉の数々とともに、崚はトガとの問答を拒否した。

 あるいは、(ヘクター)自身ならば――その遺志を受け継いだ者ならば、応じる責任があったかも知れない。「それでも」と反論する必要があったかも知れない。世界の美しさを、無辜の民が営むささやかな生活の尊さを、全力で認めさせる必要があったかも知れない。

 だが崚は崚だ。ヘクター・ベルグラント本人でも、その遺志を継いだ誰かでもない、赤の他人だ。結局のところ、自分のためにしか生きられない。自分の守りたいもののために戦うことしかできず、そのために人智を超えた“神”という怪物に縋ることしかできない、卑小な人間だ。「世界がどう在るべきか」を想い論じることができるほど、上等な存在ではない。

 ある種の開き直りを見せた崚に対し、トガは小さな驚きを見せると、ふっと表情を緩めた。



「――……なるほど。これは一本取られたか。

 確かに、貴様はただの余所者だ。醜い世界の醜い摂理に、縛られる必要などない。あの男と違い、世界の在り方を憂う必要などない」



 その横顔に去来するのは、失望か納得か。いずれにせよ、これ以上の問答に価値はあるまい。必要なのは互いの存在を懸けた、全力全霊の闘争のみだ。



「ならば戯言はこれにて仕舞い、早々に片付けようか。――貴様を殺し、星剣(きさまら)を滅ぼし、今度こそ世界廃絶を成し遂げる」



 そしてトガは魔剣エウトルーガをくるりと翻し、その刃をぐっと握った。



(――来た!)



 “魔界創生”――魔人たちの秘儀。世界すら歪め望むがままに改変する、大いなる理を踏み外した外法の窮極。特に“魔王”トガの魔界を直に浴びたことがある崚は、その強い加害性をよく知っている。これをどうやって凌ぐかに、この一戦が、そしてこの世界が懸かっていると言っても過言ではない。

 トガがぴいと刃を引き、その手から血を流していくのに対し、崚は左手の白刃を振り、光気の斬撃を飛ばした。最初から成果は期待していない。相手としても神器に対抗する奥の手、トリガーをひとつ潰された程度で発動できなくなるような、低次元な代物ではないだろう。果たしてトガは瘴気の壁ひとつで光気を凌ぐと、己の手を斬り裂き、流れる血をぐっと握りしめた。身構える崚の目の前で、ぎゅるぎゅると魔力が収束していく。やがて開いた手から、ぼとりと赤黒い血の塊が落ちた。



“――魔界創生”



 ぶわりと呪詛の嵐が吹き荒れた。

 大気を腐らせ樹壁を食い荒らし大地を抉る極大の呪詛が、見る見るうちに拡大していき、“ガルプスの渦”を丸ごと食らい尽くさんばかりの勢いで暴れ始める。暗黒の暴風が勢いを増して荒れ狂う最中、咄嗟に双剣を構え霊気を放出させなければ、あっという間に呑み込まれていたに違いない。



「――ッんの、野郎……!」

「ははは、どうした使徒。この程度は児戯だぞ」



 びりびりと世界が軋むのを感じながら、崚は暗黒の暴風雨の中にただ一人取り残された。ごうごうと呪詛の嵐が吹き荒ぶ中で、トガの哄笑がいやに響き渡った。



「お手製の“樹”まで枯らすつもりかよ、こんちくしょう――!」

「こんな“(モノ)”は手段に過ぎぬ。貴様らという大敵を滅ぼせるなら、釣りも来ようさ」



 精一杯の減らず口を叩き落とすように、暗黒の呪詛がごろごろと世界を食い荒らしていく。八百年間の残留魔力、“孕魔霊樹(ナヴァ・ム・グリア)”の放散魔力、その他諸々を貪りながら拡大していく汚濁の嵐の中で、黒白の刃が放つ霊気の障壁だけが唯一の拠り所だった。

 これでは、一向に攻勢に出られない。諸共呑み込まれていくだけ――そんな焦りが、一瞬の気の緩みとなったか。びしり、と霊気の障壁に一筋の亀裂が走った。それは瞬く間にびしびしと拡大していくと、見る見るうちに暗黒の呪詛が滲み出していく。まずい、と取り繕う間もなく、霊気の障壁は千々に砕け、崚は呪詛の濁流に投げ出された。



 ――憤怒渇望侮蔑殺意羞悪狂気絶望憎悪嘲弄厭忌唾棄拒絶歓喜憤懣鬼気怨嗟慨嘆否定呪詛瞋恚滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺滅殺――



 崚は溺れるような感覚に囚われた。

 煮え滾る油に突き落とされた感覚だった。身体中の穴という穴から呪詛の濁流が入り込み、崚の五体を蹂躙していく。毛が燃え皮膚が捲れ爪が剥がれ筋が腐り腱が千切れ神経が破れ骨が砕け髄が沸し――ずるずると治癒された傍から、破壊がまた始まる。一瞬たりとも休息を与えない怨嗟の濁流は、崚の脳髄を侵食しその自意識すら焼き始めた。

 魔人たちの亡骸、絶望するロードリック、壊乱する兵士たちの返り血、泣きそうなエレナの顔、赤黒く染まっていく空、冷たく睨むネヴェリウス、置き去りにされたクライド、暴れ狂うナルスタギア、世界(どうけ)との契約――

 焼け落ちる寸前の走馬灯のように、崚の脳裏で記憶が逆再生を始めた。それらがめらめらと燃え上がり、その五体と同じように焼き切れていく幻覚に呑み込まれた。

 幻覚ではない(・・・・・・)。トガの魔界は、“完全なる否定”の具現。そこにあるモノ全ての軌跡を暴き、込められたエネルギーを焼き払い、その燃え殻を糧に拡大していく呪詛の魔界。それは使徒に与えられる加護すら貫通し、崚の五体に刻まれた歴史を()き潰し始めた。

 凌辱されるオース村の人々を見た瞳が潰れる。氷の悪魔(ベルベス)と対峙する覚悟を決めた喉が腐る。反乱軍の兵士たちを斬り殺した腕が千切れる。燃え上がる王都を前に強張った頬が破れる。ガーヴルとの死闘で食い縛った歯が砕ける。



「――っぜぇぇぇああぁぁぁぁッ!!」



 全身を火だるまにされる激痛に耐えながら、崚は遮二無二吶喊した。目指すは今まさに引き剥がされている鼻が指す先、一際強いにおい(・・・)がある方向――!

 そうして振り下ろされた黒白双対の刃を、



「下らん」



 トガは魔剣エウトルーガの一撫でで叩き落した。

 瘴気を濃縮した横薙ぎの一撃を食らい、崚はべしゃりと墜落した。力なく地に叩き落とされたその瞬間に、その肉体がぼおと燃え上がり、破壊と再生が再開された。



「気合ひとつでどうにかなるとでも思ったか。小童が」



 冷たく見下ろすトガの目の前で、めきめきと修復された傍から、崩壊がまた始まる。指が反れ腕が燃え脚が砕け腿が腐り腸が捩れ肺が千切れ鼻が捥げ目が溶け脳が沸し――破壊と再生が繰り返されていく中で、焼け落ちそうな海馬が駆動を続けていく。思い出したくもない記憶を浚われ、片端から焼き払われていく。

 誰も目を合わせない教室、舞の憎悪に満ちた目、祖父の叱咤の声、上級生を殴った拳の感触、全身を苛む稽古の痛み、泣き崩れる父の姿、荷物を抱えて去っていくあの女の顔――

 やがて、崚だったもの(・・・・・・)の炎上が止んだ。黒焦げた肉塊が、しかし変わらず黒白を握りしめているのを見つけたトガは、ぶすぶすと黒い煙に汚れるそれら(・・・)を観察した。



「――……ふむ。壊せぬか」



 か細い黒煙に塗れながらも、しかしその肉塊の奥にある黒白の刃は、翳ることなく輝き続けている。まるでトガの視線に気付き、抗戦の意志を見せつけ続けるかのように。



「吾が魔界は“歴史”を()く。小童一人の灯のような軌跡を焼き滅ぼすことはできても、自然神たる星剣(きさまら)を壊すには未だ至らぬ……そんなところか?」



 トガの独り言に応えるかのように、黒白双対の刃はその輝きを放ち続けた。今もなお、黒焦げた肉塊を復元(・・)させ、崚という個人に回帰させようとしている。だがその自然治癒力を大きく上回る濃密な怨嗟が、()き潰すようにその再生を阻害している。



「まあ、よい。これで、折角得た使徒は滅んだ。もはや、吾が覇道を止めるものはなし」



 そしてトガは、魔剣エウトルーガを振り上げた。あとはこれを振り下ろすだけで、世界は終わる。新生した神器エウレガラムは使徒を失い、世界の支えとなる楔は永遠に失われ、天地廃絶の絶望が始まる。

 その視線の先で、肉塊がもぞりと動いた。



「――……ッ、勝手に、殺すんじゃ……ねえよ……この、癇癪、野郎……」

「ほう? まだ息があったか。存外にしぶとい」



 肉塊もとい崚は、ぜえぜえと荒い息を吐きながら、爛れた喉と口を気力だけで動かした。肺が焼け焦げる痛みに悶えながら、激痛とともに繋ぎ合わされる筋骨を動かし、腕を持ち上げて立ち上がろうと這いずる。その姿を、トガは心から憐れんだ。



「その足掻きが何になる。指ひとつ動かすこともままならぬ身で、よもやこの吾を殺せるとでも?

 ここで終われ。諦めろ。お前には、過ぎた重荷だったのだ」



 由縁もなき異界に拉致され、知りもせぬヒト共のために戦わされ、幾度となく死と再生を繰り返しながら、その度に痛苦に耐えながら立ち上がらされ続ける。何という無為、何という愚行。その苦痛に、懊悩に、報いるものなどありはしないというのに――

 トガの魔界に、別の熱(・・・)が入り込んだのはその瞬間だった。

 第三者の介入に、トガは驚愕とともに振り返った。その視界を覆うように映ったのは、爛々と輝く黄金の炎だった。



「……なに……!?」



 純粋で清澄な火焔の嵐が、汚濁の象徴たる“孕魔霊樹(ナヴァ・ム・グリア)”を焼いている――それも、他ならぬ己の魔界を上書きするかのように。その圧倒的な熱量に、トガは一瞬だけ見惚れた。そうさせるだけの気迫があった。

 そこに割り込むように、一筋の清流が流れた。



「“抱擁の水面”よ!」



 清流がトガを呑み込み、その魔界を包み込むように溢れ出た。ぎゅるぎゅると循環する大自然の力が、魔界の重圧を少しだけ弱めた。

 その激流を突き破り、トガが手掌を突き出した瞬間、次なる影が飛び出してきた。



「ゴアァァァッ!!」

“我が烈志よ溢れ出で、星を超えて瞬かん! 束なりて闇を払い、輝きよ(ソラ)を穿て――ヴィムの箒星!”



 疾駆する碧鱗の巨竜の背から七色の流星群が溢れ出し、トガの手掌を塞ぐように衝突した。諸人(ヒュム)一個中隊を貫徹するだけの大火力も、“魔王”を堰き止めるには足りない。

 だがその一瞬で充分だった。碧鱗の主、ムルムルは大きな顎を開き、ごりごりと汚泥を噛み削りながら疾駆し、再生しかけの崚を咥えると、速やかにその場を離れ、ぐるりと旋回し樹壁の中腹に着地した。



「――……なるほど。腐っても神、ただでは死なぬということか」



 激流の残滓を振り払いながら、トガはその先を見つけ、改めて感嘆の念を零した。

 ヒトの形をした黄金が揺蕩っている。その後ろに着地したムルムル、その背から降りるシルヴィア、“水精の剣”を構えたまま駆け付けるエレナ、ムルムルの口腔から吐き出される崚――それら全てを庇い、魔王の邪視を堰き止めるように、黄金の炎が揺らいでいる。黄金の長槍を構え、ぎらぎらとした視線でトガを睨み返すのは、全身に魔力を漲らせたクライドだった。一度手中に閉じ込めた雷獣の残滓は、新たな魔人を生み出す薪となり、そして魔王たる己に敵対する新たな駒を産み落としたらしい。



「――幼き魔人よ。この“魔の王”たる吾に、その槍を向けるか?」

「是非もない」



 トガの呼びかけに、クライドはその双眸をぎらつかせながら答えた。言葉通り問答無用、どうあっても槍穂を翻す気はないらしい。



「オレが何者だろうと関係ない。貴様は世界の敵であり、エレナ様の脅威だ。であれば、貴様に与する理由などどこにもない。何より――」



 クライドは黄金の長槍をがちゃりと構えた。その穂先から、濃密な魔力と激情が迸る。



「――貴様は我が友を傷つけた。それだけで、貴様を斃す百万の理由に勝る!」

「そうか」



 同じ進化の系統樹にありながら、全く別種の進化を遂げた輝き――戦意を漲らせるクライドに対し、トガは余計な言葉を重ねなかった。

 もとより、『大いなる理』という軛から外れた怪物。目指す未来が異なるのなら、互いに喰らい合うしかない。



「その信念をこそ尊ぶというのなら――

 跡形もなく焼失せよ。燃え殻なぞでその最期を汚さぬよう、せいぜい気高く燃え上がるがいい」



 トガは魔力を溢れさせ、その手に握る長剣に瘴気を纏わせた。一段と強くなる邪悪な魔力の津波に対し、クライドもまた黄金の火焔を噴き出して対峙した。



魔界創生:第八獄・星蝕海嘯

 “魔王”トガの司る魔界

 世界を侵食し、“理外の理”を押し広げる魔導の究極

 総てを否定する暴虐は、星の歴史さえ無に還す


 全てを否定された。全てを奪われた

 その理不尽が、正しき摂理の在りようというならば

 ならば結構。あるべき姿を取り戻すがいい


 総ての在処と、その軌跡を奪い尽くし

 何もかも、余すことなく焼き融かしてみせよう

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