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神宿ル劍  作者: 竹河参号
07章 彼方の星を追う
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07.欠損

第四景・喪失神性

 “魔”を調伏し理を正す神器、星剣エウレガラム

 ヒトの血に汚れた聖性が、ついに真価を取り戻した姿


 失われた神性を一時的に再現する、秘中の業

 星剣の使徒、崚がその身を捧げることで発動する


 双神の使徒にして、神を貶めた罪人

 極上の贄をもって、奇跡を再演するのだ

 “孕魔霊樹(ナヴァ・ム・グリア)”の内部――“堕落”の魔人、カンデラリアが差し向ける無数の兵士たちを相手に、崚は無心で格闘させられていた。

 無尽蔵の出現ではない――それこそ、“虚殖”の魔界によるイシマエル共の無限召喚とは異なる。呪術で操られているだけの只人が数十人程度、星剣エウレガラムの高火力で薙ぎ払うも良し、そもそも無視して突っ切るも良し、大した脅威になりはしないはずなのだが……



「ほら、どうしたの? そんなんじゃお姉さんは満足できないわ」



 嘲るカンデラリアの物言いに対し、崚は無言で吶喊した。兵士たちの包囲網を飛び越え、その槍衾をすり抜け、一直線に捉えて突撃する。黒白一対の死の牙が、人智を超越した魔人を捉え――

 ざわり、と背筋に悪寒が走った。カンデラリアに衝突するその一寸前で崚は停止し、右手に握った黒刃を翻し背後から迫る騎士の大剣を受け止めた。ぎぃん、と甲高い音が響き、崚の脳天を狙った一撃が弾かれた。

 その一瞬の隙を突いて、カンデラリアが右手を構えた。



“暗きシレスタよ”



 ゆらりと魔力が束を成し、魔力の逆刃が形成される。そのまま崚の喉首を狙って放たれた一撃は、しかし崚の左手に握られた白刃に堰き止められ、その光熱にどろりと溶かされた。

 応報とばかりに崚は左手を振り上げ、白刃を振り下ろした。灼光でぎちぎちと輝く刃が、カンデラリアの柔肌に突き立てられ――しかし、どろりと滑り落ちるように逸れていった。その下、必殺の刃を浴びたはずの白い肌は、傷ひとつ付いていない。



「激しくするだけじゃだめよ。駆け引きも楽しまないと。――“ヴィムの海嘯”!」



 空を撫ぜるように振るわれた手掌から、ぶわりと魔力の奔流が溢れ出した。咄嗟に闇に飛び込み距離を取った崚は、去り際に光の剣気を数本放ち、飛び退きながら撃った。高速で飛来する死の輝きに対し、カンデラリアは眉ひとつ動かさず、真正面から浴びるように受け止めた。着弾、爆発――その果てにあったのは、相変わらず傷ひとつ負わぬカンデラリアだった。



(光気、無効――刺突、無効――斬撃、無効――……打撃も、試すだけ無駄だろうな)



 兵士たちの剣戟を掻い潜りながら、崚はカンデラリアの異常性を分析した。

 単純に硬いのではない。まるでゴムの塊を撫でるかのように、ぐにゃりと刃が滑り落ちるのだ。高威力ならば貫通する、という仕組みでもないのだろう。グレームルと違い、関節に隙があるわけでもない。『あらゆる攻撃を受け付けない』という特性――まさに“理外の理”だ。同じ土俵に立っていては、いつまでも手の打ちようがない。

 であれば、同じ土俵にこだわらずに戦うのが崚の強みでもある。近付けない敵には“闇”を用い距離を取って殺す。物理攻撃が効かない敵には“光”を用い剣気を成して殺す。光気の攻撃が効かない敵には刃を用いて殺す――その意味で、星剣エウレガラムという兵器は崚の気性によく合っていた。あらゆる状況に対応する手札が、まるで生まれた時からの付き合いのように手に馴染む。あとは、その手札を駆使して目の前の敵を殺せばいいだけなのだが……



“ヴィムの槍衾”



 兵士たちの剣戟を凌いでいく崚に向かって、カンデラリアが無数の流星を撃ち放った。隊列をなす死の輝きが、随伴する兵士たちを巻き込んで殺到する。崚はそれを飛び退いて回避していった。光の剣気で相殺し、闇の壁で逸らし、両手の刀で叩き落していく。だが無尽蔵の魔力によって放出される流星は、一瞬だけ崚のキャパシティを超え、ついにその一筋が彼の左肩を撃ち抜いた。ローブと鎖帷子を突き破り、皮膚と筋線維を食い荒らし、神経と骨髄を蹂躙し、肩関節ごと骨を打ち砕く。

 崚は何事もなかったかのように右手の黒刃を振るった。距離を無視して放たれる闇の斬撃は、しかしカンデラリアの柔肌を上滑りし、乳房の片方をふにょんと揺らしただけだった。

 崚はだんと着地すると、関節が砕けた左肩へ、ぐいと黒刃を突き立てた。魔力の流星に蹂躙されてだらだらと血を流す肩へ黒い刃が突き刺さり、ぞぶりと血が溢れ出す。崚はその激痛を無視して、ごきりと肩関節を戻すように刃を押し上げた。

 べきべきべき、と何かが軋む音がした。骨ごと砕けたはずの肩は、それだけで元の機能を取り戻した。全ての神器に共通する加護“祝福”――使徒たる崚自身との契約によって、より盤石に強固になったその治癒力は、もはや呪いに等しい域に達している。



「……まるで狂戦士(ベルセルク)ね。戦うためだけに生きている、殺戮兵器――なんて可哀そうな子なのかしら」



 何事もなかったかのように黒刃を引き抜き、再びカンデラリアに相対した崚に向かって、彼女はそう憐れんだ。崚はそれに応えず、ただぎりぎりと両手の刀を握りしめた。



「神器に呪われ、終生戦わされるだけの存在――……どう? お姉さんが救ってあげましょうか?

 “神なる理”なんて堅苦しいモノと違って、“魔”(わたし)は全てを受け入れてあげる。摂理なんかに縛られない、自由と快楽に満ちた生――あなたも、それを望んでいるのじゃなくって?」



 慈悲深い微笑みとともに手を伸ばすカンデラリアに対し――崚の応答は、逆袈裟に斬り上げられた光の波濤だった。

 樹壁に塞がれた空間に、無数の光線が放散した。幾多の兵士たちを巻き込んで炸裂する光が収まったころ――その後に残されたのは、不機嫌そうに口を尖らせるカンデラリアと、がちゃりと白刃を肩に担ぐ崚だった。



「ガタガタうるせーんだよ年増。言いくるめるつもりなら、もう少し巧くやれ」

「ふふ、意地を張っちゃって。焦ってるのが丸わかりよ?」



 お互いに容赦ない罵声と嘲弄を交わす横で、操られた兵士たちがぞろぞろと再召喚された。いずれ尽きうる障害とはいえ、この数をいつまでも維持されると邪魔だ。崚は無言で双剣を構え直した。

 何より気になるのが、先に放った二撃。それを無効化したカンデラリアではなく、振るった崚自身の方。



(……狂わされた(・・・・・)な。耐性の話はどこ行ったんだよ)



 明らかに、刃を鈍らされている。カンデラリアの得意とする、魅了の呪術に掛かっているのだ。

 無論、完全に術中に嵌っているわけではない。全身を駆け巡る不快感と、身体中で生じているあかぎれのような傷――心身に走る拒絶反応がその証だ。全ての神器に共通する加護“天祐”――それは確かに機能し、彼女の魔術を拒絶している。そのうえで、カンデラリアの魅了は効果を発揮し、崚の無意識下で攻撃を躊躇わせているのだ。

 面倒だな、と崚は無言で呻いた。苦心の末に双剣という出力形態を見出し、“神の兵器”と呼ぶに相応しい攻撃能力を獲得したというのに、それを丸ごと無視する特異防御と、使徒の無意識にさえ干渉する高度な呪術。強みを全く活かせない難敵を相手に、崚は対抗手段を模索せざるを得なかった。

 ――ひとつだけ、打つ手がある。

 崚の思考を遮るかのように、兵士たちが一斉に吶喊した。カンデラリアに魅了されただけの、何の罪もない兵士――だが崚は、一瞬の躊躇いもなく双剣を振りかざし、その剣戟と槍衾を凌ぐと、返す刀で次々に両断していった。



「ふふ、動きが硬いわよ。いいわ――その意固地が解けるまで、いつまでも相手をしてあげる」



 それを遠巻きに眺めながら嘲るカンデラリアを、崚はあくまでも冷静に捉え続けた。

 一撃で、確実に仕留めなければならない。種が割れれば対応され得る、危険な賭けだ。リスクを最小化し、確実な隙を捉えて仕掛けなければならない。

 斬り裂かれる兵士たちの返り血に塗れながら、崚の視線はずっとカンデラリアに向いていた。






 ◇ ◇ ◇






 “ガルプスの渦”、その浜辺。ヴァルク傭兵団の面々は、相変わらずイシマエルとの激闘を繰り広げていた。



「そこ、ボサッとすんな! まだまだ来んぞ!」

「うるせーロッツ! 言われるまでもねぇよ!」



 互いに罵声交じりの激励を交わし、目の前の腐肉へと得物を叩きつけ続ける作業。終わりは見えない。勝利は見えない。それでも、いずれ終わると信じて戦うしかない。

 そんな折、セトが風伯の鉄弓(カルネクス)による攻撃を止めた。――いや、止まっていない。瞑目し何かを念じるように構えている。



「――! 皆さん、集まって!」



 その姿を見、カヤが慌てて傭兵たちを呼び集めた。同時に、限界ぎりぎりまで結界を狭く圧縮する。

 ――一瞬ののち、嵐が轟いた。

 ごろごろと分厚い雲が呼び集められ、一斉に槍のような篠突く雨を降らせる。同時にごおと強風が巻き起こり、イシマエル共を巻き込んで吹き荒れる。膨大な質量を伴う極大の運動エネルギーが、イシマエル共を吹き飛ばし、次々に引き千切った。“ゲルニーの嵐雲”――風伯の鉄弓(カルネクス)の権能である。



「うぎゃーっ!?」

「セトさぁん! 神器使う時は一言言って下さいよ!!」



 黄金色の結界の中で、傭兵たちは互いに抱き合いながら目の前の惨状を見、その光景に身を震わせた。絶大な力で薙ぎ払ってくれる分には楽でありがたいが、一歩遅れれば自分たちもそこに巻き込まれていたところだった。朴訥が過ぎるのもほどほどにしてほしい。森人(ケステム)基準でもそれなりにいい歳だろうが!

 たっぷり十分ほど吹き荒れた豪嵐の果て、彼らが目撃したものは――汚泥とともに朽ちていく、無数の腐肉の残骸だった。それを見下ろす空は、朱色ではなく赤黒。



「……あれ……?」

「や、止んでる……?」



 まさに無限かと思われた、イシマエル共の襲撃が止まっている。団員たちを襲う死の津波が止まっている。彼らは得物を構えつつ、恐る恐る前進した。無論、カヤが張る黄金色の結界の外には出ることができない。

 ゴーシュに曰く、決して尽きることがないとのことだった。魔界の主たる魔人マルシアルが撃破されるまで、無尽蔵に召喚され続けるとのことだった。それが止んだということは、カルドクとゴーシュが打倒に成功したということか……?



「だ、団長とゴーシュさんは……!?」

「分からない。崩壊しかけの魔界では、魔力の気配が錯綜する」

「少なくとも、お二方のご献身によって、魔人を打倒できたのは間違いないでしょう」

「んなこと言ったって……!」



 冷淡なセトとカヤの言葉に、団員たちは動揺を隠せなかった。いくら相手が人外の怪物とはいえ、片や自分たちの首領である。脅威を排除できたからハイ終わり、という訳にはいかない。

 何よりも――マルシアルの魔界が消失しただけで、まだ脅威は(・・・・・)消えていない(・・・・・・)



『――ハァサの倅よ! もう一つ、魔界が展開されておる!』

「……これは――まさか……!?」



 マクサールの叫びに、カヤがいち早く反応した。この濃密な魔力は――かつて“アルマの井戸底”に封印されていた、そして先日使徒一行を強襲した、“羅刹”の魔人アスレイのもの。



「セトさん、急ぎましょう! かの魔人を逃してはなりません!」

「分かった」



 カヤが霊王の剛槍(ゴールトムク)を構えるのに合わせ、セトも改めて風伯の鉄弓(カルネクス)を握り直した。かつての脅威を鑑みれば、尋常の武力は役に立たない。神器の力を結集させ、確実に討ち取らなければ。

 それはそれとして、退路の確保はしなければならない。無尽蔵の召喚がなくなったとはいえ、魔王の眷属たるイシマエルはまだ僅かに残っている。



『ここは儂らが抑える! 勇士たちよ、もうひと踏ん張りじゃ!』

「う、ウソでしょ!?」

「こ、この亀やろう! こっちは疲労の限界だっつーの!」

「ちょっとそこ滅多なこと言わない!!」



 マクサールの激励に、しかしすっかり疲弊している団員たちは次々に罵声を浴びせた。こちとら只人の戦士で、化物共との連戦には慣れていない!






 ◇ ◇ ◇






 魅了された兵士たちを無数に召喚し、差し向け、その後ろから魔術を撃つ。いかに攻防優れたる神器の使徒であろうと、間断なく隙間なく脅威に晒し続けられれば、まともに戦うことはできない。そうして崚とカンデラリアの戦いは、僅かに、しかし確実にカンデラリアの方に傾いていた。

 カンデラリアを含め複数の魔力汚染に曝露している崚には、すでに判然としない状態だが――攻防を積み重ねること、すでに半刻が経過している。時間感覚すら歪められる濃密な汚染の最中で積み上げられた疲労は、崚の集中力を奪い、彼は少しずつ剣戟を浴びていった。

 ローブを裂き、鎖帷子越しに浴びせられる打撃斬撃刺突の数々に、しかし神器の加護は過たず作用する。傷付いたその場から治癒が始まり、流血したその場から活力を注入される。しかし、いくら肉体の損傷が補強されようと、脳疲労までも癒えるわけではない。次第に少しずつ乱雑になっていく回避と反撃は、その報いとして全身に創傷を与え続けた。

 ほぼ無尽蔵の前衛に守られ、遠間から魔術を撃つだけのカンデラリアと、それら全てに一人で対応しなければならない崚――有利不利の天秤は明らかだ。



(――どうして?)



 だがカンデラリアは、当惑を必死に押し殺していた。

 魅了の魔術は(・・・・・・)効いている(・・・・・)。血反吐を振り撒くようなあの拒絶反応がその証だ。そしてその上で、かの少年は躊躇わずに私へと刃を向けてくる。「殺さなければならないが、殺したくない」という矛盾を抱えさせられているはずなのに、その両手に握り込んだ刃には躊躇の気配が一切ない。

 兵士たちの槍衾が崚の防御を掻い潜り、その五体にぞぶりと槍穂を突き立てた。思わず血反吐を噴き出した崚を、勝ち誇るかのように掲げ上げる兵士たち。ぎちぎちと穂先が肉に食い込んでいく激痛に構わず、崚は左手の白刃を振り上げた。

 無数の光の剣気が召喚され、雨霰とばかりに降り注いだ。遮るもの無き死の輝きに貫かれ、血しぶきを撒きながら倒れていく兵士たちとともに、その手に握られた槍が圧し折れ、焼き切られていく。ついにバランスが崩れ、べしゃりと不格好に着地した崚は、その身体中に突き刺さった槍の破片を掴み、出血もお構いなしに引き抜いた。その眼には未だ戦意がぎらぎらと漲っているが、さらにその奥には、隠し切れない疲労が浮かんでいる。己の血と敵の血に塗れた全身に疲労を帯び、肩で息をしながら、カンデラリアをまっすぐに見据えている。



(どうして、動じないの?)



 その姿が、カンデラリアに当惑を与え続けていた。

 どうして戦える? どうして殺せる? どうして、何度も刃を向け続けることができる? 魅了された無辜の兵士たちに対して、魅了されたこの私に対して?



 彼女にとって『敵』と言えるものは、これまで存在しなかった。

 誰もが彼女の美貌を前に跪いた。誰もが彼女への愛欲に焦がれ、寵愛で満たしてきた。同業の嫉妬さえ、羨望の裏返しだった。

 それは人智を外れた魔人になってからも同じ。指先ひとつ、仕草ひとつで、あらゆる敵を調略してきた。野蛮な冒険者も、勇敢な騎士も、邪悪な魔術師も、敬虔な武僧も――使命を帯びた使徒でさえ。愛欲と情欲に狂わせ、その刃を振るわせることなく平伏させてきた。彼女は美しいだけで、全てを支配することができた。



 それが通じない。意味をなさない。

 どれだけ傷を負おうと、どれだけ血を流そうと、彼は構わずに刃を向けてくる。一切の遠慮なく躊躇なく、私を殺しにやってくる。

 あり得ないことだ。考えられない事態だ。この四百六十年間、一度だってあり得ない事態だった。

 どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして?



(私は――完璧ではないの?)



 ――ぴきり、と。

 体の内側で、何かが(ひび)割れる音がした。






 ◇ ◇ ◇






 何十度目かの突撃の果て――目の前のカンデラリアがぴくりと身体を硬直させたのを見て、崚は好機を確信した。



(今だ!!)



 崚が右手の黒刃を素早く翻すと、刃がひとりでに宙を浮き――崚の右腕に突き刺さった。掌から前腕を貫くように突き刺さり、手甲と擦れてぎちぎちと軋みながら、その黒い輝きを増していく。

 ばちり、と黒いスパークが弾けた。

 崚の右腕がどろりと闇に溶け、形を失った。皮膚が筋肉が神経が骨が髄が昏い闇に変じ、どろどろと質量を失くして形を崩していく。がらりと手甲が落ちていくのをすり抜け、炎のように揺らめく闇の腕は、ごうごうと滾りながら溢れ出し、巨大な湾刀に変じた。

 片腕が捥がれた激痛に耐えながら、崚はぐっと全身に力を入れて構え、闇の湾刀を振りかぶった。



「――ぜぇぇああァァァァッッ!!」



 気合一閃。ぶわりと溢れ出す闇の刃を、崚は渾身の力で振り抜いた。昏い残像を走らせながら薙ぎ払われた大湾刀は、過たずカンデラリアの胴へと食い込んだ。

 それは、透過の一撃。あらゆる障害をすり抜け、“魔”のみを斬滅する、晦冥の湾刀(イーレグラム)の慈悲。



「ぎゃあぁぁぁぁっ!?」



 これまで、ただの一度も侵撃を許さなかったカンデラリアの玉体を、闇の刃が両断した。初めての激痛に、カンデラリアは絶叫した。

 ばりばりばり、と黒いスパークが炸裂した。一薙ぎに凝縮された無数の斬撃が、カンデラリアの五体を蹂躙し、その肢体をばらばらに引き裂いた。全身を寸断していく斬撃の嵐に、その断面から夥しい鮮血が噴き出す。それを真正面からびちゃびちゃと浴びながら、崚は彼女がその形を失い、肉塊の山に化すのを見届けた。

 こんなはずじゃない。こんなはずじゃない。こんなはずじゃない。こんなはずじゃない。



「――……どうして――わたし、は……!」



 “内に巡る魔界”は、その境界線たる肉体を破られることで力を失う。カンデラリアだった肉塊は、そのまま自らの魔力に呑まれ、ぐずぐずと消失していった。か細く消えた断末魔は、そうして“堕落”の魔人の消滅を知らしめた。



「――ぐっ……」



 ぜえはあと肩で息をしながらそれを見届けた崚は、がくりと全身から力を抜き、その場に蹲った。

 闇の湾刀が消失し、黒刃がぼとりと落ちると、後には片腕を無くした崚が残された。その肩口から、びちゃびちゃと鮮血が溢れ出す。アドレナリンが切れた脳髄に、激痛が襲い来る。このままでは崚も失血死だ。

 ――ずるりと、その肩口がうごめいた。

 ずるずると肩口の肉がうごめき、とめどなく流れ出る血が不自然な流動を始める。それはあっという間に腕のようなものを形成すると、ぼこぼことうごめきながら固着した。後には、ずるずるとうごめく血肉の塊、それが固形化したもの――古傷さえ再現された、元通りの腕が復元した。激痛も出血も、嘘のように止んでいる。

 荒く息を吐く崚は、震える右腕をゆっくりと動かし、その力みを確かめた。――肩、ヨシ。二の腕、ヨシ。肘関節、ヨシ。前腕、ヨシ。手首、ヨシ。親指から小指まで、稼働ヨシ。

 多少の震えは残っているが、直に馴染むだろう(・・・・・・・・)。戦闘には支障なし。落ちていた手甲と黒刃を拾い上げながら、崚はゆっくりと立ち上がった。激痛の名残に顔をしかめながらも、崚はひとつの手応えを感じていた。



(……使えるには、使える――か)



 崚の肉体の一部を捧げ、星剣エウレガラムの『本来の力』を一時的に取り戻す――謂わば『喪失した神性』、その復元儀式。

 契約によって『崚という人間性』という異物が混入した現在のエウレガラムでは、彼の認識ひとつでその権能が歪んでしまい、本来の性能を発揮できなくなっている。そもそも出力限界が、崚の脳の負荷限界までに制限されている。それを取り払い、本来の性能と出力を取り戻すには、崚という罪人(・・・・・・)を贄として、穢れを洗い流さなければならない。

 そして、その試みは成功した。至高の神器を穢した罪人にして、異端の神器に適合した唯一の使徒――贄としては極上だろう。果たしてエウレガラムは晦冥の湾刀(イーレグラム)の権能を取り戻し、あらゆる防御をすり抜ける透過の斬撃、“禍断(まがつたち)”という神威を発揮した。代価として欠損した右腕も、“祝福”による治癒という名の再生で元通り。多少のインターバルは強制されるが、戦闘そのものには支障がない。



(問題は――これが、あの“魔王”に通じるか)



 両手に黒白の刃を握りしめながら、崚はしばし立ち竦んだ。

 圧倒的な魔力、濃密な汚染、全てを否定する呪詛……どれも、『理を外れた“魔”』に相応しい怪物ぶりだ。常軌を逸した外法の化物に、理という楔がどこまで通用するか。果たして、それが用を為す域に留まっているのか。もしも理すら超越する、文字通り“魔の王”に成っていたとしたら。この苦痛の試みも、意味をなさないのではないか――

 崚はぶんと頭を振って、その迷いを追い出した。



(迷うな。躊躇うな。突き進め――それしか、手立てはない)



 戦う手立てがあるのなら、それを信じて刀を握るしかない。殺すための牙が足りないのならば、試せることを全て試すしかない。それだけが、己に求められた使命であり、己に果たせる唯一の贖罪だ。

 崚はがちりと手甲を嵌め直すと、大きく深呼吸をしてから、さっそうと歩き出した。魅了の拘束が解けて倒れ伏していく兵士たちにも、ぶすぶすと朽ちていく魔力汚染の残滓にも、一瞥もくれなかった。



 待ち人とは、間もなく逢えるだろう。最期の時は近い。



戦いの記憶:“堕落”の魔人、カンデラリア

 類稀なる強者との、死闘の記憶

 その経験は、新たな地平を切り拓くだろう

 あるいは、擂り潰して力の糧にしてもよい


 彼女は、美しくありたかった

 そう在ることで、誰もが彼女を讃え

 輝きを貢ぎ、さらに彼女を美しくさせた

 美こそが、彼女に全てを与えるはずだった

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