8話 葦毛の怪物
3月4日、火曜日。天候は晴れ。時刻は7時20分。
転生3日目の朝である。いつもならこの時間に起きて二度寝して8時前にく〇寿司に出勤する用意をしていたはずだが日常は大きく変わってしまった。
今日の予定は午前中に軽くユキヒメ、クロユリ、ツクヨミのトレーニングをする。
と言っても夜にツクヨミはナナと僕と、夜行バスで東京墨田区から岩手県水沢市に向かう約8時間の苦行があるので軽くである。
クロは午後は整備のバイト出勤2日目だ。
リビングに向かうとツクヨミがもうしっかりと起きていた。
「おはようございます、トレーナーさん」
ツクヨミの姿にはいつも感心する。
彼女はまだナナ、クロ、ユキが夢の世界だというのに、もうジャージに着替えて朝ご飯を用意している。
むしろパジャマ姿の自分が恥ずかしくなってくるほどだ。
「早いなツクヨミは。あいつらはまだ寝てんのか?」
「ええ、特にクロちゃんは泥のように。ギリギリまで寝かせてあげましょうか。」
どうやらクロは昨日の初バイトで疲れて寝ているらしい。無理もない。
午前は元中央のユキヒメ、ツクヨミと同じく午前はトレーニングして午後はバイトなんだ。
家計を助けてもらっているので寝かせる事にした。
その後3人が起きてくるまで2人で水沢競馬の特徴や作戦について軽く話した。
水沢競馬場は僕も割と岩手出身なので詳しい。
それに初めて馬券を現地で買ったのも水沢競馬場である。
バイト先のく〇寿司の先輩と競馬の話で打ち解けて、車が無かった僕の為に車を出して一緒に競馬を楽しんだことがある。
水沢競馬場の特徴は最終直線が317m(ゴールまで245m)とかなり短いので、差し・追い込みを得意とするツクヨミには不利なコース。コースは一周が1200mで右回りである。
坂は無く、枠順によってあまり有利不利がないのが特徴だ。
ただし1300mから100m延長した分序盤のポジション争いで好位に付けられれば差し切れる。
また、地方競馬全体に言える事だが逃げ・先行馬が有利。
あまり地方馬を悪く言うつもりはないが、後ろから差せる馬がいないのだ。
もし最後方から差し切れる馬がいれば、そいつは中央に行けって感じだ。
ただ、ウマ娘の世界でレースを見たことがない僕にはもちろん未知の世界である。
「おはよーございます・・・。」
「にゃー・・・。」
「・・・・うっす。」
時刻は7時50分。全員が集合した。
「みんな着替えて顔洗ってきてね~。朝ごはん出来てるわよ~。」
おっとりとした口調でツクヨミがお玉片手にみんなを促すと、それぞれ顔を洗ったり着替えをしに散っていった。
朝ご飯は白飯に大根の味噌汁、ウインナーに目玉焼きともやし炒め。
「これでいいんだよ」と言いたくなる定番の朝食である。
本当はこれに焼鮭も追加してあげたいが、家計がカツカツなので我慢する。
朝食を食べてからすぐにトレーニングに向かう。
今日はダートコースを軽めに調整する事にした。
その後お昼には袋麵を食べた。遠征費がかかるので節約も大事である。
ちなみにそれぞれ好みが違うようで、ユキヒメはしょうゆ、ナナとツクヨミはみそ、クロはとんこつ。
「トレーナーさん。私はそろそろ仕事に行くわ~」
昼食後、冷蔵庫の余りものでツクヨミが作った弁当をカバンに入れてクロがひらひらと手を振る。
どうやらクロは料理が苦手なようだった。
こんな適当な弁当でも食事に困らないのは職場の男性職員から差し入れがたくさんあるかららしい。
整備の仕事は男性が主なので女性整備士はクロだけらしい。
それゆえ一種のアイドル的扱いなのかと納得する。
確かにクロは話しやすいしノリが良く、言うならば「オタクに優しいギャル(ウマ娘)」である。
ちなみに受付嬢にはウマ娘もいたらしく、この世界ではどの職場もウマ娘と人間が給与面、待遇面、福利厚生等含めほぼ同じ条件で働いているようだ。
ただしクロの様に【現役のウマ娘はレースが決定した場合、有休扱いになる】とこの前鍋を食べながら話してくれた。
レースに出走するのも月1回、多くて月2回なので業務的には問題ないという事だろうか。
「ああ、しばらく水沢に3人で行って来るからユキヒメと二人で留守番頼んだぞ。トレーニングメニューは机の上にメモを残してある。それと交渉次第だが、クロも近々レースに出すつもりだからそのつもりでよろしく。」
「え?マジで?頼んだわよ。その交渉とやら!あとお土産もヨロシクね☆」
くるっと振り返って期待の眼差しを僕に向けて来る。
全く、こいつらは地方遠征を旅行か何かと勘違いしてるのかと苦笑する。
ツクヨミの結果次第では羽を伸ばしに行くのもいいかもしれないなと考える僕であった。
何度も言うが、彼女たちはお金を稼ぐ機械ではなく年頃の少女達なのだ。
レースやトレーニングだけでは息が詰まってしまう。
【レース以外の人生経験も彼女たちを預かるトレーナーの責任の一端】だ。
クロが出勤してから、午後は夜行バスが22時45発なので自由時間になった。
ユキヒメは午後は坂路トレーニング。
ユキヒメもクロと同様にレースに出せる様に水沢に行った際折を見て交渉するつもりだ。
ナナは春休みに入ったので宿題をしているのかと思いきや、春休みに宿題は無いらしく外でユキヒメを応援しながら一緒に坂路コースを走っている。
まだ子供なので体力はないが力強く走る姿には可能性を感じる。
ツクヨミは軽くダートコースを走っている。
レース前、しかも約8時間の地獄の夜行バスが待っているので午後はゆっくり休んで欲しかったが、どうにも落ち着かないらしく体を動かしたいとの事で今度はウッドチップコースを軽く走っている。
ちなみにウッドチップコースとは、間伐材などの木片を敷き詰めて作られた走路や歩道、または競走馬の調教用馬場の事で、ダート(砂)コースなどに比べてクッション性に優れており、着地時の衝撃を和らげウマ娘の脚部(骨や関節)にかかる負担を軽減する効果がある。
通常のダートや芝のトレーニングに比べてトレーニングの負荷が軽いので調整にはもってこいである。
僕は一人で買い出しに向かっていた。時刻は14:20。
ちなみに水沢に出発する際買い置きした食材と、何かあった時用に2万をテーブルに置いておくつもりだ。
最寄りのスーパーまでは3㎞あり、ツクヨミと鍋の具材を買った時は車で買い出しに行っていたが、今日は歩いて行く事にした。
運動不足の解消と、安いスーパーの場所や割引の時間帯、地形を把握しておくためであr・・・。
「すまない・・・。ちょっといいか。」
思考を巡らして通りを歩いていると葦毛の見間違えもしないあの有名なウマ娘が現れた。
「君は。オグリキャップだな。どうしてここに?」
オグリキャップは少し驚いた顔をしてから僕に聞き返した。
「む?なぜ私の名前を知っている?私はまだトゥインクルシリーズ(中央)で走った事もないが」
(あー、なんとなく分かった気がした。これおそらく笠松から中央に移籍したばかりのオグリキャップだ。だから東京の地理に詳しくないから目的地が分からないパターンのやつだと僕は推察した。)
「ああ、実は僕はトレーナーなんだ。訳あってトゥインクルシリーズで走れないウマ娘達のね。」
僕は財布に入っているこの前発行したばかりの地方のトレーナーライセンスを見せる。
「・・・なるほど。君は、トレーナーだったか。珍しい出会いだな。」
ウマ娘関係者という事でオグリも納得したようだ。
普通のトレーナーであればトレーナー同士の知り合いで、このウマ娘は強いとか見込みがあるとかコミュニティを形成することがある。
もちろんレースになれば知り合いだろうが先輩だろうが関係なくライバルにはなるが。
オグリもきっとそこから自分の情報を僕が知ったのだと思っている。
(まあ訳あってぼっちトレーナーなんだがという事は伏せておく事にした)
「それでトレセン学園はどこにあるか分かるだろうか。実は笠松から転入になったんだ。だが東京というのは道が多すぎて分からない。頼む、教えてくれないか。」
ふんすふんすと顔を近づけてオグリがせがんでくる。
「教えるのはいいが距離が遠すぎる。おそらくトレセン学園は寮があるから夜は大丈夫だとして送っていくか?ここから約45キロあるが。」
45キロと聞いて愕然とするオグリ。コロコロと変わる表情が何とも愛らしい。
「すまない、頼めるだろうか。・・・ところでトレーナー。君の名は?」
「初代雪人。ユキトで良い。じゃあ一旦厩舎に戻るか。」
再び1キロ歩いて厩舎に戻るとおやつタイムのナナ、ツクヨミ、ユキヒメがリビングでくつろいでいた。
「ぱぱおかえりにゃー!」
「あら、お客さんかしら。ウマ娘じゃない。」
「わー!髪の毛銀色で綺麗ー!」
「ぱぱ?君はこの子のぱぱなのか?」
「ちょっと待て。誤解だ。トレーナーだ。パパじゃない。」
「む、大丈夫だ。トレーナーと結婚するウマ娘は割と多いぞ。それにかわいい子じゃないか。・・・ふふ、子供というのはかわいいものだな。」
「んにゃー☆」
膝を折って目線を合わせてナナを撫でるオグリ。
おい即堕ちしてるぞナナが。
「実は買い物に行ってたらこの子、オグリと出会ってな。笠松から来てトレセン学園に転入になったんだが、どうやら道に迷ったみたいでトレセン学園まで案内して欲しいとの事だ。」
「ああ・・・。なるほど確かに歩いていけない距離ですね。バスとかもお金かかりますし。」
「という事でトレセン学園まで送っていくから。どうせついてくるんだろ?ツクヨミはどうする?」
もう聞かなくても分かっている。ナナはどうせ楽しそうだからついてくるにゃ!っていうタイプ。
多分この後の夜行バスの事なんて微塵も考えていないだろう。
ユキヒメは正確なトレセン学園の位置をナビしますとか理由をつけてついてくる。
しかしツクヨミはレース前調整と夜行バスが控えている。
なによりこのある種、大家族の家計を決める地方交流重賞のレース前なのだ。
「私は夜あれ(地獄の夜行バス)があるので仮眠しておきますわ。トレーニングもしましたし。」
「なんとなくそんな気がしてた。ゆっくり休んでな。夕食前には帰ってくると思うから。」
「・・・すまない。それじゃあ頼めるだろうか。」
「いっぱいおはなしするにゃ!」
オグリが助手席、ナナ、ユキヒメが後部座席に乗ってトレセン学園に向かう事になった。
正直に言えば夜行バスの前にひと眠りしておきたかったがこれも何かの縁だ。
それにまだ買い物も済ませてない。
まあいいか、帰りにスーパーでも寄るかと内心ため息をつきつつ、初めて見るかつてユキヒメ、ツクヨミが在籍していた数々の名ウマ娘を排出するトレセン学園に向かうのだった。




