13話 北国に咲く桜
3月9日 朝6時10分。
激闘から一夜明けて水沢グリーンホテルにも朝日が優しく夜明けを告げていた。
アラームが鳴って、まだ早いと思いながらも無理やり身体を起こす。
僕はコーヒーを淹れながら昨日のレースについてトレーナーノートにまとめていた。
最後に「よくやってくれた」という一言を添えて。
正直に言うとこの重賞の勝利は僕自身予想していなかった僥倖だ。
ツクヨミが実力上位である事はもちろん知っている。
だが適性が芝で、なおかつ中長距離が主戦場の彼女に正直勝ち目は薄いと思っていた。
それならば、前有利な地方で前残り(逃げ馬や先行馬がそのままのポジションでゴールまで粘り込み、後方から追い込んできた馬が届かずにそのまま決着するレース展開の事)を狙って入着賞金を狙っていたのだが。
マジで助かったわ・・・。と一週間後に振り込まれる約400万円弱に胸を躍らせていた。
そして今日の日程はと言えば。
優勝したので資金には余裕が出来た。
となればせっかく東京から水沢まで来たのだ。
「観光」をすることに決めた。
ちなみに昨日のレース後はツクヨミのウイニングライブ後、メディアに鬼のように詰められた。
それから東京で待っているクロとユキヒメに一泊延期して観光するとLINEしたら、帰ったら今度の土日に今度はクロと私の埋め合わせの要求をされた。
地方重賞制覇の結果を伝えたら、スマホが音割れするぐらいユキヒメが叫んでた。
朝の優雅な時間にコーヒーを飲みながら、岩手県の地方紙「岩手日報」のスポーツ欄の見出しを見て僕はコーヒーを吹きそうになった。
【水沢から上げる反撃の狼煙!目指すは中央!待ってろルドルフ!】
余りにも誇張され過ぎていて苦笑いを浮かべるどころか僕は茫然とした。
確かに地方から中央復帰を目指すとインタビューで言ったが、どうも岩手の人は背中を押すどころかむしろ背中をぶっ叩いてる気がしなくもない。
しかし、続いての見出しに僕は表情を和らげた。
「岩手から中央へ!ユキノビジン中央移籍は秒読みか!」
新聞の記事を要約するとレース後、ラウンジで見かけたスーパークリーク達が記者たちのインタビューにこう答えたらしい。
「中央はユキノビジンを歓迎する」「本人には明日以降正式なオファーをする」
「彼女に地方は狭すぎる」「今回のレースで中央で通用する実力を証明した」と。
「ユキノ、中央に移籍か。」
僕がトレーナーなら間違いなく二つ返事で了承する。
地方と中央の賞金額に雲泥の差があるし、何より中央で走り、勝つのが彼女たちウマ娘の目標だ。
ただ、生まれ育った中央を離れるという事はこれまで初レースから応援してくれた地元のファン、そしてこれまで2人3脚で苦楽を共にしたトレーナーとの別れを意味する。
(ただし地方と中央のライセンスを両方所持しているトレーナーは別だが、中央のトレーナーライセンス試験は非常に難関で、両方持っているのは非常に稀なケースである)
新聞を読みながらボーっとしていると不意にドアがノックされた。
「トレーナーさん。少し歩きながらお話しませんか?」
時間を見ると6時35分。
「ああ、いいぞ。着替えるからロビーで待っててくれ。ナナは寝てるのか?」
「ええ、ぐっすりです。相変わらずちっちゃな怪獣ですが。時間はあまり取りませんから。」
(ああ・・・これ多分ナナの寝相の悪さに起こされたけど、時間も時間だし2度寝もできないからか)
手早く着替えを終えてロビーに行くとツクヨミが待っていた。
「水沢公園まで行きましょう。なかなか昨日は寝付けなくて。」
「実を言うと俺もだ。昨日の興奮がまだ残ってる気がするよ。」
2人で水沢公園まで向かう。ホテルからは距離にして1キロもない近い公園だが、野球場もあるくらい広い公園である。
「私もです。最後ユキノちゃんが伸びてきた時は正直負けると思いましたわ。でもトレーナーさんとナナちゃんがゴール付近にいて、『負けたくない』って力が湧いてきました。」
「そうか。ありがとう。そして、お疲れ様。それと寒くないか?岩手の朝は冷えるだろ。」
「ええ、少し。でもこの寒さがこの澄んだ空気が東京じゃないんだって実感しますわ。」
不意に私の身体に後ろから少しぶかぶかなトレンチコートが掛けられる。
「風邪ひくなよ。なんたってこの後はナナも起きて来て観光だからな。」
恥ずかしいのか目も合わせずに前だけ見てぶっきらぼうに言い放つトレーナーさん。
「ふふ、優しいですね。トレーナーさん。あ、公園に着きましたよ。」
水沢公園には後藤新平の像や、斉藤実の銅像、駒形神社や野球場、テニスコート、陸上競技場がある。
この二人の人物についてよく知らないが陸上競技場には早朝からランニングやウオーキングしている方がちらほら見えている。
「あれはウマ娘か。ずいぶんいい走りをするな。」
茶髪のショートとセミロングの中間だろうか。走りのフォームが綺麗で体幹が全くぶれていない。
「・・・トレーナーさん?私が隣にいながら他の娘を見てるんですか?」
「いや、トレーナーの性というか本能のようなものだよ。見なくても分かる、めっちゃ怖いんだけど」
隣から殺意の波動を感じるのは気のせいにしておいた。
「ふぅん。そうですか。あの子の走りがそんなに気になりますか。」
ふっと息を吐いた後ツクヨミは目の前を走り去って行ったウマ娘を追いかけて行った。
「ちょ!待て!早いって!」
「わわ!早い!・・・でも負けませんよー!」
グラウンドをウオーキングしていたおじいちゃんが腰を抜かしていた。
そりゃそうだ。ウマ娘が走るスピードは自動車と遜色ないからな。
というか名前も知らないあの娘もやっぱりウマ娘は走るのが好きなのか並走している。
「いや、というかあの娘・・・早い!」
抜かれてから楽し気にキキョウを笑顔で追っているが普通併せ馬でもキキョウについて行くのは難しい。
それでもツクヨミを追い抜こうとしている。
周りを見ると数少ない朝のウオーキング客たちが、水沢公園の陸上トラックを爆走している二人に注目している。
「おーい!戻ってこーい!」
呼びかけるが全く耳に入っていないようだ。
(やりますね、それじゃあ最後は本気で!)
トラックの一周まで約200m。
先頭は2馬身差でツクヨミが先行している。
(2馬身差。昨日と同じようだな。)
僕は呆れつつもケガだけはしないでくれと祈りながら諦めて見守る事にした。
ツクヨミのギアが上がった。あれは本気だ。
「うおおお!はええな!ウマ娘って!」
「レースで見るより生で、目の前で見ると迫力違うな!」
もはやこの陸上トラックは競馬場に見えているようだ。
「いや・・・!早い!なんだあれは!?」
あの子も直線に入った途端、というかコーナーリングが上手いのかカーブで加速した勢いのままツクヨミに迫っている。
約200mの短い直線で差が縮まっていく。
そしてほぼ同時にゴールした。わずかにあの子が先着して。
「ツクヨミが・・・末脚で負けた?」
シンプルな力負けである。しかも200mの短い直線でだ。
「・・・はあ・・・はあ・・・びっくりしましたー・・・。でも私の勝ちっ!」
「・・・驚いたわ。私に・・・勝てる娘がいる・・・なんて。私はツクヨミ。あなたは?」
全力ダッシュ後の息の乱れなどお構いなしに話すツクヨミ。
僕も気になっていた。こんな娘がいるなんて。
「私は、サクラチヨノオーです!今度函館でメイクデビュー(初出走)なんです!」
(は?僕の聞き間違いか?レースに出た事すらないこの娘がツクヨミに勝っただと?というかサクラチヨノオーって史実だと日本ダービー勝ったGⅠ馬じゃねえか!)
僕もキキョウもフリーズしていた。
ここでサクラチヨノオーの生涯戦績について書き残しておく。
屈腱炎という馬にとって最も恐れる怪我の再発により引退を余儀なくされ、活躍時期こそ短かったものの、生涯戦績8戦無敗で引退した父マルゼンスキー譲りの才能はすぐさま結果として現れた。
1987年8月8日に函館新馬戦5頭立ての小頭数レースにてメイクデビュー(中央競馬初出走)を果たす。
また騎手は小島太が引退まで【一度も乗り替わりせずに】主戦騎手を務め上げた。
新馬戦芝1000mを1分切りの59.5で初出走初勝利し、条件戦ではなくOP戦に格上挑戦。
格上挑戦となった2レース目は、中山競馬場で2着馬メイストームに2馬身半差をつけて勝利。
その後3戦目東京競馬場で一戦挟み、2着となったものの賞金を積んでGⅢ、GⅡを飛ばしてGⅠ朝日杯3歳Sに挑戦。
2週間の延期と有力馬の故障もあって6頭立てになったが、1番人気単勝1.9倍の圧倒的人気を受けて出走。
父マルゼンスキーも制したこのレースを親子で制覇する事となった。
その後GⅢ4着を挟み、GⅡトライアルレース弥生賞を制して満を持して牡馬三冠初戦の皐月賞に挑戦。
しかし9番人気のヤエノムテキが世間の評価を覆す激走でGⅠ及び重賞初制覇を果たすと、サクラチヨノオーは3着と力を見せたが惜敗した。
迎えた生涯1度の大舞台、すべてのホースマンや馬主、馬券ファンが熱狂する牡馬三冠2レース目G1「日本ダービー」では、サクラチヨノオーが皐月賞の不振だったこともあり、力の抜けた馬がいないと判断したマスコミは「横一線」「戦国ダービー」と書いた。
当日の東京競馬場には史上第3位の入場人員15万9158人が集まり、投じられた260億9266万6100円は、ダービー史上最高額及び中央競馬史上最高額の売上であった。
この日本ダービーにはメジロアルダン、皐月賞で先着を許したヤエノムテキ、GⅠ阪神3歳Sを制したサッカーボーイを含む24頭立てのレース(現在は18頭フルゲート方式)となっており予想が非常に困難であった。
しかし蓋を開ければサクラチヨノオーはダービーを制覇し2着にはメジロアルダン、皐月賞で負けたヤエノムテキは4着と掲示板確保が精一杯であった。
その後、競走馬にとって不治の病ともいわれる屈腱炎を発症。
GⅠ安田記念16着、ラストランとなったGⅠ宝塚記念も16着と大敗し、屈腱炎の再発によって引退した。
「あ!もうこんな時間!ホテルに戻らないと!トレーナーさんにもふもふされちゃう!じゃあ、また!あ、ライン交換しましょ!ツクヨミさん!」
急いでポケットからスマホを出して、ぽろっとトラックの固い地面にスマホを落とすチヨノオー。
「あわわ!」と落としたスマホを拾ってツクヨミとライン交換する。
(というか「もふもふ」ってなんだ?)
「じゃあもし、レースで会ったら今度も負けませんよー!また今度ー!」
それだけ言い残して嵐のように去って行ったサクラチヨノオーを僕たちは見送るしかなかった。
「あの娘僕の言ったとおりだったな。『いい走り』だったろ?」
僕は自分の観察眼が合っていた事が結果で証明された事に得意げに言った。
「・・・昨日の疲れが残ってただけです。戻りましょうホテルに。もう朝7時過ぎてます。」
むっすーっとした表情でツクヨミがずんずんと来た道を引き返していく。
ツクヨミが拗ねたら結構長くなるのを僕はこの日嫌というほど味わう事になるのだった。
ー時刻は遡り5時5分 東京厩舎ー
「はあ・・・はあ・・・・!」
早朝のランニング。普段ならバイト疲れで寝ている朝。
私は羨ましかった。
昨日整備のバイト終わりにユキヒメから聞いた。
ツクヨミがユキノビジンに勝って地方重賞を制覇したこと。
・・・旅行が一日延びたことも。
旅行は・・・そりゃもちろん、金が無かった私には縁のなかった事だし羨ましかったけどさ。
それよりも【レースに勝った】事が羨ましかった。
6戦0勝。最高着順は3着。
何度か掲示板に乗った(5着以内に入着)事はあるけど、一度も勝ったことが無い。
それも、地方で。
もちろんツクヨミもユキヒメも強いのは知ってる。
だからこそ私自身の弱さが惨めになってくる。
「勝ちたい」
この言葉を何度心の中で唱えただろうか。
けど現実は残酷で、非情で、結果が嫌というほど私に現実を突きつけて来る。
体力もない。脚が早い訳でもない。コーナーが上手い訳でもない。
私は、弱い。
脚で稼げないなら他の仕事でって思って貢献してるけど、やっぱり私はウマ娘。
身近な人、それも家族の様な人の勝利報告を聞いて火が付いてしまったのかもしれない。
だったら答えは一つ。
皆以上に努力するしかない。
皆が寝ているこの時間に。
トレーナーさんは約束してくれた。
必ず私をレースで勝たせると。
正直私に中央は無理なことは嫌でも分かる。
たとえ地方でも、勝ちたい。
勝利の先に見える景色。
そしてウイニングライブをトレーナーさんに見せるんだ。
私を拾って良かったって。
【水沢グリーンホテルトレーナー宿泊自室にて】
「いい加減機嫌直してくれツクヨミ・・・」
僕、ナナ、ツクヨミの3人は僕の宿泊している部屋でチェックアウト前の最後の朝食を取っていた。
もちろん男女別で(ツクヨミ達は同部屋でも構わないと言っていたが紳士なので)彼女たちの宿泊している部屋もあるのだが、もう既に荷物と私服に着替えて僕の部屋に来ている。
いつもなら和やかな食事風景となるのだが今日の朝は違っていた。
サクラチヨノオーに負けた事、その後の僕の余計な一言「俺の言った通り『いい走り』だったろ?」と言った事が原因だろう。
大人が(少女だが)拗ねると長い。
ナナが拗ねた所は見たことがないがきっとチョロいだろう。
高級スイーツや旨い肉や欲しいものをあげればきっと許してくれる。
しかし大人の女性ともなればそんな生半可な事では通用しない。
ナナもつくよみおねえちゃんこわいにゃー・・・。って顔で黙々と食べている。
おもむろにツクヨミが口を開いた。
ツクヨミの耳が後ろに伏せられている。これは馬(ウマ娘)が怒っているサインだ。
「トレーナー。何で私が怒っているかお分かりですか?」
(うわ、もはや「さん」すら付いてないじゃん・・・。)
まるで法廷に立つ被告人の様な気分で僕は答えた。
「多分サクラチヨノオーに負けた事と、最後の余計な一言でしょうか。」
「その通りです。ですが、それ以前に私が怒っている理由があります」
(・・・俺何かしたか?とこれまでの彼女たちと会ってからの激動の一週間を振り返っても心当たりはない)
「心当たりがないぞって顔をしてますね、トレーナー。」
ゆっくりと箸をおいて僕を刺すような目で見つめるツクヨミ。
「いや、本当に心当たりがないぞ。何か悪いことしたか?」
「いえ、貴方は素晴らしいトレーナーだと思います。なにせ初レースで勝利したんですから。・・・まあ、頑張ったのは私ですが、昨日のレースはもし【逃げ】の作戦を取っていなかったらきっと負けていたと思います。ですが、問題はその後です。」
んんんと可愛く咳払いしてからツクヨミが続ける。
「何の労いも無いじゃないですか。私が怒っているのはそこです。まあ、あの一言。あれは引き金に過ぎませんが。」
「だから今日旅行なんじゃないか。わざわざ1日伸ばしてk・・・」
「違います。不正解です。」
また食い気味に否定してむっすーと拗ねるツクヨミ。
「全く、女心というものをまるで理解していませんね。ヒントはユキノちゃんです。」
(ユキノ・・・?まあトレーナーの胸で泣いているのは見たが。)
そこまで記憶を辿ってから僕は一つの結論にたどり着いた。
「なるほど。そういう事か。だからわざわざ朝散歩になんて誘ったんだな。今理解した。」
僕がそう答えたら大正解ですと言わなくても分かる朝日よりも眩しい笑顔を見せてくれた。
「やっと気づきましたか。遅すぎますトレーナーs・・・」
僕は優しくツクヨミを抱きしめて頭の後ろから髪を梳くように撫でてやった。
「よしよし、よく頑張った。お疲れ様。」
「はぅ・・・・。いきなりは反則ですよ・・・。」
抱きしめたまま、背中をポンポンと優しくあやす様に叩きながら囁いた。
「ユキノの姿を見ていいなぁって思ったんだろ?まあ俺も色々と遠慮していてな。」
正直、今も抱きしめるのは勢いとはいえやり過ぎた感はあるが、ツクヨミの反応から察するにきっとこれが望みなんだろう。
ただ僕も紳士なのでウマ娘との身体的接触は避けるべきだと思っていた。
それに加えツクヨミは非常に発育がいいのでそれも避けようとした一つの理由だ。
「むーっ!ぱぱ!ななもぎゅーして!」
んっと小さな手を広げてぎゅー待ちしているナナ。
なんだこれ。天使か。天使ですら裸足で逃げ出す可愛さじゃないのか。
「はいはい、ぎゅー。」
わーい!と笑顔でぎゅーされるナナ。どこぞのメイド長の咲夜さんなら鼻血で死んでたぞ。
その後2人が満足するまで玩具にされた僕なのだった。




