3.回復とは…
病院のリハビリが終わって、藁科はご機嫌顔でバスを降りる。
地方都市は車社会なのでH駅前は広々としたロータリーと、
たくさんの路線バスの終点として立派な案内所があって。
郊外にある県下イチの総合病院直通無料バスもココから出ている。
リハビリはキツくて午前中1時間チョイでもクタクタ。
バンドで固めてあった肩回りは、動けるコトを忘れたみたいに頑なで。
たった数センチ腕を上げて回すだけで肩が壊れそうな激痛。
それでも半泣きでソレを続けてると。
少しずつ成果が出て来て嬉しくなる。
食事もカルシウムやビタミンDとかKとか意識して。
苦手な大豆製品とかキノコ類とかも目を瞑って食べてるし。
以前は何んとなく、筋肉質にならないように背が伸び過ぎないようにと、
咲美と似た姿で居るコトを意識していた気がする。
(けどもおエエやんなー。
輪郭とか骨格とかどんどん変わって行ったらエエねん。
姉ちゃんの配信用で居るンはおわり。
オレはオレん成ってスキな恰好しよ。
勝田の剣道着ってちょっとカッコエエよな。
リハビリやって腕回せるよーになったら素振り教えて貰おかな)
勝田と一緒に竹刀を振り上げてる自分を想像して、藁科の顔がニヤける。
今日は勝田の塾が無い日なので。
待ち合わせて駅前の何処かで昼を食べる約束。
稽古後の勝田が満腹にもなれて、食後たっぷり喋りも出来る店がイイ。
そーゆー場所をばっちりリストアップ済み。
それでも、いつもの勝田なら「剣道具持ってウロつくんメンドイ」と言うのに。
昨日のラインでは即OKスタンプが返って来た。
(オレが誘うン待っとったんやろか?)と思ってしまうくらい即返。
だから(まあたまたまや、浮かれたらあかん)と自分に言い聞かし。
ご機嫌顔を引き締めながら、バス案内所からロータリーへ抜けようとして。
藁科の足が止まった。
辰徳が居た。
午前中病院ならこの時間にバスを使うはず、と待ち構えていたみたいに。
藁科を見つけると、いつもの優しい笑顔で近付いて来た。
「咲也くん、肩の調子どない?」
「辰徳さん…」
先日辰徳に呼び出され、久保田に引き渡されたコトが藁科の頭を巡る。
リハビリで肩が元通りになるコトを想像する前に。
まだ片付いていない問題が残っている現実に連れ戻された。
目の前でニッコリ微笑む辰徳は。
相変わらずオシャレでカッコ良くて優しい笑顔。
以前は、咲美のオマケでも自分を見てくれたら嬉しかったのに。
今の藁科は緊張して身構えてしまう。
「あのっ!配信の話やったら姉ちゃんと直接してくれへん?
オレこの通りまだリハビリ中やし。
今は学校のんが大事やし、オレもお…」
「うん、そおやんな。
咲也くんはまだ高校生やし、学業優先やんな。
もちろん判っとるよ。
ただな今オレ咲美に避けられとって…でもちゃと話したぁて。
咲美と会えるよおに繋げて貰えへんかなーってお願いだけやねん」
ロータリーはバスやタクシー以外でも自由に送迎で使える。
だから屋根付ベンチもあって、休憩中なんかの人も座ってて。
笑顔で話しかける辰徳と藁科は、誰が見てもフツーのカップル。
しかも藁科は勝田に会うからわざわざ病院を出る時に着替てる。
黒ガーゼのワイドパンツに、ラベンダー色の後ろ開きカットソー。
雨粒みたいなガラスビーズを使ったピアスが小さくきらめく。
シンプルでただ上下のボリュームだけに拘った組み合わせ。
咲美ならこんな華の無いコーディはしない。
だから双子企画で咲美に合わせていた以前の藁科なら着ない服。
でも今のショートヘアで薄メイクになった自分にはこれくらいがイイ。
もう無理も真似もしないし、したくない。
こうならないといけない為のメイクじゃなくて。
こうなりたい為のメイクをする、そう思えるようになったのに。
目の前の辰徳は焦りを隠す笑顔で、藁科を前みたいに利用する。
「ホンマにオレも困っとるし、咲美んコトも心配やねん。
急にカード使えんくなって。
口座状況見よ思うてもログイン出来んくなっとるし。
もうな、配信継続の問題だけちゃうねん。
広告とかPRの契約とか、色んなトコに迷惑掛けてまうねん。
放っといたら咲美もめっちゃ困ってまうし。
ちゃんと話せんとあかん。咲也くんも判るやろ?」
声色や表情をコントロールしながら話続ける辰徳の顔を見てられなくて。
藁科は俯いてしまう。
この間、姉弟揃って両親に頭を下げて全てを話して。
案の定めちゃめちゃ怒られた。
軽いノリでイイトコ取りしてるつもりが、逆に。
どれだけ利用・搾取されているのか気付かない浅はかさ。
無傷で済んだのは奇跡やと、最後には両親は泣きそうだった。
とりあえず藁科は学生の本業に戻るコトで話は終わったけれど。
その日咲美と両親は徹夜で話し合ってたし。
それから何度も咲美は父親に付き添って貰って出掛けていた。
父親はメーカーのサラリーマンでコンプライアンス関係の部署。
法的な知識や経験を活かして、資金運用記録と契約関係を見直して。
出来る限り現状を白紙に戻す為に一緒に動き回ってくれた。
そして、いつもファッションを褒めるだけの母親も真剣なひとこと。
「結婚して生活を一緒に作って行くンはな。
愛情とお金どっちも揃ってへんと、続かへん。
それはどっちもようけ必要いうコトちゃうくて。
2人が同じ価値観で共有出来てるゆーコトや。
一度な、辰徳さんへの愛情と渡しとるお金と。
別々に見たらどおやろ?
どっちも充分足りとる?どっちかで穴埋めしてへん?
自分で見極めな。
そうせな幸せな結婚なんて出来へんよ」
咲美と両親の話合いに、藁科は同席させて貰えなかったけれど。
度々咲美が泣き腫らしたヒドイ顔をしていたから。
きっと咲美が色々切り離してる最中なんやと、藁科も感じていた。
だからこの辰徳の焦りは、咲美の選択の結果だと想像出来るけれど。
たぶん咲美は勇気が足りなくて、最後の局面からは逃げてるみたいで。
(何ンでオレを挟むんや…2人でやってくれ。
姉ちゃんも何ンか決めたんやったら、ちゃんと辰徳さんと話さんと。
こんな中途半端したら辰徳さんも気の毒やんか…)
そんな同情めいたキモチも湧いてきてしまう。
それでつい藁科が辰徳と目を合わすと。
辰徳はそれこそ藁にも縋る感じで、藁科の腕をキツく掴む。
「なあ、頼むで咲也くん。
ホンマにマズイ状況やねん。
久保田さんへのコンサル料も滞っとおし。
オレの作品を扱ってくれるサイトへの手付金も未納で。
このまんまやと信用無くして、もおオレ製作続けられんくなってまう」
辰徳に捕まれる腕の傷みと怖さで、藁科は硬直するけれど。
それよりも違和感が濃くなってしまう。
(何んか辰徳さんて…。
作品とか作家としてのセンスを信用されとるゆーより。
金を払うから、作家として扱われとぉみたいや…)
それは。
配信を始めた頃はメイクやファッションに関われるコトが楽しかったのに。
いつの間にか。
ウケることだけに、売れるものだけに振り回されてた自分達と重なって。
藁科は身体と頭がすうっと冷たく覚めて行く。
(オレも、こんなやったんや…)
「なあ…咲也くん」
急に辰徳の声が穏やかに調整される。
「咲也くん、オレんこと好きやろ?判っとったよ。
オレも咲也くん可愛いなーていつも思うとったんや。
男の子やとか全然思えへんし、そんなん気にせえへんし。
この間、久保田さんから人気配信の出演話貰うたんやろ?
どおやろ?やってみん?
オレ間に入るし、何んも面倒無しに話進めたげるよ?」
辰徳のその言葉でとうとう藁科の周りの風景がカチンと凍り。
ガラガラと割れて。
惨めさだけが顕わになってしまう。
(辰徳さんも、オレも。めっちゃみっともなー…)
ぽろぽろっと涙が零れて止まらなくなってしまった。
そんな縺れ話が始まる少し前、同じロータリーの端っこに3人。
六弘家の母親と瀬戸と次男の釉も、わあわあやり合っていた。
母親は陶芸家の父親の影響もあって再生陶器の研究機関に勤めてて。
今は美濃焼で有名な岐阜に単身赴任中。
釉も陶磁器の勉強をしたくて、春から愛知の大学に進学。
わざわざ母親が住む社宅の近くに下宿してるので。
母親の休暇に合わせて、こんな風に2人で帰省出来たりする。
愛知から高速を使って3時間でH駅。
そして家へ連絡して「誰か駅来てー」と呼び出されたのが瀬戸だった。
「ほんまは須恵に来て欲しかったンやけどねえ」
タメ息混じりで母親がぼやく。
「ほんなら須恵兄に直電すればエエやろ」
「電話したけど出えへんかったンや」
「瀬戸でもええやん。運転上手いし」
「出来るかっ!!」
のほほんと応える釉に瀬戸が険しい顔でツッコんでも。
この状況の問題点が釉にはイマイチ伝わらない。
「出来とぉやん。
ばあちゃんの軽トラが脱輪しても直したし。
いつも家の車をキレーに整えとるやん」
「それはばあちゃんの畑ン中の話やし。車庫入れも私有地やからや。
公道でしたら無免になるやろがっ」
そう、器用な瀬戸は見様見真似で運転が出来てしまう。
六弘家は両親と5人兄弟と母方祖父母と、9人の大所帯。
そして家の辺りは車が脚替わりな環境なので。
両親と長男の3台、祖父が陶芸品を運ぶミニバン、祖母の畑用軽トラと計5台。
瀬戸が動かせる車も場所もたっぷり有るし。
広い駐車場とは言え、それぞれがテキトーに車を突っ込むのを見てられず。
車庫入れを代わりにやっているうちに家族で一番上手くなった。
大学生の釉も免許は持っているけれど。
愛知から母親がハンドルを握るしかないほど、危なっかしい。
と言うか向いてない。
高速に乗るとノロイと煽られ、右折のタイミングが読めずに永遠にウィンカー。
「まあ自動ブレーキ付いとぉし。
あんたがいつでもPボタン押せるよおにしとったら、事故はせんやろ」
それだけ言うと。
母親はハンドバッグを持って、駅ビルの方へ向かおうとする。
H駅を真ん中にして、ロータリーとバス案内所があるエリアは事業ビルが並び。
反対側はデパートやファッションビルとオシャレな飲食店エリア。
「いや!ちゃうやろっ。
おかんが運転して一旦家帰ったらエエだけやんか」
「家帰ってまた出直すン面倒や。時間も無いし」
「何んでや?まだ昼やで。
おとんと外飯すンなら、夕飯にはまだまだ時間あるやんか」
「服とか靴とか見たいンやー夏物買い足したいし。
研究所の近くて買物ンするとこ無いし。隙間時間を有効に使わんと。
単身赴任で頑張っとる母親を労うてよー。
それに釉かてペーパーちゃうで。
研究所の近くではよお運転しとるから大丈夫や」
「あの辺て信号も無うて、陶土運ぶトラックと狸しか通らんやろ」
ごもっともな瀬戸の反論はもう母親には届かない。
ひらひら手を振ると。
ウキウキな足取りで駅ビルに入って行ってしまった。
残された釉と瀬戸は顔を見合わせる。
「ごめんなあ。いっつも瀬戸には面倒掛けとるなぁ」
「そんなん今更や。
オレ隣でウルサぁに指示すっからな、その通りやれや」
「ははは仮免の路上思い出すわー」
「後2年や。オレが免許取ったら運転するし」
「ええなあソレ。専属運転手かあ待ち遠しいなあ」
いつもの調子で釉はふんわり笑うけれど。
瀬戸の心臓は身体の内側でずっと喚いていて。
その理由が、危なっかしい運転の助手席に乗るから。
じゃないのは瀬戸も自覚してるので、ふううと深呼吸するしかない。
「水買うて来るワ」
「オレも飲み物買お。長い旅になるか知れんもんなあ」
「なるかっ15分で家着くワ」
そしてバス案内所横の自販機に向かおうとして。
瀬戸と釉の視界に、男性に腕を捕まれている藁科の姿が映る。
おまけにそれよりも少し前。
いつまで経っても約束の場所に藁科が来ないし、電話も留守録。
事故遅延でもしてるのかと思って勝田はバス案内所へ来たトコロ。
3人の必要条件が重なった。
「わらしな…?」
モールでのトラブルを知ってる瀬戸は眉間に皺を寄せて唸る。
藁科の泣き顔を見てしまった勝田はギリリと歯を食いしばると
そのまま駆け出し重い剣道具が入った防具袋を振り上げた。
立方体に膨れた重い防具袋が頭に当たって、辰徳はひっくり返る。
その勢いに巻き込まれた藁科もヨロケるけど。
しっかりと瀬戸が藁科を抱き留めて、呆れ顔で勝田に声を掛ける。
「おまえー…こんな人目がある場所で無茶すんなやー」
そう諭される勝田も、相当頭に血が上ってるのか荒い呼吸で言葉は無い。
真昼間のロータリー。
バスやタクシーを待つ人も、送迎の車に乗ろうとか降りたばかりの人も。
とにかく日常のワンシーン中に何事?と息を飲んでいる。
「騒ぎなる前に行くで」
空気が固まってる内に、とりあえず車に乗せるかと。
瀬戸が藁科を庇いながら振り返ると、男性数人が囲むように近付いて来る。
ずっと辰徳を見張っていて、とうとうタイムアップと登場してきたカンジ。
威圧感強い視線と声で牽制してきた。
「キミタチぃ、ビジネスの邪魔したらアカンでー」
「学生クンは家帰って宿題しときー」
ムカつくけれど、これ以上関わると無駄な火の粉を浴びてしまう。
そう判断して瀬戸は藁科と勝田を引っ張って車へ戻ろうとしたら。
男の1人が、そっちのコにはまだ用あるんやと藁科の肩を捕んだ。
しかも骨癒合したばかりの左肩。
痛みで声にならない悲鳴をあげて藁科はしゃがみ込んでしまう。
「何んするんやっ!」
剣道経験は長いけれど、勝田はケンカとか殴るとかしたこと無い。
それでも本能的に、試合で場外狙いの体当たりするみたいにぶつかって行く。
さすがにその男もヨロけるけど、すぐ勝田に反撃の一発。
初めて横っ面を殴られた勝田は視界がチカチカして血の味を感じる、でも。
しゃがんでいる藁科に全身で覆いかぶさって動かない。
結果3人セットで囲まれ膠着状態。
(しゃーない…1人殴って穴開けて。駅ビルん中逃げ込むか)
そんなコトを瀬戸が考えていたら。
イチバンあかん奴が、あかんタイミングで関わって来てしまう。
「子供相手に大人が暴力振るったらあかんでしょう。
ビジネスて言うンやったら、その子らには手ぇ出さんでください」
淡々と正論を言いながら釉が自ら近付いて来てしまった。
(だぁーーーーっ!
釉だけは巻き込みたぁ無かったンにーっ)
こうなると、瀬戸にとって優先するのは釉の隔離。
瞬時に釉の近くに居る奴を突き飛ばし、釉を引き離すつもりが。
突き飛ばされた奴の肘が釉の顔に当って釉は「わっ」と尻餅。
そして痛そうにしかめた釉の顔からボタボタと鼻血が落ちるのを見て。
瀬戸がキレた。
H駅のオシャレエリアには大き目の交番がある。
ロータリーに居た誰かが110番したのか、警官を呼びに行ったのか。
警察官数人の介入で5分もしないでその騒動は終ったけれど。
真昼間の公共利用地で起こったナマの喧嘩現場はドラマみたいで。
たくさんの野次馬でいつまでもザワついていた。
オトナを殴って蹴って倒しまくった瀬戸と。
藁科を覆ったまま、オトナから殴られ蹴られまくった勝田は。
そのまま補導。
鼻血とは言え胸元を真っ赤にした釉は病院に運ばれて。
藁科は別のパトカーに保護されたので、勝田達とは話も出来なかった。
瀬戸と殴り合ってた奴らは全員捕まったけれど。
辰徳はいつの間にか逃げてたらしく、いつの間にか姿が無かった。
そして親が呼び出され、学校の指導担任も呼び出され。
警察署でずーーーーと説教されー…長い長い1日になった。
でもロータリーに居た人達の証言のお陰で。
どう見ても堅気じゃナイ男達から友達を守ろうとした結果と認められ。
何んとか日付が変わる前に全員帰宅出来た。
3人とも顔を合わすことが無いままだったので。
ひとしきり親に説教喰らった後、部屋に戻った勝田はラインだけした。
見て貰えるのは明日やろなと思いながら。
そうしたらすぐ電話の着信音。
「藁科?起きとるん?」
そう言ったつもりだったけれど、口の中は切れてるし顔は腫れてるし。
言葉はフガフガ不明瞭。
「勝田…ほんまにごめん、巻き込んでもてごめん…」
「オレが自分から行ったンで、巻き込まれたゆーつもりナイで。
ほんま藁科と出会うてから色んなコトあって、びっくりだらけや。
藁科は肩どおなん?他に怪我とかせんかったか?」
「…勝田が助けてくれたんで。全然大丈夫や」
「いやそれ六弘のお陰やろ。
六弘が居らんかったら、藁科はあいつらに連れてかれとったで」
「…うん」
「そのー…説教臭いコト言うつもりは無いし。
配信とか化粧とか、藁科には大切なンやて解っとるつもりやけど。
えーと何んいうか、あんなコト有ったし。
ちょお控え目にした方がエエんちゃうかて、オレ的には思うとって。
そのオレ化粧とか服とか1個ずつは全然判らんけど。
藁科が着とるといっつも可愛ええなて思う。
今日の藤色?みたいな服はよお似合うとったし。
せやからその、オレが見とるンで。それでええコトにしたらどーかて。
藁科?何ンか言えや。怒ったんか?」
いつもながら。
思うコトそのまましか言えない性格だと、勝田だって自覚してる。
だからミュートされてる無音状態に勝田はギクリとしてしまう。
親と先生と警察から説教を浴び続けた1日。
これ以上は余計なヒトコトだと判ってはいるけれど。
言わずには居られなかった。
もう藁科の泣き顔なんて二度と見たく無かったから。
だはははとオッサン笑いしたり。
柔らかく笑みを浮かべて大事そうにメイク道具を扱ったり。
そーゆー藁科がイイ。そう伝えたいだけ。
なのに。
ブっとミュート解除になって聞こえてきたのは藁科の嗚咽。
泣き顔なんて二度とと思ってるのに。
「えっ?何んで泣いとるねんっ」
「うっぐすっうー…せ、せやかて…そんなコト言うし…
うーーーーっもーーっおまえのせいじゃあっ」
いきなりのボリュームアップ。
思わず勝田はスマホを耳から離すけど、同時に笑いそーになる。
その喚き声は。
ロータリーで見た、怯え固まって涙を流す藁科じゃなくて。
スーパーでひっくり返ってイヤイヤするコドモみたいで。
機嫌次第で意味も無く勝田にシャーする家の猫みたいで。
「はははっ何んやそれ意味判らんワ。
はははイテテっ、口ん先上がると痛いねん笑かすなや。
あんな、六弘とオレ謹慎2週間やねんけど。
夏休み中やん?とりあえず遠出禁止で。
8月最後4日登校して補習受けて。
9月から10日自宅謹慎やねん」
「10日?長いな」
「せやから机ン中プリントだらけなるやろ」
面白がる声の向こうに互いのニヤリ顔が見えてくる。
「しゃーないなあ。今度はオレがプリントまとめといたるワ」
「六弘の分もな」
「まかせとけ」
「頼むワ」
「うん」
「ほんなら、おやすみ」
「うん」
一応明日は病院で診察を受けることになっている。
大きな怪我はないけれど。
アドレナリンが切れる今晩は痛みで眠れないかもと言われている。
でも何やら違うホルモンが分泌されてるよーでまだ痛みは感じない。
ベッドに寝転ぶと、勝田はゆっくり目を瞑った。
でも身体は正直。
あの日から2日は身体中痛くて、起き上がるのも一苦労。
(防具着けて打突受けるンとは全然ちゃう痛みや…)
塾の夏期講習は、最終日の確認テストだけは行くつもりだけど。
身体は動かないし剣道場にはとても行けない。
せめて小林さんに挨拶くらいはしたいけれど。
ずっと家の中はそんな空気じゃなくて。
警察に呼び出された当日は怒涛の説教をした母親が、今は無視無言。
勝田がちょっと玄関の方へ足を向けるだけで睨まれる。
「何処行くねん」
「コンビニでゼリー買うて来る。口痛いンで呑み込み易いモンが」
「私が買うて来る。そんな腫れた顔で外出んとってっ」
ピシャリと落雷。
それも仕方ないとは思う。
母親にとって、地味で平凡だけど悪いコトだけはせんと思っていた息子。
それが。警察に呼び出されたのは当然初めてだし。
成績や進路の話以外で指導担任と面談するのも。謹慎処分という単語も。
よく言うアレ「ウチの子に限って…」と困惑も怒りも収まらない。
そんな重苦しい空気が充満する3日目の夕方。
父親も早退して勝田家3人揃って待ったのは。
剣道場の輝さんと、道場師範で七段教士の狭山さんの訪問。
「夏休み中の学生喧嘩は件数多い言うても。
正風舘の名入り防具袋持ったコやろ。私の耳にも入るワ」
輝さんは涼やかに笑う。
仰る通り、輝さんは有名剣士という前に警察官。
「私も調書見させて貰いましたけど。
今回は補導でも停学でも無うて、安全確保のための自宅謹慎です。
誤解せんとってくださいね。
実はあれから2日掛かって貰うたんですけど。
あの件の関係者は詐欺と脅迫の余罪があって。
今回現行犯逮捕やったンで、首謀者のひとりを逮捕出来ました。
その関係もあって仭くんらぁは家に居って欲しかったんや。
これからも捜査は続くんでまだ公表は出来んから、内緒な。
せやけどせめて情報提供のお礼と。
これからは安全で慎重な学生生活送って欲しいてお願いに来たんや。
痛い経験やろけど、それも活かして。しっかりやって行ってな」
静かだけど、気遣いと戒めがこもった輝さんの言葉。
あの日からずっと情けないとか恥ずかしい気持ちだった母親と父親も。
やっと安堵の息が付ける。
「そおやったんですか…」
「そおやな、仭も男やねんから。喧嘩のひとつくらい経験やんな」
「お父さん!」
「ははは、まあなあ小林さんの言う通りや。
下向いて生きなアカンよーな話ちゃうやんな。
上向いて。もお危ないコトに巻き込まれンよーにやって行こな」
父親が言うコトは、勝田もちょっと感じていて。
実は両親ほど謹慎処分が恥ずかしいとは思ってなかった。
相手を痛みと恐怖でコントロールするだけの力なら、それは暴力。
試合で強いとか勝てるとかの力とは別物。
だからこんな自分でも、負けるワケには行かなかった。
もうこれ以上藁科が痛い思いせんように、泣くことが無いようにと。
どんなに殴られても蹴られても、この手ぇ離してたまるか!の一心。
それをやり切れた気分の方が大きかった。
「この話聞いた時な、仭くんらしーなて思うたんや。
一緒に居った友達は怪我ひとつしてへん。守り切ったやんな。
ほんまにキモチが強いコや」
そんな輝さんの言葉も、今は素直に受け止められる。
「ご迷惑お掛けしました。色々ありがとうございました」
それでも、ありきたりの言葉しか思い付かなかくて。
ただソファに座ったまま深く深く礼をした。
ひと段落したトコロで、今度は輝さんの隣の師範が話し出す。
「そんで実は私からも伝えたいコトあってなあ」
勝田のレベルだと、稽古を見てくれるのは先輩の誰かで。
挨拶以外で教士と会話するコトなんて無い。
(そお言えばオレ、大切な防具でヒトをブったんや…)
何を言われるのか身構えたら、師範はちょっと厚みがある封筒を置く。
「これなモールの商品券や。
アプリのポイントやと使用制限掛かってまうんで、現物ですまんけど。
どうぞ勝田さん家で使うてください」
「え…と?」
「モールのアミューズメントエリアの方て。
テナントのオーナーがよお入替んで、協力体制が緩うてな。
いくら巡回警備入れる提案しても進まんかったンや。
そんな時に今回の件や。
監視カメラだけやと、コトが起こってからしか対応出来ん。
このままやと悪事の場所としてまた利用されて評判も落ちる。
巡回入れて予防と即時対応するしかナイて、押し切れてなあ。
やっと導入するンや。あんな事件は二度と起こさん。
事後報告で申し訳ないけど。
勝田くんが身体張ってくれたンが、こっちでも役に立ったし。
これはちょっとしたお礼なんや」
剣道の実力も人柄もどっしりとした重みがあって。
そのくせ穏やかで柔らかな表情と語り方はカッコイイ。
でもそんな教士とモールが結びつかない勝田家は困惑顔。
隣の輝さんが楽しそうな笑顔で補足してくれた。
「狭山さん、ここいらの大地主やから。
モールの土地も貸しとるんやで」
えーっ!と勝田家3人はのけ反る。
「この商品券、専門テナントは使えん店もあるけど。
ホームセンターやスーパーはなんぼでも使えるヤツやで。
どおぞ猫ちゃんにチュール買うたって」
警察官顔だった輝さんが、剣道場先輩の微笑みになる。
こうなると互いに顔を見合わせていた勝田家も。
にかっと笑って、ありがたーく封筒を受け取った。
急な来客で隠れてる3匹も、きっと棚の隙間で喜んでるはず。
8月31日。
勝田と六弘2人きりの補習最終日。
この補習でまた説教漬けになるンかなと予想していたのに。
そうでは無くて。
新学期10日登校しない分の先行授業だった。
はっきり言って教師には余分な仕事。
学校側も2人は単なる巻き込まれだと解ってはいるけれど。
地元でちょっとした話題になったので、何もしない訳にも行かない。
「オレらん為にも、もお騒ぎは起こさんでくれよー」と。
臨時出勤になった教師には愚痴られるし。
補習の内容も量もスピードもめちゃくちゃハードで頭はパンパン。
おまけに謹慎中の課題もたっぷり出されてしまった。
「くっそー貴重なセイシュンの夏休みを無駄にしたワー」
運動部の部活で掛け声と運動具の音だけが響く校庭を羨ましそうに眺め。
ボヤキ声で六弘は帰り支度。
「ファミレス寄って水分補給しよーや。コーラ1Lでも足らんワ」
「六弘やったらドリンクバー空にしそーやな。
けど謹慎やねんから、店に居座っとったらマズイやろ」
「もーマジ夏の無駄遣いやで」
勝田は六弘ほど凹んではナイけれど。
こんな授業先取り出来るんやったら塾要らんかったな、とは思う。
そうしたら午前中の稽古の後、もっと藁科と会えたかも知れない。
新学期が始まっても暫く藁科と会えないのは、何故か凹む。
がらっと教室のドアが開いて2人が振り返ると。
「おつかれー」
ニコニコ顔の藁科が大きな保冷バッグを持って立っていた。
「おーナマ藁科や。どおや肩の調子」
「学校明日からやで?どないしたん?」
「補習おつかれ会しよ思うて、フラッペ色々買うてきたー。
期間限定もあるし、ここで飲むんやったらセーフやんな」
そおかあ?と勝田は素直に喜んでイイのか迷うけど。
六弘はご機嫌顔になって保冷バッグからカップを取り出すから。
勝田も(まあエエか)と一緒に保冷バッグを覗き込む。
実際、藁科と直接会うのはあの日以来。
謹慎中やからと帰る選択肢なんて無い。
保冷バッグにはちゃんと牛乳パックも入っていて。
「うおぅ♪やった。
気ぃ利くなー藁科さんきゅ。コレ気になっとったんやー」
「コンビニて弁当しか買わんワ。これどないして飲むん?」
「はははっ勝田は定番棚しか見んやろな」
「凍っとぉからな、牛乳入れて半解凍のシャリシャリで飲むんや」
「ふーん」
コンビニで買物した後、溶けないようにと急いだみたいで。
藁科は汗びっしょり。
白シャツは肌に張り付いて、肌は日焼け止めが汗と混じって浮いている。
けど身を乗り出して、勝田の手元でフラッペを開けマジメに説明。
その雰囲気に、六弘はもう黙ってマンゴー味をずずぅっと吸うだけ。
とりあえず勝田は無難なカフェオレ味を一口吸う。
「へーおしゃれカフェみたいやな」
「やろー。
ほんまは休み中にお薦めの店とか連れて行きたかったンやけどな」
ついそんな本音が藁科からぽろっと零れるから。
六弘はにやにやしながら立ち上がる。
「オレ用事あるんや。これ1個貰うて帰ってええか?」
「溶けてまうで」
「ちょい味落ちるけど再冷凍してもイケるで」
「知らんかった。そーなんや」
「末っ子が甘いんスキなんで買うけど、飲み切れんでなー。
家で半分にして友達と一緒に飲ましとる」
「用事てヘーキなやつか?後少しの辛抱やで?」
さっきまでのボヤキを思って、勝田は少し心配顔で見送る。
「だーいじょーぶや。
ばあちゃんの畑で車の運転練習するだけや」
「えっ!無免やん!あかんやろっ」
「運転すんのは免許持っとる奴や」
何んだか楽しそうに帰って行く六弘の背中だけど。
勝田も藁科も訳が分からず??顔。
そして保冷バッグには今すぐは飲み切れない数のフラッペ。
ごくっと冷たいフラッペを飲み込むと、勝田は真面目な顔になる。
「あーえーと。
オレ謹慎やから出掛けられんけど。
藁科が時間あるンならウチ来るか?
これもゆっくり飲めるし。親仕事で居らんから気遣わんでええし。
そおや。
オレ家居る時間増えたせいか、最近猫も寄って来るよーなってな。
ほらこんな感じ」
勝田がスマホの写真フォルダを開けると。
キャットタワー代わりに勝田の頭や肩によじ登る姿や。
チュール絞り出し係になった勝田に群がる様子とか。
ヒエラルキー上下は別にしても、かなり距離が縮まっている。
「うわあエエなー。オレもおやつあげたりしぃたいー」
スマホを覗き込む藁科の顔が間近になる。
深い二重の目にはカラコンも無くて、アイメイクは軽め。
と言うか汗でファンデすらヨレている。
でも勝田にはメイクのことなんて判らなくて、ただ。
(やっぱ藁科は可愛い顔しとる)と思うだけ。
(こんな可愛い奴が遊びに来たら、猫も気に入るかもな)とか。
そんな勝田の心臓は少し熱くなってる気がするけれど。
冷たいフラッペを飲みながらなら、きっとクールで居られるはず。
「行こ行こー猫ちゃんにご挨拶やー。
あ、何んかおやつとか持ってった方がエエかな?」
「それは要らん。家にめっちゃおやつ買うてある」
「オレ、チュールの歌知っとおで。
ホームセンターの売場で聞くと、あれ頭ン中で永久再生やんな」
藁科はかなりはしゃいでいるし。
勝田も自然と笑ってしまう。
ちょうど蹴飛ばされた背中の擦り傷がカサブタになって、時々痒い。
今度は藁科に定規で掻いて貰おう。
フラッペが入って重めの保冷バッグを一緒に持つ時、
ちょっと手が触れて、そのまま2人は教室の向こうへ進んで行った。




