あれ、なんの話だっけ
電車の中で、なんとなく周りの会話に耳を澄ませてみた。
昨日まであちこちで聞こえていたはずの、あの話。今日は、どこからも聞こえてこなかった。
会社に着いても同じだった。昼休み、後輩に水を向けてみる。
「そういえば、あの夢の話、その後どうなった?」
「夢の話、ってなんでしたっけ?」
後輩は本気で首をかしげていた。冗談を言っている顔ではなかった。
「ほら、みんな同じ夢見てるって、この前……」
「あー……そんな話、ありましたっけ。すみません、あんまり覚えてないです」
数日前、あんなに前のめりに話していた本人が、である。他の同僚に聞いても、反応は似たようなものだった。「そんな話あったっけ」「気のせいじゃないですか」。
覚えているのは、自分だけらしかった。
仕事を終え、足はいつものように、あの居酒屋に向かっていた。
暖簾をくぐると、いつもの喧騒があった。大将が焼き鳥を焼く匂い、常連たちの笑い声、カウンターの向こうで威勢よく声を張る大将。何も変わらない、いつもの景色だった。
「よう、来たか」
「大将、いつもの」
ホッピーが出てくる。一口呷ると、強張っていた何かが、少しだけほどけていく気がした。
この空気の中にいると、あの数日間のことが、急に現実感を失っていく。もしかしたら、全部自分の見た夢だったのかもしれない。誰かから聞いた話も、都心での反応も、電車での大学生たちの会話も、後輩の言葉も、全部が寝ぼけた頭で作り上げた、都合のいい物語だったのかもしれない。
そう思うと、なんだか馬鹿らしくなってきた。
「大将、もう一杯」
いつも通り、笑って、飲んで、くだらない話をして。その日は、ただそれだけの、いつもの夜として過ぎていった。




