弐の二
「つまりはそういうことさ。理解したかな?」
中隊長が、甘やかに、美しく微笑う。
そこでようやく気がついた。透き通るような彼の青の瞳は、全く笑っていない。冷めてはいないが、ひどく乾いている。
そこには歓迎も、侮蔑もない。仲間意識も敵意もない。彼の視線はまさしくどうでもいいものを――確に言うのならば、「お客様」に向けるものだった。
(そういうことね……)
意図せず、拳に力が籠った。
つまりは第五中隊、特に第一小隊、第二小隊は身分が高い華族や高級将官の子女に用意されたお飾りの部隊なのだろう。なるほど詰所も豪華な訳だ。
華族ではなくとも異能の才能があれば入学できる養成学校とは違う――ここは箔付けを求めて軍にやってくる華族の子女が業務を遂行する場所なのだ。
要するに期待されていないということなのだろう。まあ、楽なのはいいことだ。
しかし。
気づけば次の瞬間、わたしは口を開いていた。
「中隊長。わたしは――小官は、その時がきたらぜひとも、妖魔討伐の任に着くことを強く希望します」
「櫻子?」
驚いたように悠真さまがこちらを見たのがわかる。
わたしも、自分自身の行動に面食らっていた。
……どうして着任早々、わたしは中隊長に食い下がっているの?
「隊にはそれぞれの特色がありましょう。ですから、伝統、というものもあるのだと推察します。けれども、帝都と臣民を守ってこその護士軍軍人。小官にも、帝國の敵たる妖どもを狩る栄誉を、是非に」
「……、ふむ」
僅かに目を丸くして聞いてい中隊長が、ゆったりとした仕草で椅子の背に凭れる。ぎい。僅かに木が軋む音。
「うーん。聞いていた話と違うなあ」
「はい?」
「ああいや、こちらの話だ。……書類仕事は厭かな? これも立派な軍務だ。軍隊も公の組織である以上、机仕事もきっちり行わなければならない。参謀たちが角突合せて議論できるのも、前線で護士たちが戦えるのも、書類を管理する者がいてこそだ」
「それは……ええ。承知しております」
「後方で安全に仕事ができる。ピッタリだと思うけれどね」
中隊長は何にピッタリかは明確には言わなかったが、それでも、彼の言いたいことはなんとなく察せることができた。せいぜい、『お嬢様の箔付けには』だろう。あるいは、『お坊ちゃんの初めてのご奉公』か。
(……莫迦にされたものだわ)
わたしは優秀なのだ。そんじょそこらのお嬢様じゃあない。女子で首席になった護士は稀のはず。
確かに、『あの時』までは腰掛け奉公のつもりでいた。
けれども今は本気だ。命を懸けてでも、わたしは手柄を上げたい。一刻も早く昇進したい。
兵藤雪哉を怒らせようが構わないと言えるくらいの女軍人になって、お姉様の鼻を明かしてやるのだ。
「無論、与えられた任務がどのようなものであっても、手を抜くつもりはありません。しかし、重ねて希望いたします。小官は、妖魔討伐の任に耐えうる確信がございます」
「……なるほど」
目を細めた中隊長が、ややあってから「いいだろう」と言った。
「検討しよう。綾小路准尉」
「ありがとうございます!」
「第一小隊長にもそのように伝えておこう。さ、各小隊の小隊長にも挨拶をしてきなさい」
「はっ」
退室を促されたため、敬礼し踵を返す。悠真さまが一拍遅れて敬礼し、ついてくるのを待って、わたしは中隊長の執務室を後にした。
*
「いや、まさか櫻子と同じ小隊に配属されるなんて驚いたよ。綾小路家も小御門家も中央軍にゆかりがある家だから、二人とも帝都に留まることになるだろうとは思っていたが」
「そうですね。驚きだわ」
小隊長に挨拶を済ませ、待ち合わせて悠真さまと食堂で夕食を摂る。課業や、訓練などが始まるのは明日からだという。
挨拶を済ませた第一小隊はほとんど皆華族出身で、揃ってあまり戦闘経験はなさそうだった。唯一、中堅の小隊長のみが【大妖】級とも戦った経験の持ち主だそうだが。
「思った以上に若い中隊長だったな。僕たちとそう変わらない……二十歳になるかならないか、くらいで」
「そう言われれば、そうね」
彼が二十歳だとして、それで大尉とは相当な出世速度だ。英雄に階級は関係ないが、二十一歳の兵藤雪哉が大尉のひとつ上の少佐であることを思うと、尚更。あるいは治癒異能持ちの軍医は特別なのだろうか。
(治癒異能……)
思わず、箸を持つ手に力が篭もりそうになり、あわてて脱力する。
「しかも相当な美形……所作も美しかったから、きっと上流階級の子息だろう。どこの家の人かな。夜会では見かけたことがないけど」
「あら。悠真さま、やけに中隊長を気になさるのね」
「そりゃあそうだよ。僕は君の目を奪ってしまいそうな男が君の近くにいないか、常に冷や冷やしてるんだ」
妙にぎくりとして、思わず箸を止めた。
……そうだ。「その件」がまだ宙ぶらりんになっているのだったか。
わたしは笑みが強張らないよう気をつけながら再び食事に向き直った。「もう、悠真さまったら。お戯れを」
「戯れなんかじゃないさ。僕は本気なんだ」
「そう?」
声色は明るく、それでも視線は合わせず応えたつもりだった。
しかし、自分でも思ったよりも素っ気ない態度になってしまう。
(……駄目ね)
上手くできない。あの日から。
これまでわたしは、極力彼を含めた対して愛想よく振る舞ってきた。学友たちは婿候補だからだ。こんなふうに、素っ気なく会話を流す真似などしたことはなかったのに、
(でも、このままではいけないから)
だって、あの「未来」では。
わたしは、「彼」に見捨てられて破滅していた――。




