弐の一
*
「……夢」
瞼を開き、見慣れた天井の木目が視界に入り、ぽつりと呟いた。
ここは、綾小路子爵家本邸の自室。夜が明けたばかりだからか、まだ辺りは薄暗い。
わたしは十六、もうすぐ十七。夢の中のように、尋常小学校にすら通えない幼児ではない。
そして、例の『幻覚』を見た祝賀パーティーから二箇月。わたしは本日から帝國護士軍の人として士官することになる。
さて。帝國には、軍と呼べるものは三つある。
一つ、治安維持及び陸上における対人の軍事作戦を遂行する陸軍。二つ、海上における軍事作戦を遂行する海軍。
そして三つ、対妖魔の戦闘を主とする護士軍。
妖魔のせいと言おうか、おかげと言おうか対人戦争の減った今上の御世でも護士軍の数は少ない。護士軍に入るためには養成学校を出なくてはならず、養成学校に入るには異能を使い熟す才能が必須であるためだ。
――ひとくちに対妖魔とは言っても、護士軍の任務は多岐にわたる。
対人戦闘と異なり、妖魔は神出鬼没故に明確な戦線というものが存在しない。 そのため、各地で妖魔を相手に戦う方面軍は、絶えず「妖魔の大軍が出没しやすい」と言われる区域を動き回るという過酷な任務に就いているのだ。
しかしそれでも神出鬼没の妖魔たちは、時折その哨戒戦をくぐり抜けてしまう。黒い霧のような身体を持つ彼らにとっては、人間の目を掻い潜ることなど造作もないということなのだろう。
そして、そういった妖魔どもを狩り、皇帝陛下や帝都の臣民たちを守るのが中央軍であり――、
これからわたしの仕官懸命の地となる処だった。
「中隊長殿! 新兵二名、到着いたしました。入室のご許可をいただきたく思います」
「入りなさい」
中央軍の護士たちの詰所にある、将校用の執務室。
戸を叩くと、穏やかな声が返ってくる。わたしは横に立つ『同期』と顔を見合わせると、「失礼いたします」という挨拶とともに戸を開けた。
「本日より第五中隊第一小隊に配属されました。綾小路櫻子准尉です」
「同じく第五中隊、第一小隊に配属されました、小御門悠真准尉です」
「よく来たね、綾小路准尉、小御門准尉。僕は晴仁、第五中隊隊長。階級は大尉だ」
まさか当隊に養成学校の首位と次席が揃って来るなんて驚きだ、と。
軍服の上から白衣を着用し、右腕に青い腕章を巻いた中隊長が柔和な表情で言う。
「今日からよろしく。君たちの働きに期待しているよ」
「ハッ」
「元気がよくて宜しい」
愉快そうに中隊長が笑う。
恐縮です、と『新兵』二人揃って応えた。
(……それにしても、本当に軍医なのね)
軍服の上に白衣を着ているのは軍医である証だ。
配属が決まった時に聞いてはいたけれども、まさか中隊長と軍医を兼任している将校がいるなんて。
(それに、彼のつけている青色の腕章)
この腕章が示すのは、希少な『治癒』の異能を宿しているという証。つまり彼は、【五色の雄】たちとはまた別に、階級以上の敬意を払われている上司だということだ。
そしてあの幻が本当に未来であれば、そんな彼の力さえも――姉の異能の下位互換ということになる。
「君たちも当然知っていることと思うが、中央軍の任務は基本的に帝都周辺の巡回と、帝都に出没する妖魔の討伐だ。定期巡回は四人一組の小隊で行い、強力な妖魔がいた場合、小隊同士で連携をして討伐に当たることもある。……君たち、四人一組で対妖魔戦闘に臨む訓練は?」
「養成学校で何度も経験しています。小隊同士の連携の訓練もしていました」
「そう、それなら安心だ」
とはいえ、と、白衣の裾を払った中隊長が執務机の椅子に腰掛ける。マホガニー製の天鵞絨張りの椅子だ。
まるで華族の屋敷にあるような誂えのそれに驚き、目を見張る。思えば、軍のいち詰所に過ぎないはずであるにもかかわらず、ここの建物は内装も外装もまるで国家機関の庁舎のようだった。
「そこまで構える必要はないよ。大尉である以前に治癒異能持ちである僕自身はあちこち駆り出されるけれど……君たちは実際に戦うことは殆どないだろうから。第一第二は書類仕事が主。それが伝統みたいなものでね」
「えっ」
思わず隣の悠真さまと顔を見合わせる。
帝都に蔓延る妖魔たちと戦うために首席・次席のわたしたちはここに配属されたのではないのか。
「中隊長殿。それは、第五中隊の担当区域は妖魔の出没が少ない、という意味でしょうか」
「いいや。多い、とまでは言わないけれど、我が隊に割り振られる任務もそれなりにあるよ。方面軍が取り逃した【大妖】級数体を一気に相手したこともあった」
「【大妖】を……」
【大妖】級。
通常の妖魔に対して、動物や人を多く喰らったことで魔法――人間と区別するため、妖魔の使う異能は《魔法》と呼ぶ――を使えるようになった妖魔のことだ。対妖魔の戦闘が激しい方面軍では【大妖】級どころか、更に強い妖魔も珍しくないと言うが、後方の帝都ではなかなか見かけない大物である。
悠真さまが、些かの困惑を露わにしながら「では何故?」と問う。
「忙しいのなら、手が空いている戦闘に参加すべきなのでは……」
「人には相応しい役割がある、ということさ。書類仕事も軍人にとっては大事な業務だ」
「……我々のような新米は、実戦の任には耐え難いということですか。しかし中隊長殿、我々の養成学校での実技成績は決して悪いものでは」
「ああ、違う違う。そういう意味ではないよ」
中隊長が、悠真さまの発言を遮る。
まるで聞き分けのない子どもを相手にするような声音だった。
「――綾小路少将閣下令嬢、そして小御門中将閣下令息」
「!」
「つまりはそういうことさ。理解したかな?」




