弐の三
「……それにしても、先刻は驚いたよ」
「あら。何に?」
「ほら、妖魔討伐に志願すると、そう言っていただろう。しかも真剣に」
「ああ……そう、ね」
思わず口篭る。わたしとしても、まさか上官に対していきなりあんな態度を取ってしまうなどとは思っていなかったのだ。
男たちを蹴落として首席の座を射止めたとはいえ、学校ではあくまで控えめで謙虚に見えるように振る舞っていたのに。いくら出世を望んでいても――。
「自分でも驚いているんです、大尉に対してあんなことを言うなんて……。きっと、なんだか侮られているような気がして、悔しかったのだと思うわ。わたしたちも役に立つんですって、知ってもらいたくて。わたしだけでなく、悠真さままで侮られていた気がしたから」
「そうか……。むしろ、優しくて責任感の強い櫻子らしいよ」
優しくて責任感が強い、か。「……そうかしら」
「うん。僕もあからさまなお客様扱いをされると思うと、確かに引っかかるところはあるしね。……でも、よく考えたら、安全なところで仕事ができるというのは、幸運なことでもあるんじゃないかな」
「幸運?」
「少なくとも怪我をしたり、命を落としたりしないでいいということだ。櫻子はその……いずれ軍を離れて誰かと結婚し、綾小路家を取り仕切ることになるだろう? それならそれまで、怪我をする心配のない安全な後方で仕事ができるのなら、ありがたいことじゃないか」
「……」
それは、確かにその通りだ。
つい最近までのわたしは、この采配を喜んだろう。無論手柄を立てられればその方がいいだろうが、どんな部署に配属になろうと軍属となったことは変わらないわけで、綾小路家の令嬢としての義務は果たせる。お母様もお父様も満足されるだろうと。であれば安全である方がいいに決まっている。
それでも――。
「そうかもしれませんね。でも、やはりわたし、人の役に立ちたいの。せっかく訓練を積んで軍人になったのだもの。護士とは、やはり、帝都臣民と皇帝陛下をお守りしてこそでしょう?」
「櫻子……」
強くなりたい。
お姉様に見下されるまま、破滅する己に絶望するくらいなら死んだ方がましだ。そのためには手柄を上げて、自分の価値を証明するしかない。
安全な書類仕事ばかり引き受けていては、それができない。
「民を守る、か。君はやっぱり優しいよ。美しく聡明で、優しいなんて、本当に君はすごい」
「……ありがとう、嬉しいわ」
「でも、やはり無茶はやめてほしい。戦うのは僕がやるよ」
「え? 悠真さま」
「もちろん異動になるまでは僕も君と同様書類仕事に勤しむことになるだろうが、それでも長く軍人を続ける以上は手柄を上げる機会も回ってくるはずだ。その時に一体でも多く妖魔を屠り昇進し、勝利を君に捧げると誓う」
だから、と言って悠真さまが凝と見つめてくる。
ぞ、と――背筋に悪寒が走った。
あの日の幻を思い出す。哀れみの目をもって没落する綾小路家を見下ろしていた、小御門悠真を。
「だから櫻子。やはり僕と、将来――」
「――悠真さま、ごめんなさい」
「え」
「着任したばかりで、緊張して疲れているんです。そういった大事な話は、また今度にしましょう。それに、人もあまりいないとはいえ場所も良くないわ」
あ、と悠真さまはやや焦ったように視線を周囲に配った。ここは仮にも軍の食堂、あまり明け透けに私的な会話は避けるべきだろう。
「す、すまない。君の言う通りだ。でもそれなら後で……」
「わたしは先に宿舎に戻っています。明日は早いのだし、悠真さまも早く休んでね」
にこりと笑うと、特に返事を待たずに席を立つ。ここには給仕はいないので、自分の膳は自分で片付けなければならない。
(勝利を捧げる、ですって?)
ありがたいこと。綾小路家が危うくなったら捨てるくせに。華族というものは基本的にそういうものだけれど。
……ああいや。そういえば、そもそも彼はそういう人か。
だって――彼は幼い頃から想い合っていたらしいお姉様を、あっさり捨てたのだから。
「ふふ」
ああ、おかしい。
やはりもう駄目なのだ。わたしは悠真さまの妻にはなれない。『腰掛け』でもいられない。
あの幻を「未来」と認識してしまったあの時から、もはや昔の人生設計のままではいられない。
どうすれば破滅を回避できるのか――やり方は分からないけれど、せめて、もっと軍人としての地位を確立しなくては。




