壱の三
「では櫻子、私たちは他のお客様方にも挨拶に行かねばならない。お前は自由に楽しみなさい」
「そのドレス、よく似合っていてよ。今のあなたを前にすればどんな殿方だって頬を染めるわ」
「まあ、お母様ったら。褒めすぎだわ」
「褒めすぎなものですか。我が娘ながら本当に可憐……どこかの野草とは大違い」
恥ずかしげに笑ってみせれば、両親は満足そうに去っていった。 次のお客様に挨拶に行くつもりなのだろう。
わたしは上機嫌の父母の背中を見送ると、くると踵を返す。そして壁の「野草」に向かって歩いていく。
ぱちりと視線がぶつかった。恥じ入るように即座に伏せられた時に、心が逸る。
「あら、お姉様。こんな端にいらして、どうしたの」
「さ、櫻子」
まるで今姉の存在に気がついた、というように語尾を高くして、言う。なるべく周りから優しそうに見えるように微笑んで。
当然、わたしは姉・菫子がずっとひとりで壁際に佇んでいたことを知っていた。そして寂しそうに、父と母とわたしを見つめていたことも。
「あのね、今回は本当にお目出とう。首席だなんて、本当に凄いわ――」
「着物もこんな地味なものを着て、髪飾りもみすぼらしい造りだし、肌だってかさかさだわ。可哀想なお姉様、使用人に怠慢をした者がいたのね。今のお姉様、まるで幽霊みたいよ」
姉の陳腐な褒め言葉を無視して、あえて声高に哀れんでみせる。そのため僅かばかりではあるが、周囲の目がこちらに集まり、冷笑が漏れるのが聞こえてきた。
「そんな、でもね櫻子。この着物はお義母様……いえ、奥様に――」
「お母様がどうしたの、お姉様」
「……、いいえ。なんでもないの。みっともない装いで、目汚しだったかしら。ごめんなさい」
悲しそうに笑い、姉はまた目を伏せる。それを見て思わず、舌打ちが漏れそうになった。
なんて惨めで弱い女。
もちろん、「地味な着物」も「みすぼらしい髪飾り」も、姉を見せるために母が仕組んだことであると、わたしは知っている。
けれどせっかく人の目を集まるところで、「継母に罠を仕掛けられたのだ」と言う場と作ってやったのに、口を噤むとは。
(……わたしやお母様に気でも遣っているつもりなのかしら)
わたしがこの女ならば、この機会を逃さない。すかさず自分の味方を増やすために動く。自分の立場が弱いことがわかっているのならば、自分にある武器を使えるだけ使い、やれることをやるだろう。少なくともわたしはこれまでずっと、そうやって生きてきた。
だというのに、何もしない。
役立たずのくせに、可哀想な自分に酔うことばかりが上手なお姉様。
「せめて着替えていらっしゃいよ。そんな恰好では素敵な殿方を捕まえられないわ。せっかくたくさんの美男子たちが来ているのだから……お姉様、着飾ったらとても美人なのだし」
「そんな、わたしなんて」
「お姉様はせっかく侯爵令嬢であったお母君の血を引いてらっしゃるんだから。綺麗になさらないと」
ね、と、優しげな声を作って言う。
それで、櫻子様は野草の姉君にも優しいのねと、周囲が言葉を交わしてくれたのだから儲けもの。わたしは目を弓なりに細めると、「ああほら」と姉の耳のそばで囁いた。
「あの篤志家の男爵様、もうじき四十路らしいけれど雄々しくて素敵よね。少々お年はいっているけれど、後妻を探していらっしゃるとのことだし、少しお話していらしたら? 血筋がよくて若い娘がよいとのことだし、気に入られれば一生楽な暮らしができるわよ」
「え……」
「あら? でも楽な暮らしは今もそうかしら。異能を使えないお姉様は、訓練訓練の養成学校に行く必要もなくて、お屋敷でずっとのんびりしてらしたのだものね」
「……」
羨ましいわ、と言うと、姉は青ざめた顔で俯いた。
「そう、ね。声を……かけてみようかしら」
「素敵」
そうよ。
ある程度整った容姿と、血筋――無能なお姉様にはそれしかないのだから。
せめてそれを用立てた実のある結婚で、家の役に立ってもらわないと。
「櫻子」
と、その時だった。
名を呼ばれて振り返れば、そこには礼服を着た小御門悠真が立っていた。どこか緊張した面持ちでいる彼を見て、姉が小さく「悠真さん」と呟くのが聞こえた。
(ああ、たしか……)
小御門悠真は姉の一つ年下の幼馴染だったのだったか。わたしにとっては付き合いのある家の子息であるというよりも同級生だという認識だけれども。
そう、まだ互いに異能が発現していなかった幼い頃は、二人は親しくしていたとかで――。
わたしは即座に笑顔を作ると、「まあ悠真さま」と朗らかに応えた。
「卒業式典以来ですね。本日はご出席いただいてありがとう」
「いや、こちらこそお招きいただきありがとう。成績で負けてしまったのは本当に悔しいけれど、清々しくもあるよ。首席卒業、お目出とう」
「ふふふ。いい好敵手でいられたのならよかったわ。うちのパーティーは楽しんでくださっている?」
「もちろん。……櫻子、あの、この後少し時間を貰えないかな。君に少し用があって」
そこまで言って、ようやく彼は姉の存在に気づいたらしい。はっと顔を強張らせると、「菫子も一緒だったのか」とどこか気まずげに視線をうろつかせる。
「……すまない、会話の邪魔をしてしまったかな」
「いえ、大丈夫よ。大した話はしていなかったから。……それで、悠真さま。わたしに用とは何でしょう」
「あ、ああ、それならよかったよ」悠真さまはちらちらと姉を気にしながら言う。「でも、あまりここでは……。主役の君にここを抜け出せというのは偲びないけれど、よければ、そうだね二人でたとえば庭園にでも行かないか」
「まあ、二人で?」
祝賀パーティーを二人で抜け出そう、という誘いか。であればその用事の内容とやらにも粗方の想像がつく。
目の前の伯爵令息は柔和で整った顔立ちをやや緊張させている。……本当にわかりやすい人。お姉様の前では気まずいというのが一目瞭然だ。
(そしてお姉様は……嫌だ。真っ青なお顔)
青いというよりは白か。本当に幽霊みたい。
思わず、笑ってしまいそうだった。
――だって姉は、この優しそうな風貌の彼に想いを寄せているのだ。
しかもその想いは、少なくともかつてにおいては、一方通行のものではなかったと聞いている。『二人とも大人になったら、結婚しよう』と、幼い頃誓い合ったとかで。
そして、今はわたしが小御門悠真の「想い人」。
ああ、なんて可笑しいのかしら。
「ぜひ……と言いたいところなのだけれど。でも、やっぱりお姉様を一人にするというのも」
ねえ、と言って姉を見る。
惨めな菫子は我に返ったように目を見開くと、それからややあって、少し寂しげに笑ってみせた。
「……いいの。わたしのことはどうか気にしないで、櫻子。せっかくなのだし、二人で行ってきたらどうかしら。パーティー会場でずっと社交のご挨拶では、あなたも肩が凝るでしょう」
「そう? お姉様がそう仰るなら、そうしようかしら」
「ええ」
消え入るような声で、姉は相槌を打つ。悠真さまはわかりやすく顔色を明るくさせた。
「じゃあお姉様、行ってきますね。……そうだ、わたしが悠真さまとお話している間に、きちんと男爵さまにもご挨拶をしていらしてね。きっとよ、お姉様。このご縁が綾小路子爵家を助けるわ」
「そうね、……そうするわ」
視線は合わない。ここで睨みもしないのか。
ああ本当に、つまらない女。




