参の三
⠀自室に戻ると、既に私服に着替えていた凛々子さまが「遅かったわね」の一言で迎えてくれた。どうやら異能を上手く活用するための兵法の書を読んでいたらしい。
「少し上官と話し込んでいたものですから……凛々子さまは自習ですか」
「ええ。せっかく小隊で手柄を上げられるようになってきたのだし、わたしももっと連携を上手く取れるようになりたいと思ってね。うちの小隊はせっかく四人全員別の属性の異能を持っているのだから、それを活かした戦い方ができるのではないかと思ったのよ」
「なるほど。さすがは璃々子さまです」
「ありがとう。でもね、こういう、具体的な『成長のしかた』を考えるようになったのは、あなたが来たから」
凛々子さまが悪戯っぽく微笑む。
「妖魔の恐ろしさを知っている者として、立派な軍人になりたいと思っていた。でも同時に私は、恐ろしさを知っているからこそ、妖魔と戦うことに尻込みしていた。穏やかなこの中隊にいることで、『軍人としてやっていけている』と自分を誤魔化していたのよ。そうしたら、あなたが来た」
「凛々子さま」
「初めは腰掛け奉公のお嬢様だと思って、侮っていた。私も辞めるつもりがないだけで、変わらない癖にね。……けれど、あなたは誰よりも我武者羅に努力して、今となっては第五中隊でも小隊長格の実力者だわ。あなたの情熱に、負けていられないと思ったの。……そうだわ、ずっと言えなかったけれど、言わなくてはね」
あなたを侮ったことを謝罪するわ、と。
璃々子さまが本を閉じて立ち上がり、頭を下げる。さらりとした黒髪が肩を滑り、下げた彼女の顔を隠す。
(情熱……)
わたしの情熱は、この人に頭を下げさせるほどに、立派なものなのだろうか。
「……璃々子さま。どうかお気になさらないでくださいな。今は、わたしを仲間だと思ってくださっているのでしょう?」
「もちろんよ」
「それなら、わたしはそれで構いません。大切なのは今ですもの」
「そう……」璃々子さまは安堵したように目を細めると、嬉しそうに何度も頷く。「そう、そうよね」
「はい」
「よかった、なんだかすっきりしたわ。……ああそうそう、もう一つ大事なことを言い忘れていたわね。もしかしたらこちらを先に言うべきだったかしら」
俄に慌て出した璃々子さまが、書類と本の積まれた机に向かっていく。そこにあったのは、一通の、桜の透かし和紙の封筒。
「こちらあなたにお手紙よ。つい先程、通信兵から預かっていたの」
「まあ……お手紙」
珍しいこと。そう思い差出人の名を見て、目を丸くする。
差出人は綾小路子爵――お父様だった。筆まめとは程遠い人が、一体何の用でわたしに手紙を出したのか。
ふと、嫌な予感がした。
(……まさか)
糊を剥がし、便箋を取り出す。そして中身に目を通し、わたしは思わず便箋をぐしゃりと握り潰した。ぎょっとした様子の璃々子さまが、「どうなさったの?」と訊いてくる。
「いえ、なんでもありません。大丈夫です」
そこには。
兵藤公爵家の御曹司が綾小路子爵家の娘と縁を結びたいと希望しており、次の祭日に挨拶に来る予定だから、帰宅せよと――そう書いてあったのだ。
2
軍人にも休日というものがあり、普段は兵舎に寝泊まりする我々も、休日には自宅に帰ることが許される。特に帝都に家を構える、身分の高い軍人たちは、親兄弟の顔を見によく帰宅していると聞く。
――しかしわたしは、綾小路家として出席したほうがよかろうというパーティーや夜会、宴会などがある際は家に帰っていたが、最近は足が遠のきがちだった。
理由は言わずもがな。姉と顔を合わせるのが億劫だからだ。
けれども。
「もう、どうして言ってくれなかったの? まさかあなたが縁付きを提案されるほど、公爵令息と親しくなっていただなんて。寝耳に水だったわあ」
「ひと月前の、中園元中将閣下主催の花見の会からかい? 確かお前も、公子も出席していただろう」
「いえ、ですからお父様、お母様、わたしはそんな……」
【白】の言うところの、『綾小路子爵家の娘』というのが、わたしだと思われているところが、姉と顔を合わせるよりもよほど面倒だ。
お母様もお父様も浮き足立ってしまっている。お母様など、新しい色留など下ろして、鼻歌でも歌い出しそうな様子だ。使用人たちに応接間を調えさせている彼らは、少しでも邸内をよく見せようと必死だ。
わたしは、使用人にまじって家具の調整をしている姉を見た。お姉様もお姉様で居た堪れない様子であるのは、おそらく、彼女は自分が【白】の相手だと既に知っているからだろう。
(まさか、こんなに早いとはね……)
歯噛みする。
いつの間に、【白】とお姉様は出逢っていたのだろう。できれば二人が出逢うのを邪魔するか、婚約話まで出てくる前に自分の立場を固めたかったが、そうもいかなかったか。
あの『幻』では、お姉様と【白】が出逢い、時期がよくわからなかった。兵藤雪哉が帝都にいるのは知っていたが、二人を邪魔をしようにも、やりようがなかったのだ。
「旦那様、公子さまのお車が到着されたようです」
「よし、玄関までお迎えに行くぞ」
母の侍女が上擦った声で父を呼ぶ。階級としては少将で、兵藤雪哉よりも立場が上のはずの父が出迎えまでするとは。ここにも、兵藤公爵家と綾小路子爵家の家格の違いがありありと出ている。そもそも、華族にとって婚約は家同士のものであるところ、公爵家から正式に打診があるわけでもないのに突然公子がやってくるという時点で、大分下に見られているのだ。
……その上でお父様もお母様も、わたしと兵藤雪哉がどうこうなるのだと思い込んでいるのよね。
少し考えれば、そうではないこともわかりそうなものだけれども、この後起こる騒動を思うと気が滅入る。そして、これで『幻』で見た破滅へ大きく近づいてしまうということもまた、憂鬱を誘うというものだ。
あの『幻』のなかでわたしは、婚約者であった悠真さまのことなどすっかり忘れ、お姉様ではなくわたしを選んで欲しいと、兵藤雪哉に迫っていた。自分ではなくお姉様が選ばれるという事実を認められずに我を忘れたのだ。
そうして、兵藤に見苦しいと切って捨てられる。
(今日は、そうはならない)
そんな醜態を晒すつもりはない。そもそも兵藤雪哉の婚約者になりたい、などと微塵も思っていない。
けれど――『選ばれる』お姉様を、幸せそうなお姉様を見て、自分が冷静でいられるかどうかは。
正直なところ、わからなかった。




