参の零
――綾小路子爵家が長女綾小路菫子は、誰にでも愛される子どもだった。
母が綾小路子爵の後妻となることが決まり、わたしが綾小路家に引き取られたのは、五歳か六歳のことだった。霊力を持って生まれた子どもに異能が発現するのは一般的に八歳から十歳にかけてであるので、その時にはわたしもお姉様も、異能は使えなかった。
であるので、当然。
引き取られたばかりのわたしにとって、綾小路家は針の筵そのものだった。
「ご覧になって? なんて派手な女。あの女が旦那様の新しい奥様だなんて」
「どう見たって色街の女よ。綾小路子爵家の家格に相応しくないわ」
「お嬢様もお可哀想だこと。侯爵家の高貴なお血筋を引いている菫子様が、あの女を継母と呼ばねばならないなんて」
連日使用人たちは母やわたしの悪口で盛り上がっていた。
下働きはともかく侍女や執事にもなると、子爵家に長く仕える家の出身も多く、気位が高い。見下される視線が悔しくて、悔しくてならなかったことをよく覚えている。
――そのなかで、お姉様だけが優しかった。
聞こえよがしに陰口を叩く侍女たちを裏でやんわり宥めながら、わたしを見かけては明るく話しかけてきた。
「櫻子、ご本を読んであげるわ」
「このお菓子、西洋の珍しいものなんですって。ね、半分こしましょう? ……あっ、失敗しちゃった。大きい方をあげるわね」
「ねえ櫻子、いっしょに寝ない? わたし、子守唄がとくいなのよ」
それでも、何くれと気を遣っているのが丸わかりなお姉様に、こう尋ねたことがある。
「お姉さまは、わたしのことが嫌じゃないの?」
「ええ? どうして?」
「だって、みんな言ってるよ。わたしのお母さまが、お父さまを奪っちゃったって。お姉さまの、お母さまから。それにわたしのお母さまだって……わたしのこと、できそこないだって」
「お義母さまが、そんなことを」
お姉様が痛ましそうに眉を寄せ、わたしの身体をそっと抱き寄せる。そして静かな声で耳元に囁いた。
「……たしかに、わたしも、少しさみしいと思ったことはあるわ。お義母さまがいらしてことで、お父さまやみんなに、お母さまが忘れられたらどうしようって」
「なら、やっぱりわたしのことも、お母さまのこともきらいだよね」
「いいえ。そんなことないわ」
お姉さまは優しく笑った。
まだ七歳かそこらの年齢だったというのに、まるで慈母の笑みだった。
「お義母さまと櫻子が来てから、お父さまが元気になった気がするの。ずっと塞ぎがちだったのに。……わたしはお父さまが元気なら、とてもうれしいの。それにね、わたし、あなたのような可愛い妹ができて、毎日とっても楽しいのよ」
「可愛い? でも、みんな、わたしのこと、みすぼらしいって」
「そんなことないわ。だから櫻子はそこにいるだけでいいの。とても可愛いから」
だからそんな悲しい顔、しないで――。
そう言って、お姉様はわたしの頭を撫でたのだ。
お姉様の笑顔は完璧だったが、彼女が強がっているということは、わたしにもわかっていた。
後妻となったお母様はどうやらお姉様に辛く当たっていたようだし、人のいないところで泣きそうな顔を見せているところも、目撃した。
傷ついていないわけがない。
だというのに、お姉様はわたしを励ました。慰めて、頭を撫でた。その頃には字も読めず、子爵令嬢としての振る舞いもできず、ただただ庶民の子どもでしかなかったわたしを、忌々しい継母の娘のわたしを、抱きしめたのだ。
その時思ったことを――有能さを証明し、父の関心を独占し、多くの使用人たちのわたしへの手のひらを返させた今でも覚えている。
『負けた』
と。
そう、強く、感じたのだ。
わかっている――わたしは捻くれている。性根の曲がり方が母そっくりなのだ。自覚がある。
だから子どもの頃から、『本を読んであげる』は『文字も読めないのね』に聞こえていた。『珍しいお菓子を半分こしましょう』は『あなたみたいな子はこんなもの食べたことないでしょうから、与えてやってもいいわ』に。『子守唄がとくいなのよ』は『子守唄が必要なくらい幼いねんねちゃんだものね』に。
優しくされるたびに、敗北を感じて苦しかった。
そこにいるだけでいいなんて嘘だ。役に立たねば、生きていてはいけないのだから。お母様だって、そう言っていたじゃないか。
――綾小路菫子はいつだって清らかでうつくしい。異能が使えないことが判明し、父親に失望され、継母やその侍女らに虐げられ、妹に見下されても、妬まず、驕らず、欲張らない。
(わたしは、そうはなれない)
一生。
一生、醜いままだ。




