弐の九
(……は?)
小隊長の緊張しきった声に、わたしは目を見開いた。
なんだって? 誰の救援が来たって――?
「被害状況を報告しろ。貴官はここの隊の小隊長か?」
「ハッ。第五中隊第一小隊長、三条少尉であります」
「第五中隊……成程」
白銀の世界と化した、帝都の南区域の一角。
その人物は悠々とした足取りで現れた。
天を流れる銀河を思わせる白銀の髪、闇の中でなお、澄んだように煌めく翠の瞳。
軍服の胸には数多くの勲章と、少佐の階級章。
そして、皇家の紋章を象った徽章。――それこそ、わが国が誇る【五色の雄】の証である。
(この男が……)
かつて見た幻の中の姿と一致する。
この男が、【白】の兵藤雪哉か。
「第一小隊隊員に損害はありません。近くで戦っていた部隊の戦闘も終了した模様です」
「そうか。ご苦労」
「しかし、何故【白】の御方と白帝隊の方々が帝都に? たしか今は東方方面軍に出没したという【災害】級に、【紅】の御方と共に対処に当たっていたはずでは……」
些か興奮気味の小隊長と、静かに応える兵藤雪哉を呆然と見つめる。
――この氷漬けの世界を、たった一人でやったというのか。
いくら新米ばかりの小隊とはいえ、四人いたのだ。古参の第一小隊長もいた。
その四人がいても、ただ逃げ惑うしかできなかった【大妖】級の妖魔を、まるで大きな術を使った余波でついでのように討った。
(冗談でしょう……?)
この美しい化物に、将来、お姉様が添うというの?
「信じられないわ。私の目の前に英雄がいらっしゃるなんて」
「真宮寺准尉」
「英雄の業を、生涯で二度も目にできるなんて、望外の幸福だわ。これって凄いことなのよ! 櫻子さん」
真宮寺准射はもはや涙を流し出しそうな興奮ぶりだった。そういえば、彼女は【紅】の英雄に命を助けられたことがあるのだったか。
「この氷も……まさに名にし負う【白】の御方よね。複数の霊力を同時に扱うなんて、 たとえ複数持ちであって、皆にできることではないわよ」
「複数の霊力を同時に、ですか。そんな方が本当に?」
「軍部では有名よ。【白】の英雄が使う『氷』の異能は、複数の霊力を組み合わせて編み出された、新しい形のものだって」
養成学校の授業で習った。異能を受け継ぐ家系において、五元素以外の異能を持って生まれてくる確率と同じくらいの稀さで――複数種の霊力を備えて生まれてくる子どもがいると。
(つまり、複数の電力を、同時に、そして混ぜて使うと……)
氷を生み出す、などという離れ業が可能になるのか。
わたしは兵藤雪哉を見る。
白銀の髪は水の霊力の総量が規格外である証左だが、翌瞳は違う。「翠」は風の色だ。つまり彼は、強い「風」の動力も備えているということなのだろう。
あまりの事実に足が萎えて、その場に座り込みそうになった。
……なんという才能だろう。これが本物の天才か。
わたしは初めて、心の底から彼を畏れた。
いずれこの男が、わたしを破滅に導くのか――。
「軍機なので詳しいことは話せないが、東方戦線に異変が起きたものでな。隊の者たちと共に帝都に急ぎ戻ることになった。恐らく、【紅】の樋宮大佐殿も近くお戻りになる」
「東方戦線で異変……」
「詳細についてはそのうち上から共有があるだろう。晴仁大尉であれば部下たちに過不足なく知らせるはずだ。……それより、三条少尉」
「ハッ」
「貴官の第一小隊に迫っていた妖魔は、火の異能を使う【大妖】級のほか四体いたはずだ。私が祓ったのは【大妖】級一体のみだったが……他の低級四体は貴官が祓ったのか」
「いえ、少佐殿。手勢の四体は……」
小隊長が言いかけたその瞬間、わたしは反射的に前に出ていた。
「――わたしです」
兵藤が視線だけをこちらに寄越す。
繊月の淡い光の下で、翠の瞳が凍てつく光が放っている。
「……貴官が?」
「第一小隊の綾小路准尉です。わた、いえ、小官が祓いました。退避せよとのご命令でしたが、妖魔の数を減らさなければ、真面な撤退すらかなわないと判断いたしました」
ばく、ばく、と心臓が嫌な音を立てている。
――美しい男だ。
もしあの『幻』を見ていなければ、わたしも彼のような人と結ばれる未来を夢見ていたかもしれない。容姿端麗な公爵令息にして、国の英雄。婿探しをする令嬢として、憧れないはずもない。
けれどもわたしはこの男を、敵として認識している。破滅を導く強大な敵――。
「なるほど。新兵にしては、出来るらしい」
「ありがとう、ございます」
「だが今回の場合、【大妖】を倒さねば結果は同じだった。精進しなさい」
「は……」
瞬間、身体が凍りついたかのように、動かなくなった。
次いですぐ、火がついたかのように顔が熱くなる。
確かに、兵藤雪哉の言う通りなのだろう。この男がいなければわたしは、隊は、混乱のうちに【大妖】に食われ全滅していたかもしれない。
だが、わたしのやったことは無駄だった、と切り捨てられたも同然な言い様に、屈辱と悔しさに身体が震えた。
「……はい。帝國護士に相応しくあれるよう、鍛錬を、続けます」
「ああ」
こちらの屈辱など何処吹く風で頷いた【白】は、小隊長と二言三言会話をすると、次の救援のためにその場を去っていった。
恐らく、今夜の任務はこれで完了だろうとのことだ。わたしたちはこのまま詰所に戻ることになるらしい。
それもこれも全て、『【白】が助けてくれたお陰』とのことで。
(……悔しい)
自然と、振り込んだ拳に力が入った。爪が掌に食い込む痛みなど忘れて、強く強く握り締める。
(悔しい。悔しい!)
わたしはこれまで、自分のことを優秀だと思っていた。机にかじりついて勉強せずとも、養成学校を首席で卒業できた天才なのだと。だからきっと、死ぬ気で努力すれば、英雄と呼ばれるのもすぐだと。
だというのに――これほどまでに、遠いとは。
わたしはこれまで、役立たずに生きる資格などない、という価値観のもと生きてきた。
これからがどうあろうと、能無しにもかかわらずのうのうと、華族令嬢の生まれを利用してお気楽に生きてきた姉と仲良くなんて絶対にしたくない。
……無能は、醜い。
では、初任務で無様を晒した、今のわたしは?
「嫌……」
「櫻子さん?」
諦めるのは、嫌。
だったら、やるしかない。……天才と凡才の差を見せつけられたけれど、それでもやるしかない。
超えるべき壁を、近くで見ることができたと思うしかない。
(どうすればいい? どうすればあの男を追い抜ける? 兵藤雪哉より強くなれる?)
わたしにはあるのはそこそこ優秀な「水」の力だけ。霊力では悠真さまよりも劣る。
であれば、技術か知恵で彼を上回るしかない。今の状態では、それも難しいのかもしれないけれど。
霊力操作は得意だ。異能を扱うためには、自分の異能で成せることを想像する力が不可欠だが、結果を強く想像することには自信がある。そこを伸ばすべきか?
――いや。
それでも、きっと足りないのだろう。
何かを、わたしだけの武器を見つけなければならない。
(それで、わたしは、必ず)
彼を追い越す。
……本来、【白】は水の異能を使う英雄に贈られる称号だったはず。それが護士軍の伝統なのだ。
であれば正しく「水」の異能の使い手に渡されるべきだ。【白】を奪うのだ。彼から。
「やって、やろうじゃないの」
見ていなさい、お姉様。最後に笑うのは、このわたしよ。




