弐の五
追加の訓練が終わる頃にはとうに日が暮れていて、頭上に月が上っていた。疲労困憊で満足に口もきけないでいると、小隊長に強引に連れてこられたのは医務室だった。
「わあ、これは酷いな。掌の皮が派手に捲れてる」
「中隊長殿、お忙しいところ申し訳ございません。軽傷ではありますが、これでは明日以降の業務に差し支えるので、新米の治癒をお願いしたいのです」
医務室で診療録らしきものを確認していた中隊長が「久々の休憩時間だったんだけど」と苦笑する。
今ならわかる。軍医が中隊長を兼任するなんてことが起きているのは、ここがお飾り部隊だからだ。ゆえに中隊長は中隊長としての職務というより、軍医としての仕事に奔走しているのだろう。
「それにしてもこれは……剣を振らせたのかな? 養成学校の訓練は甘いからね。掌が固くなっていなかったらこうもなるよ。……それにしてもちょっとやりすぎかな。汗みずくだよ彼女」
「ハッ、申し訳ございません!」
「追加の、訓練は、わたしが希望、したものです」
「へえ」
息も切れ切れに報告すると「上官同士の話に部下が口を挟むな!」と、小隊長の叱責。
「いいよいいよ。しかしそうか、綾小路家のご令嬢がねえ……」
「中隊長殿。ここの訓練は確かに幾らかその……アレですがね。新兵には大分キツいものですよ。ですのでまさか訓練を追加しろという女新兵がいるとは俺たちも」
「だからつい燥いだって訳か。『こんなぼんぼん部隊に久々にしごきがいがある新兵が来た』!」
「ハ! ですので、中隊長殿におかれてはお疲れのところお手数をお掛けするのですが」
「そんなに畏まらなくとも、僕の隊員だ。必要なら治すさ。……さ、三条少尉、君らもさっさと宿舎に戻りなさい。綾小路准尉はここに座って」
「はっ」
簡易な回転椅子を勧められ、腰掛ける。わたしをここまで連れてきた小隊長は「では失礼いたします」と、敬礼と共に医務室を後にした。
「それじゃあ、手を出して」
「はい」
「よし。《癒せ 黎明告げる鐘 其は星よりも燦やかなりき》」
三節詠唱。記録されている治癒異能のなかでも、上級に分類されるものだ。
途端に掌が青い光に包まれ、次いで身体全体が淡い光に包まれた。ほんの僅か、視界が青くなる。
そして瞬きをすれば、次の瞬間には掌の傷は殆ど癒えていた。
「……凄い」
思わず呟く。
これが、治癒の異能か。 たしかに重い傷ではなかったけれど、こんなにあっという間に治ってしまうなんて。
(そして、この異能ですら)
いずれ目覚めるお姉様の異能よりも、格下だというのか――。
「もう大丈夫だ。念の為、包帯を巻いておく。とはいえ、暫く無茶をしてはいけない。わかったね」
「……」
「こらこら綾小路准尉。上官の指示には即座に是で応えるものだ。小隊長たち相手なら張り飛ばされているよ君」
「! も――申し訳ございません。疲労で、ついぼうっと」
頭を下げるこちらを見て、中隊長が呆れたように肩を竦める。大人びた方だが、その表情は、やはり二十歳そこそこの若者のものに見えた。
「そこまで疲れ切るほど、訓練に勤しむとはね。どうしてそう必死になるんだい」
「軍人が、訓練に精を出すのは当然のことではないでしょうか。長く妖魔から臣民を守るのが軍人の本分でしょう」
「おや。君は早期に退役する心算だと耳にしたが。綾小路子爵家の跡取り娘だものね」
目が笑っていない笑顔で、違ったかな、と言われて押し黙る。こちらを見る目は、どこか冷ややかだ。
――違う、のだろうか。婿を取り、夫とともに綾小路家を継ぐ。そうしたいと思っているのは変わらない。
しかし。
「強く、なりたいのです」
「強く?」
「それだけは偽りのないことです。強くなり、妖魔を討ちたい。誰よりも、多く」
【五色の雄】よりも多く。
己の地位を磐石なものにできるくらいに。
「……そう」
短く、中隊長が相槌を打つ。
こちらを見つめる視線から、ほんの僅かだが、硬質な冷ややかさが和らいだのがわかった。
「ですが、剣を振ってこんなざまではいけませんね。学校では小銃を好んで使っていましたから、どうしても慣れなくて」
「……水の異能とは水を撃ち出す銃が相性がいいからかな。とはいえ、様々な武器を使い熟せるようになることは必要だよ。妖魔のかたちは千差万別、銃が効かないものもいれば、刃物が効かないものもいる。そもそも自分にどんな武器が合っているかは、実戦を経験しないとわからないものだ」
まあ、と中隊長が薄く笑う。
「軍医は前線には出てもほとんど戦闘をしないから、僕の意見は参考にはならないかもしれないけれどね」
「いえ……むしろ、驚きました。軍医殿でも、前線に出られることがあるのですね」
「ある。治癒異能の使い手は希少なので、そうそう前には出られないが、たとえば、【五色の雄】が出張るような妖魔災害にはね」
(【五色の雄】……)
もしや、晴仁中隊長は会ったことがあるのだろうか。あの、【白】――兵藤雪哉とも。
「綾小路准尉」
「はい、中隊長殿」
「君はどうして強くなりたいの?」
蒼穹のごとき双眸に見つめられ、言葉に詰まった。やや遅れて「先程申しあげた通り、妖魔から帝國臣民を守るためです」と答える。
中隊長は片眉を上げて「そう」とだけ返した。
「うん、君が強くなりたいというのは理解した。そして、君自身に実力があること、軍人としての責務を果たす意欲があることも。……なるほど、才能があるのなら腐らせるのは些か勿体ないのかもしれないね」
「え? それって」
「――とはいえ、妖魔討伐はそう簡単なものでもない。模擬敵を相手にするのと、本物を相手にするのは全く訳が違う」
だから、と。
軍医の目が挑戦的に撓んだ。
「自分の希望を通したいのなら、まずは直属の上官に実力を認めさせてみなさい。――それができないようでは、命懸けの戦いに『お客様』を征かせるわけにはいかない」
「……はい」
わたしは立ち上がった。むらむらと、闘争心が沸き起こってくる。
やはりわたしたちはまだ、新兵どこらか『お客様』でしかないままなのだ。軍務を離れるかもしれないからだけじゃない。侮られているのだ。『腰掛け』抜きでも。
「必ず、中隊長殿のご期待に応えてみせます」
「いい威勢だ」
やってやる。
わたしは負けるのが嫌いだ。
無能と侮られるのは、もっと。




