カミラとのトレーニング
「おう、お帰りロニール。今日は早いんだな」
家に帰ったロニールを出迎えたのはオルト。彼はロニールがプレゼントしたタンクトップを着用し、ウェイトトレーニングに励んで汗を流していた。
ウェイトトレーニングに打ち込むロニールを見て湧き上がる興味を抑えきれなかった彼は、ロニールから種目やフォームを教わった。そして、重量や回数で表れる明確な成功体験の連続と、手軽で深い爽快感を味わったことにより、彼は筋トレの沼にどっぷりとハマることとなったのだ。
「ただいま。これから人と使うんだけど……そろそろ終わる?」
「人と使うって?まあ終わるが。これが最後の種目、次がラストセットだ」
「この前言った人だよ、女の人。ストレスを解消して心を健康に保つ術を必要としてるんだよ」
「ああ、今日だったか。心の癒やしか、じゃあウェイトだな。……おっと時間だ」
インターバルの終わりを迎えたオルトは、デッドリフトの姿勢をとると、大量の重りをつけたバーベルを床から引き上げる。回数を重ねる彼だったが、しっかりとコントロールされたウェイトは終始物音を立てなかった。
(父さんは日を追うごとにデカくなってるな)
父を見るロニールは思った。
筋トレにハマったオルトの成長速度は半端ではなかった。もともとの恵まれた体格に加えて、鬼人の子孫としての才能もあるのかもしれない。重りが足りねえ、と言った彼は、ウェイトトレーニング用のプレートを鍛冶屋で再発注して買い足していた。
(重りの追加はありがたいけど、嫉妬するくらいデカいんだよな)
成長が速いとは言え、未だ子どものロニール。肉体の完成はまだ先になる。しかしオルトは今年で29歳。成熟した肉体でトレーニングに打ち込むその様子は非常に見応えがあり、ロニールとしては先を越された、と感じていた。
宿の管理の合間を縫ってのトレーニングを終え、片づけを済ませたオルト。
「『クリーン』。ではロニール、お相手にウェイトトレーニングの魅力をしっかりと伝えてあげるんだぞ」
彼は《生活魔法》で汗に濡れた身体と服、そして器具を綺麗にすると、宿へと戻っていった。
〇
オルトが去って10分ほど。
「こんにちは〜」
家のドアがノックされると共に聞こえた声に、ロニールは出迎えに動く。
「こんにちは、カミラさん。来て頂いてありがとうございます。入って、どうぞ」
「あ、どうも。お邪魔します」
ロニールとの予定通りにカミラが顔を見せた。
ロニールは挨拶もほどほどに、カミラに運動着に着替えてもらう。そして彼女と一緒に準備運動を行い、身体をほぐしていく。
「カミラさんにオススメしたい運動がありまして。戦闘団の訓練で行ってきた事とは一味違って、新鮮に感じてもらえると思います」
動的ストレッチをしながら、ロニールが言った。
「最近、休養を取ることが多いので少し運動不足に感じてるんですよね。楽しみです」
ロニールの独特な準備運動を真似しながら、にこやかに言ったカミラ。
ロニールは、カミラの社交辞令のようなその言葉に、彼女の乗り気具合を推し量ることができなかった。
「体調のこと、順調に快復に向かっていると聞いています」
「そうですね、サミュエル神父の《神聖魔法》やカウンセリングのおかげもあってか、じきに完全復帰できそうです」
「良かったです。自分もこれから第1小隊でお世話になりますので、改めてよろしくお願いします。……さて」
準備運動を終えたロニール。彼は器具のセッティングをしつつ、話を続ける。
「これから行う運動の総称をウェイトトレーニングといいます。特定の筋肉に対して集中的に刺激を入れていくのが特徴です。ほかの運動と比較して特に注目したい効果としては、効率的な筋肥大、神経系の発達です。今日は基本となる3つの種目をご紹介します……ではまず、ベンチプレスから」
そうして最初の種目の準備を整えた彼は、基本のフォームや注意事項を丁寧に説明した。
〇
長椅子に仰向けになり、ベンチプレスの姿勢をとるカミラ。
「ではアップから始めましょう。ハイッ」
ロニールの合図とともに、カチャン、と小気味良い金属音が鳴る。
バーベルをラックアップしたカミラ。
ロニールが補助に手を添える中、教わった通りのフォームを意識しつつ、20キロのバーベルを丁寧に挙げていく。
(あ……「効いてる」かも)
今まで経験してきた、動作の多い運動では感じたことのない筋肉への刺激。いつもの訓練で味わうような、身体の広範囲に感じるズッシリとしたツラさではないそれ。
特定の筋肉に集中するとはこういうことか。彼女は言葉でなく、筋肉で理解できた。
そうして8回挙げたところで、バーベルをラックに戻した。
「上手いですね〜!フォームに乱れなし。カミラさんの感覚的にはどうですか?関節や筋肉の痛み、突っ張り、不具合はありませんか?」
いつになくテンションを上げたロニールが言った。
「異常なし!効いてる感じしました!」
「えっ、初めての1セット目で!?それは才能ですよ、カミラさん!」
「ええ?そんなそんな」
やたら褒めてくるな、とカミラは思った。
(でも悪い気はしない……いや、むしろ心地良い!)
カミラのベンチプレスは、セット毎にプレートが追加され、重量が上がっていく。それに伴って挙げられる回数は少なくなっていくが、刺激は一層強く、ハッキリとしていく。
「計算上、次が恐らく今のカミラさんの1RM……えー、最大挙上重量になります。つまり、最高強度の運動になります。身体への負荷が大きいですが、もし痛めても回復できますから」
そう言って、ロニールはポーションを見せつける。いざという時のために用意しているのだ。カミラがケガでウェイトトレーニングを嫌いにならないように。
「ということで、さあカミラさん!気合いを入れていきましょう!」
「はいっ!」
トレーニング開始時からテンションを煽り続けるロニールの声かけに、完全に乗り気になっているカミラ。
実のところロニールは、カミラはテンションを煽った方がパフォーマンスを発揮するタイプだろう、と踏んで乗せまくっているのだった。最近はどこか陰のある雰囲気の彼女だが、初対面の快活な様子が印象的で、それこそが彼女のニュートラルなのだろう、と思ったから。
「上げまーす、ハイッ」
ロニールの合図。カチャン、と小気味良い金属音。
「離します」
バーベルがスタートポジションにあることを確認した彼は、手をバーベルの下に添えたまま、支えるのを止める。
(っ、重い!)
「スタートポジション」の時点で分かる。挙げられるかどうかは五分五分だ、とカミラは思った。
彼女は一層集中力を高め、胸骨に向けてじわりとバーベルを下げていく。そしてピタリと下げ切ったバーベルを、挙げるべく切り返す。
「くっ!!!」
しかし、バーベルは胸から少し離れたところで止まってしまう。
「挙がるぞ!挙がる!!挙げろおぉぉぉ!!!」
ロニールは失礼を気にせず、全力でカミラの気合いを煽る。
(潰れっ……ない!挙げる挙げる挙げる挙げ……)
「くっ、ぁぁあいっ!!!」
彼女なりのシャウトとともに、カミラは最大挙上重量を挙げることに成功した。
ガチャン、と、補助をしながら即座にバーベルをラックに戻したロニール。
「ナァイスっ!!!」
彼はカミラの健闘に、思わず叫んでしまう。
「……」
カミラはかつて経験したことのない、深く、強い刺激に放心する。そしてじわじわと、明確な成功体験による達成感で、心が埋め尽くされていく。
(挙げられた……勝った!)
自分を押し潰そうとした重りに、そしてどこかで無理と感じた、弱い自分に。
彼女の内心にポジティブな感情が吹き荒れる中、ロニールからどこか挑戦的な、しかし気持ちのいい声がかけられる。
「さて、カミラさん。もう1セットいきますか?それともドロップにしますか?何にせよ、まだ始まったばっかりですからねえ!」
「そうですねえ……」
カミラは息を整えつつ、考える素振りを見せる。そしてニヤリと笑って言う。
「挙がったので、足してみようかな」
「おっほ」
予想の斜め上を行く返答に変な声をあげたロニール。彼は新たなトレーニーの誕生を確信しつつ、そそくさと準備をした。
〇
「今日はありがとうございました」
抱えていた陰が消え失せ、スッキリとした表情で玄関に立つカミラが言った。
彼女は今日1日で、ベンチプレス、デッドリフト、スクワットの3種目すべてをこなしていた。
「こちらこそ、ありがとうございました」
カミラを見送ろうとするロニールは言った。
「初回とは思えない、素晴らしい取り組みに感動しました。今日は充分に栄養をとって、しっかりと身体を休めてください。そこまでがトレーニングの一環です。そして、良ければまた使いに来てください。両親にも伝えておきますので、宿の方に顔を出してもらえれば許可が下りると思います」
家に誰もいない状況で他人を入れることになるが、カミラが窃盗に走るなど考えてもいない。王国軍の基本給に加えて、前線での活動成果の分け前でたんまりと稼いでいるだろう彼女が、今更そこらの一般家庭から何を欲するというのか、とロニールは思うのだった。
いや、一般家庭というには両親は宿の経営をかなり上手くやっており、潤っているが。とにかく、第一線を張る戦士が目を付けるようなものは何一つない。
「ありがとうございます。お言葉に甘えるかも知れません」
人様の家に恒常的にお邪魔するのはさすがに気が引ける。そう思ったカミラは、少し曖昧な返答をした。
ロニールの家を後にし、帰路につくカミラ。
(久しぶりにスッキリした気分だな)
あの模擬戦で問題が表面化して以来、心を覆っていた陰鬱とした幕のようなもの。それが今は感じられない。長く続いた曇天が青空へと変わり、久しく陽の光を全身に浴びている気分だった。
(ウェイトトレーニング、か)
ロニールが教えてくれたあの運動が、味わった心身への強烈な刺激が、この晴れやかな気分を作ってくれたのだ。
あれは自分との対話だった、と彼女は思った。そして自分との協調でもあった。
追い込む過程で自らを確かめ、最後の1発を挙げようという時には自らを信じる。肉体と精神を全集中するその瞬間、感じる刺激と自身の意志だけが世界を構成する。その他には何もない。悩みも、不安も、ストレスも。
挙げきれずに潰れることがあろうとも、身体に残る刺激が快感となり前を向かせ、果敢に挑戦したという事実が自己肯定感となり自信となる。そして自分自身に、次も頑張ろうよ、と声をかけるのだ。
なんと崇高で、なんと快い行いだろうか。
(……また行って良いんだったな)
人様の家に入り浸るのはやはり気が引けるが、しかしまた味わいたいと思うのだ。アレを。
次はいつにしようかな、などと考えながら、彼女は歩いていく。
かつてなく効かされた脚を棒のようにしながら、のしのしと奇妙な歩き方で。




