第23話 真実
シュー、カチ。シュー、カチ。
ベッドの上の老人は、枝葉のような細い腕を持ち上げて、手元の何かを操作する。
ウィイインという音が鳴って、ベッドの半分が傾くと、たくさんの管に繋がれた老人の上半身が持ち上がった。
老人の口元は透明の器で覆われていて、小指ほどの太さの管が枕元の箱に繋がっていた。
年輪みたいに刻まれた皺くちゃの顔の中で、翡翠色の瞳だけが宝石のように強く輝いている。
「こうして顔を見るのは……八百年ぶりか」
八百年ぶり。
器具越しにくぐもった老人の声に、俺は振り返ってダンを見た。
ダンは困ったようにボリボリと頭を掻いてバツが悪そうにしている。
「お頭、知り合いだったのかよ」
「……おう、まあ、な」
さすがに呆れる。
言葉にするのが下手くそすぎだろ。
「そんな目で見るんじゃねえ」
「なんだ……説明しておらんかったのか。言葉が足りんのは……相変わらずだな」
ベッドの上の長老も、呆れたように笑っている。その一言で、本当にダンのことをよく知っている相手なのだと分かる。
「エルフは他にもいた。長老がお前だって確信がなかったんだよ。ノーレン」
その声には、八百年分の懐かしさみたいなものが滲んでいる気がした。
俺たちの知らないダンの顔だ。
「何か聞きにきたのだろう。……生憎この様な姿でな。近くにきてくれ」
エルフの長老、ノーレンに手招きされ、俺たちは入り口から部屋に入ってベッドへと近づいた。
バタン、と重い扉が閉まる。
セリオンは部屋の外で待っているつもりらしい。
ベッドを見る。
呼吸をするたびに、枕元の箱がシュー、カチと規則正しく音を立て続けていた。
きっとこの箱が、この老人の代わりに息をしているんだ。 ふと、枕元の反対側の壁に目がいった。
薄い板のようなものが壁にはめ込まれていて、ぼんやりと光っている。その中に、見覚えのある景色が映っていた。
白い樹の門。さっき俺たちが通ってきた、里の入り口だ。
門番が槍を構えて立っているのが、小さく映っている。
あれは……今の景色か?
どんな魔法なのかはわからないけれど、ノーレンは、俺たちが来るのをこの場所から見ていたんだ。
ダンの顔も、俺のペンダントも、全部。
「お前が……今代の『剣』だな」
管だらけの身体。紙みたいに薄い皮膚。翠色の瞳だけが鋭く俺の方を見つめる。
器具に覆われた口元から漏れてくる声は、水の底から響くみたいにくぐもっていた。喋ること自体が、この老人の身体に負荷をかけているのが分かる。
「ああ。どうも、そうらしい」
「……それで。何を……聞きに来た」
「俺が、死なずに済む方法を探してる」
思ったまま答える。
ノーレンは、しばらく黙っていた。
透明な器の奥で、浅い呼吸が繰り返される。
「……座れ」
ノーレンが言った。
「長い話に……なる」
◇
「どうせこのバカは……何一つろくに、説明もできんのだろう」
長老――ノーレンの第一声に、ダンが苦虫を噛み潰したみたいな顔をした。
否定しないあたり、自覚はあるらしい。
ダンは壁際に背を預けて腕を組み、ノーレンの方を見つめている。
ノーレンは枕元の箱に繋がれたまま、ゆっくりと天井を仰いだ。
「お前たちが『黒の物語』と呼んでいるもの。……あれの正体を、知っているか」
「御伽噺では、世界を滅ぼす邪神だって」
「邪神、か」
ノーレンは、ふっと器具の奥で息を漏らした。笑ったのかもしれない。
「……千年も経てば……何でも神話になるな」
「あれは、神でも悪魔でもない。……人が作った、巨大な爆弾だ」
「爆弾だと!?」
ガスが身を乗り出して声を上げた。今にもノーレンに飛びかかりそうな姿に、エルケとミーナが慌てて押さえ付ける。
「……爆弾?」
俺も、思わず呟いた。
爆弾ひとつで、世界が滅ぶっていうのか?
「千年前の世界は……今とは、まるで違った」
ノーレンは、一言ずつ区切るように語り始めた。
「人は空を飛び……海の底に街を作り……光を瓶に閉じ込めて、夜を昼に変えた。……今のお前たちの想像を……遥かに超える力を、人間は持っていた」
光を瓶に閉じ込める。
里に入った時、管の中を流れていた白い光を思い出した。
ダンが「デンキ」と呼んでいた、あれか。
同時に、失われた塔の壁も思い出す。継ぎ目のない金属。千年経っても錆びない表面。
あれも、千年前の人間が作ったものなんだろうか。
「その力の頂点に……立っていたのが、一人の男だった」
ノーレンの声に、苦いものが滲む。
「そやつは……世界で最も優れた頭脳の持ち主だった。目に映るもの全てを理解し……手に触れるもの全てを、作り変えることができた」
ダンの顔が、ぴくりと動いた。
きっと、そいつも千年前の知り合いなんだろう。
「……天才だった。天才だったが……戦争に、心を蝕まれた。自分の作った道具で……人が殺され続けることに、耐えられなくなって……壊れた」
ノーレンは息を整えてから、続けた。
「そして国を騙し……敵を滅ぼす兵器だと偽って、強力な爆弾を作った。戦争を終わらせるためではない」
「世界中の愚かな人間を……滅ぼすために」
「それが……お前たちの言う、『黒の物語』だ」
沈黙が降りた。
リザリアが、俺の袖をぎゅっと掴んでいる。小さな手が震えていた。
「……黒の物語は……自分で意思を持ち、自分で動き……自分で判断する」
ノーレンは続けた。
「壊そうとすれば、勝手に直る。止めようとすれば……別の手段を編み出す。自分で考え……自分で学び、自分で強くなる」
「……世界を滅ぼす威力を持った、爆弾なのだ」
ごくりと、誰かの唾を飲む音が聞こえた。
爆弾が自分の意思を持っていて、自分で好きなタイミングで爆発しようってことなのか?
そんな馬鹿な話。
とてもじゃないけど受け入れられない。
「黒の物語を完成させ……起動させた後、男は自ら命を絶った。その爆弾を止める……唯一の方法を、この世から消すために」
一人の天才の狂気が、千年も続いて人類を苦しめる。
あまりにも壮大で、壮絶な話だ。
ノーレンは呼吸を整えてから、話を続けた。
「男には……二人の子供がいた」
「娘と息子が一人ずつ。そしてその娘……アルバは、父に負けぬほどの天才だった」
アルバ。
その名前に聞き覚えがあった。
モルディアス邸で聞いた、ダンの恋人だったって人だ。
「カガクシャ、ってやつか?」
「……ダンに、聞いたか」
ノーレンはそうだと頷いて、息を整えてから続ける。
「アルバは国から……責任を取れと命じられた。お前の父がしでかしたことだろう、とな」
「アルバは天才だったが……それでも黒の物語を、完全に壊すことはできなかった」
「だから代わりに……眠らせることにしたのだ」
「それが……封印の、仕組みだ」




