第20話 2982時間
空が白んでいた。
水路を流れ続けた俺たちが、ようやく地上に這い上がったのは、モルディアス領からずいぶん離れた河原だった。
冷たい水を吐き出して、俺は砂利の上に倒れ込む。
息ができる。
空が見える。
生きている。
「……全員、いるか」
ダンの声。
返事の代わりに、あちこちから咳と呻き声が上がって、俺は安心感に目を閉じた。
◇
「……魚、獲ってきたよ」
ずぶ濡れになった髪をかきあげて、ドサドサと焚き木の前に魚を放り投げるロイズを見て、俺は思わず「バケモンじゃん」と声を漏らした。
あれから二日間、俺たちは傷の回復のために河原にとどまった。
ガスの火傷はまだ治ってないし、エルケやミーナもようやく調子を取り戻したばかり。
すぐに動くにはみんな満身創痍過ぎる。
それなのに、だ。
目の前のロイズは、一週間前は意識不明の重体で、二日前はダンに担がれて移動するのがやっとだったはずで。
それが今は、元気に川の魚を素手で捕まえて黙々とメシの準備をしている。
「おまえ、昨日まで死にかけてなかった?」
「もう治った」
俺の問いに短く答えて、ロイズは小型のナイフで魚の内臓を取り出している。
そういえば、モルディアス領の医者も「エルフの回復力が〜」とか言ってた気がする。
「すげえんだな、エルフって」
俺が思わず口から漏らすと、ロイズは手を止めて、ぎっ、と鋭く睨んできた。
「エルフじゃない」
「…………ハーフだ」
「わ、わりぃ」
失言だ。
ロイズは、エルフのことをものすごく嫌っているのを忘れてた。
同族に両親を殺されたんだから、そりゃ恨みもするよな。
エルフは長命だって聞くけど、ロイズは俺の一個上の十七歳らしい。
見た目も年相応に見える。やっぱり、ハーフだからなんだろうか。
「ウギギ……俺様も早くまともに動けるようになりてえ……」
「ガスはもう2〜3日は安静かなぁ」
包帯だらけの顔で、羨ましそうに唸るガスに、エルケが肩を竦めた。
◇
河原の夜は静かで、星が近い気がした。
ロイズが焚き火で焼いてくれた魚を、俺たちは黙って食べた。
「……なんか香ばしい匂いがする。ロイズ、魚に何か塗った?」
「何も塗ってないけど」
不思議に思っていると、隣で魚を齧っていたエルケが俺の肩を叩いて、得意げに小さなガラス小瓶を揺らして見せた。
「じゃーん! みてよこれ〜! 逃げる時、厨房を通ったからさ、塩と胡椒とスパイスもいくつか貰っちゃった〜」
「おまえ、あの状況でよくそんな余裕あったな……」
「金目のものは貰えるだけもらう。盗賊の鉄則だぜぇ、ライオ」
呆れる俺にウィンクをかまして、エルケはケラケラと笑った。ミーナも「さっすがエルケ」と親指を立てている。
ああ自由だな。
思わず星空を見上げた。
モルディアス邸で食っていた豪華な料理より、ちょっと焦げた魚のほうがずっと美味く感じる。
目の前に視線を戻すと、リザリアが両手で魚を持って、必死に齧り付いていた。
骨を上手く外せなくて苦戦している。
「……こうやって持って。親指でここを押さえながら」
「……こう?」
「そう」
ロイズが手取り足取り教えると、リザリアはぱあっと顔を輝かせた。
「できた!」
「……よかったね」
ロイズの口元が、少しだけ緩む。
俺はその光景を眺めながら、ふと気になって口を開いた。
「……なあ、リザリア」
リザリアが顔を上げる。
「時間って、あとどれくらいなんだ?」
聞くタイミングを間違ったかもしれない。
和やかな夕飯の雰囲気が一瞬で凍りついた。
ミーナとエルケが手を止めて、ガスがゴーグルの奥で目を細める。
ダンは薪をくべながら、静かにこちらを見た。
リザリアは魚を石の上に置き、目を閉じた。
ゆっくりと、深呼吸をして、青い瞳が、赤く染まる。
「……2982時間」
具体的な数字。
リザリアの瞳が、また青色に戻る。
冷えた空気は、戻らない。
世界が滅ぶまであと2982時間。
3000時間を切っていた。
モルディアス領で浮かれていた間も、怪我をして治療していた間にも、確実に世界の終わりは近づいている。
思っている以上に、余裕なんてないのかもしれない。
焚き火のパチパチした音がいやに大きく聞こえる。
「……で、どうすんだ」
俺は沈黙を破って、ダンに聞いた。
2982時間。
焦らなきゃいけないのは分かっているけど、やっぱり、数字を聞いてるだけでは、世界が滅ぶという実感は薄い。
「今のところ手がかりは、西の塔で手に入れたこの板だけだね」
ロイズの言葉に、全員の視線がその手元に集まる。失われた塔で回収した、薄っぺらい金属の板。
継ぎ目もなにもないそれは、ロイズが布に包んで大事に持ち歩いている。
「過去の記録が入ってるって言ってたよな、お頭」
「ああ」
ダンは腕を組み、眉間に皺を寄せた。
「入ってるのは確かだ。だが……観るには専用の道具が必要でな」
「専用の道具って、あの塔にあった黒い柱みたいなやつ〜?」
「そうだ」
エルケの問いに、ダンは困ったように頷いた。
塔の道具は壊れちまったし、今更モルディアス領になんか戻れない。
あの塔以外に1000年前の記録を読み取れる道具があるのかどうか。
せっかく手掛かりがあっても、使えないんじゃ意味がない。
「……一つ、心当たりがある」
ロイズが、独り言みたいに呟いた。
全員が振り返る。
「モルディアス領の書庫で読んだ文献に、エルフの里のことが載っていた」
「エルフの里?」
俺は眉をひそめた。
「……ロイズの、故郷か?」
「故郷じゃない」
ロイズはフードを深く被り直した。
「両親は駆け落ちで逃げ出したんだ。俺はあそこで生まれてすらいない。……ただ、血筋としての出自があるというだけ」
感情を押し殺したみたいに、ロイズは淡々と話す。
「その文献に何が書いてあったんだ」
ダンが低く問う。
「エルフは長命だから、数百年生きる個体も珍しくない。……文献によれば、里の最深部には、建国以前から生きているという長老がいるらしい」
「建国以前って……その長老、何歳なんだ?」
俺の問いに、ロイズは少しだけ間を置いた。
「1000歳」
俺は息を呑んだ。
「……じゃあ」
「黒の物語のことを、直接知っている可能性がある」
ロイズが続ける。
「それだけじゃない。1000年以上生きているなら、この板の読み方を知っている可能性だってある」
「……場所は分かるか」
ダンが、ゆっくりと立ち上がった。
「わかるよ。酷い目にあったけど、モルディアス領の書庫に感謝だね」
ロイズはそう言って立ち上がる。両親をエルフに殺されて、自分も殺されそうになったから逃げたと、そう言っていた。
「……おまえは、その、いいのか?」
俺が聞くと、ロイズはニヤリと口端を吊り上げた。
「……気にするな」
短く答えて、俺の肩を叩いた。
「行くなら早い方がいい。時間は待ってくれないからね」
それだけ言って、荷物をまとめ始めた。
俺はその背中を見ながら、何も聞けなかった。ロイズがこんな選択をしてくれたのは、俺のためだって分かるから。
「よし」
ダンが戦斧とガスを肩に担いだ。
「エルフの里を目指す。行くぞ」
世界が滅ぶまで、残り2982時間。
俺たちは、エルフの里に向かって歩き出した。




