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第18話 泥にまみれた逃走劇


 モルディアスが指を鳴らした瞬間。

 部屋の隅にあるソファで、毛布がもぞりと動いた。


「……んぅ……ダン……?」


 眠っていたリザリアが目を覚まし、目をこすりながら身を起こした。部屋に充満する殺気に気づいて固まる。


「……え?」

「リザリア、伏せてろ!」


 ダンが叫ぶと同時に、モルディアスの穏やかな、しかし冷え切った命令が響いた。


「首領は無視しなさい。どうせ死にません」


 兵士たちの銃口が、一斉に動く。

 ダンではない。

 俺と、リザリアへ。


「仲間の手足を狙い、人質にして拘束するのです」


 こいつ、ダンが不死身だってことをなんで知ってるんだ。


「野郎ッ!!」


 ダンが床を蹴る。

 人間離れした速度で俺たちの前に滑り込み、戦斧を風車のように振り回した。


 ガキンッ、ガガガッ!


 放たれた銃弾を、斧の腹で弾き飛ばす。防ぎきれなかった数発がダンの太ももや肩の肉を大きく抉って血肉を散らすが、ダンは顔色一つ変えず、瞬く間にその傷を再生させた。


「おや。守りに徹して、いつまで持ちますか?」


 モルディアスが残念そうに首を振る。


「医務室のお仲間はどうでしょうね。そちらにも手は回しておりますよ」

「……ッ!」

「ライオ! 走れ!」


 ダンが怒号を上げる。


「リザリアを連れて医務室へ行け!」

「ロイズたちを回収して、とにかく逃げるぞ!」

「了解!」


 俺は震えるリザリアの手を掴み、ダンが弾き飛ばした兵士たちの隙間を駆け抜けた。



 ◇


 廊下は戦場だった。

 増援の兵士たちが、次々と現れる。


 ズズズズズ……ンッ!!!!

 その時。

 城の基部を揺るがすような、巨大な地響きが起きた。

 続いて、下階から爆発音と悲鳴が上がる。


「な、なんだ!?」

「地下室で火災発生! 囚人が脱走しました!」

「暴れています! 止められません!!」


 後続の兵士が悲痛な叫び声をあげ、モルディアスの眉が、ぴくりと跳ね上がる。


「……あの欠陥品め、こんな時に」


 囚人? もしかしてアタンシオンか?

 そういや、ガスの爆弾が一個足りないんだったか。よく分からないが好都合だ。


「行くぞ!! リザリア」


 混乱に乗じて、俺たちは医務室へ滑り込んだ。



 ◇


 バンッ! と扉を開ける。


「ひっ!?」


 ミーナが短い悲鳴を上げて、鞭を構えていた。

 エルケはナイフを手に、ベッドの前に立ちはだかっている。


 その背後には、横になったロイズと、うめき声をあげるガス。


「ライオ! お頭!」

「無事か! ずらかるぞ!」


 ダンは部屋に入るなり、ロイズのベッドへ直行した。

 そして、躊躇なくロイズをシーツごと抱え上げる。


「うぐっ……」


 ロイズが苦しげに呻くが、構っていられない。

 ダンは瀕死の参謀を、荷物のように左肩に担ぎ上げた。右手には戦斧。迫力がすごい。鬼神って感じだ。


「ガス! 立てるか!」


 俺はガスの元へ駆け寄る。

 ガスは包帯だらけの顔を歪めながら、ニヤリと笑った。


「……おうよ。さっきの音聞いたか? 間違いねえ……俺様の爆弾たからものの音だった」


 ガスは震える手で、隠し持っていた小さな瓶を俺に見せた。


「詫び入れてやる……ライオ、肩貸しやがれ」

「ああ!」


 俺はガスを支える。

 ミーナとエルケが、リザリアの手を引く。


「に、逃げるなら……厨房の奥に水路が……」


 ロイズが、苦しそうにしながらも行き先を指し示す。


「野郎ども、準備はいいな!」


 ダンが吠える。


「綺麗なベッドともおさらばだ! 泥水啜って生き延びるぞ!」

「「「おう!!」」」



 ◇


 城の裏手。厨房の奥にある搬入口を突き抜けたさらに先。

 水路への入り口にはすでにモルディアスが先回りしていた。

 優雅に。まるで散歩のついでみたいに、ステッキをついて立っている。

 後ろには、長細い銃を構えた兵士が十数人。


「薄汚いドブネズミの考えなど、お見通しです」


 モルディアスが、指揮棒を振るう。


「構えなさい」


 ジャキッ、と一斉に銃口が向けられる。

 その狙いは、ダン以外の全員。


 俺、ミーナ、エルケ、そしてロイズとガス。


「おや、どうやら爆発の時と同じようですね。今度はいったい、誰を助けるのでしょう」


 モルディアスはダンに視線を向け、馬鹿にしたように笑いかける。

 なんて嫌な野郎だ。

 いくらダンでも、散開した銃撃から全員を同時には守れない。


「諦めなさい。ロイズ君も、ガス君も、そんな状態では逃げ切れませんよ」

「適切な治療が必要なのではありませんか?」


 甘い毒のような言葉。

 紳士的な態度で、人質と治療を天秤にかけ、降伏を迫る。

 だけどもう、そんな脅しは俺たちには効かない。


「……治療なんて必要ねえぜ」


 ガスが、俺の肩で笑った。


「俺様には、こいつの方がよく効くんだよ!」


 ガスが腕を振るう。

 手の中の小瓶が、モルディアスの足元へ飛んだ。


 カアンッ。

 瓶が割れる。


 中から溢れたのは、強烈な刺激臭を放つ液体と――煙。


「……!!」


 モルディアスが顔をしかめ、ハンカチで鼻を覆う。


「うわぁああ!!」

「め、目が──ッ!!!」


 兵士たちが激しく咳き込み、うずくまる。目と鼻を焼く、ガス特製の煙だ。


「今だぁぁぁ!!」


 俺たちは煙の中へ突っ込む。

 視界を奪われ、狙いをつけられない兵士たちの横をすり抜け、鉄格子を蹴破る。


 その先には、黒々と口を開けた水路。

 ドブの臭いがする、暗い穴。


「跳べッ!!」


 ダンの号令。

 俺たちは躊躇なく、その暗闇へ身を投げた。


 ドボンッ!

 バシャアッ!


 冷たく、汚い水が全身を打って、綺麗な服が瞬く間に泥にまみれる。

 汚水が目に染みる。


 ブハッ!

 俺は水面に顔を出し、髪をかきあげた。

「はぁ、はぁ……!」


 助かった。

 流れが速い。これならすぐに森まで――


 コツン。

 不意に、何かが頭に当たった。


 小石? 瓦礫?

 チャリ……と金属音がして、それは俺の手の中に落ちてきた。

 銀色に光る剣の紋章。


 ――ペンダントだ。

 引きちぎって、床に叩きつけたはずの、あの鎖。

 それが今、まるで「置いていくなよ」と言わんばかりに、空から降ってきて俺の手のひらに収まっている。


「……は」


 俺は、思わず吹き出した。

 こみ上げてくる笑いを抑えられなかった。


「……ははっ!」


 嘘じゃなかったんだ。

 本当に、勝手に戻ってきやがった。

 足もないくせに、俺を逃さないために、ここまで追いかけてきたのか。


「いいぜクソ野郎……!」


 俺はそれを握りしめ、首にかけ直した。

 冷たい金属の感触。

 でも、もう「鎖」だとは思わなかった。

 これは、俺が背負うべき運命の重さだ。


「上等だ! 運命だからなんだから知らねえが、売られた喧嘩は買ってやらあ!!」


 俺は水路の奥から、高らかに叫んだ。

 見上げれば、鉄格子の向こうで、モルディアスがハンカチで口を押さえながら、汚いものを見るような目でこちらを見下ろしている。


 そのお綺麗な靴で、この泥水には踏み込めねえだろぅよ。


「あばよ! 領主様!」


 俺は中指を立てた。


「俺たちには、こっちがお似合いだ!!」


 ダンがロイズを担いだまま、水流に乗って豪快に笑う。

 リザリアも、ミーナも、泥だらけの顔で笑っている。


 俺たちは流されていく。

 光の届かない、地下の闇へ。

 指名手配犯という、最高に自由な場所へ。



 ◇


 泥水に消えていく盗賊たちの姿を、モルディアスは静かに見下ろしていた。

 激しく咳き込んでいた親衛隊長が、涙目で進み出る。


「も、申し訳ありません、モルディアス卿! すぐに追討部隊を――」

「無理に追う必要はありません」


 モルディアスは口元を覆っていたハンカチを優雅に畳むと、追撃を制した。


「……し、しかし。よろしいのですか?」

「懐柔に至らなかったのは残念ですが、あの手負いの状態ではいずれ行き詰まります。それに――」


 モルディアスは、傍らに控えていた従者から恭しく差し出された小さなガラスの瓶を受け取った。

 中には、赤黒く蠢く何かが収められている。


「最高の“素材”が手に入りましたからね、今回はこれでよしとしましょう」


 モルディアスの唇の端が、三日月のように吊り上がる。


 地を這うような、低い笑い声が水路の底に響き渡った。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

これにて第1章(モルディアス領編)は完結です。

次回から第2章(エルフの里編)に突入します。

執筆と構成の準備のため、1週間ほどお休みをいただき、来週の週末頃から連載を再開する予定です。

引き続き、よろしくお願いします。

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