帰還
雨でぬかるんだ平原を私は歩き続けていた。
歩きすぎて足の感覚がない。
ここ数日寝てもいないから頭が働かない。
髪も服も血と泥でびしゃびしゃで、汚いことこの上ない。
だけどそんなことどうでもいい。
私はただ、ブライト王国がどうなっているのかを知りたかった。自分の目で確かめたかった。
魔王領からひたすらに歩き続けて五日間。
「……みえた……」
やっとブライト王国の城壁を視界に捉えることができた。
遠目に見ても王国の城壁は一応原型を保っていて壊れかけではあるけれど、それは私にとっては希望の光のようだった。
もしかしたらまだ誰か生き残っている人がいるかもしれない。
痛覚のない人形のような足で、私は足早に城門へと続く道を歩いた。
平原を歩き、門を抜け、その先で私を待っていたのは、ただただ広がる焼け野原だった。
「……うそ……」
生活感あふれる石造りの家も。わしなく人々が行き交う街道も。たくさん立ち並んでいた商店も。
みんな、みんな消えてなくなっていた。
それでも私は歩いた。歩くしかなかった。
誰かが生き残っていることを信じて。
王国を南北に貫く大きな街道だった道を進む。誰もいない。
出陣式が行われた広場だった場所を抜ける。声がしない。
さらに奥に向かい、魔法学校を目指す。
校舎は生徒を守るためのものだから無事である可能性もあると思った。
だけど校舎は、クラスメイトと過ごした学び舎があった場所はやはり更地と化していた。
「……だれか、誰かいないの…………?」
そんな呼びかけが無駄だってことは分かってるけど少しの期待もあった。
もしかしたらクラスの誰かが「ただいま」って明るい笑顔で私を迎え入れてくれて。
先生も「よく頑張りました」って褒めてくれて。
そんなことがあるかもしれないって。
でも返事はなかった。
悲しかったけど、涙は流しすぎて出てこない。
感情が欠落しているせいか、不思議とその事実はすんなり受け入れられた。
「…………そうだ。王宮なら、誰かいるかも……」
私は王宮へと進路を変え、歩みを進めた。
王宮はブライト王国の一番奥側にあって、爆心地と思われる王国中心部からはかなり離れた場所にある。
しかも王族が住んでいる場所だから当然のように防御結界も張ってあった。
そのためか、案の定王宮へと続く道を歩いていると、崩れかかってはいるけれどそれと分かる建物はまだ存在していた。
城門を抜けて、王宮内に入る。
ドアや窓ガラスといった類のものは全て壊れていて、王宮内にはガラスや装飾品や物があちらこちらに散乱していた。
そして散乱していたのは物だけではない。
「……死んでる…………」
王宮内をせわしなく動き回っていたお手伝いさんの遺体もあちこちに転がっていた。
廊下、階段、部屋の中。
ありとあらゆるところに彼らは倒れていて、みなもれなく息をしていない。
建物が無事とはいえ、爆発の衝撃によって命を失ったということだろう。
以前お世話になったお手伝いさんやお弁当を作ってくれたコックさんの遺体もあった。
魔王城に攻め込む前の私ならば、こんな光景を見たならば悲しみでその場を動けなかっただろう。
でも、今は先を急いだ。
最低だって思うけど、そうせずにはいられなかった。
爆発があったのは夕方の遅い時間、つまり放課後。
それなら大半の生徒たちは家に帰っているはずでそれは私の友達も例外ではないはず。
崩れかかった階段を上り、王族の暮らしていた階へと足を進める。
この階だけ他の階よりも損傷が比較的少ない。
一度も入ったことはないけれど、場所だけは聞いていたあの子の部屋の前に着く。
部屋の前には立派な木製のドアがあって、私はノックしてそれを開けた。
「ウィル……いる? 入るよ……?」
ドアを開ける。
部屋を見回す。
窓ガラスが割れて風が流れ込んでいる部屋の中、椅子に座っている人影があった。
「……ウィル……? ウィル!」
私は駆け寄った。
その姿はまだ彼女が生きているようで数日ぶりの生きた感情、純粋な嬉しさを覚えた。
ウィルは、私の友達はまだ生きていてくれたんだ!
嬉しさのあまり、ウィルの肩を掴んで抱きしめようとした。
でも、ウィルの胸から床に太く赤い線が引かれているのが見えてしまった。
彼女の胸にはガラスの破片が突き刺さっていて、目には光がなかった。
ウィルは、死んでいた。
「ウィル……?」
返事はない。
それを確認して私は遺体をベッドの上に寝かせ、彼女の目を閉じた。
冷たくなった彼女の右手を握りしめる。
「ただいま、ウィル……。やっと、王国に帰って来たよ……。魔王城ね、すごく遠くて、行くのも返ってくるのも大変だったんだから……」
私は笑って見せる。
ウィルは目を閉じたまま動かない。
「この前の報告、見てくれた……? 私ね、魔王を倒したよ……。頑張ったよ。みんなを、ウィルを守るために……」
錆びついた感情が徐々に溶け出して、悲しいという感情が芽生え始めてくる。
「私さ、約束守ったよ。ウィルとの約束……。食欲なかったけどご飯食べて。ちょっとは寝て。枕が違ったからよく寝れなかったけど、頑張った寝たよ……。あと……これが一番大事な約束。無事に王国に帰って来るってこと……絶対に帰って来るってこと……」
視界が滲みだした。
袖で目を拭いても拭いてもぼやけ切った視界はきれいにならなくて。
「でも……。その約束、私が守ってもウィルがいないと、意味ないじゃん……」
ぎゅっと力を込めても、私の手をウィルが握り返してくれることはなかった。
「守ってあげられなくて……ごめんね……。本当に、ごめんね……」
私はまた泣いた。
今度は静かにかみ殺すように泣いた。
泣き声が部屋に響き渡っても誰も声をかけてくれない。
ウィルはもちろん、いつも私を心配そうに見てくれていたツジッキーだっていない。
だって私が殺したから。
そこで私は初めてツジッキーを手にかけたという事実を実感した。
後悔と孤独が波のように押し寄せる。
目の前に横たわる今は亡き友人、いなくなったツジッキー。
全部、全部私がしてしまったことなんだ。
「う、ううぅ……」
涙があふれて止まらない。
こんな壊れた世界で、私が壊した世界で、生きている意味はあるのだろうか?
視線をずらせば目の前に散らばるガラスの破片があるのに気づく。
私はガラスに近づくと、そっと手をかけて自分の首筋に持っていく。
ひんやりとしたガラスが首の肉に食い込む感触。
もう、私に生きている意味はない。
「ウィル、ツジッキー、みんな……ごめんね。今、行くからね……」
怖いといえばうそになる。
けど、それ以上に怖い思いを私はみんなにさせちゃったから、あっちで謝るしかないんだ。
死んで詫びるしか、ないんだ。
ガラスが首に食い込んで、鋭い痛みとともにどくどくと血が流れて。
震える手で首をかき切ろうとした、その瞬間だった。
「リコ」
名前を呼ばれた。
男の人の声。
まさか、誰か生き残っていたというの?声のした方に視線を向ける。
そこにいたのは、真っ白で大きな耳を持ったウサギだった。
「……サリーちゃん?」




