眼前
王国を出発してから三日が経った。
この世界には自動車や鉄道なんていう科学の塊みたいな移動手段はないから兵士たちは徒歩、小隊長以上のレベルになると馬での移動が基本になる。
そのため一日で進める距離はせいぜい二十キロくらいが関の山で、正直進んでいる実感はあまりない。
ついさっき、大きな森林(憎しみの大森林っていう仰々しい名前がついてるらしい)を抜けたあたりで、今回の所属先の中隊長でもあるベル中隊長から号令がかかった。
「これより先、魔物の生息域に入ります。各自警戒を行うとともに、騎士隊の援護を行えるよう準備を怠らないように」
私はこの世界の地理にあまり詳しくないから知らなかったけど、どうやら憎しみの大森林が人間領と魔物領との境界線的な役割を果たしているところらしかった。
森林を抜けた先は緑は全くなくて地面が赤黒い禍々しい色をしており、黒い雲が一面に立ち込めているせいか空気自体もどんよりとしている。
これらが自然現象なのか、はたまた魔物の魔力による影響なのかは図りかねるけど、人間界とは一線を画す光景であることは明確だった。
「ここまで三日ってことはあとどれくらいで魔王城に着くのかな?」
高まって来た不安をごまかそうとツジッキーに尋ねると、
「そうだね……普通に歩けば一日くらいってところかな」
「もうそんなところまで来てるんだ……」
「うん。でもそれは今までのペースで進めたらっていう話だからね。安全を最優先に進むとすればもうちょっとかかるんじゃないかなー」
たしかに。ここはすでに敵陣。
いつ魔王軍や魔物の群れが襲い掛かって来ても不思議ではない。
それに今回は防衛ではなく攻撃を行っているため、人員にも物資にも限りがある。
犠牲を可能な限り出さずに、攻勢を仕掛けるためにも石橋をたたいて渡るくらいの慎重さがあってもいいだろう。
「じゃああと二日くらいかな?」
「そんなところかな。でも魔王城に着く前にひと悶着ありそうな気もするけど」
「うっ、縁起でもないこと言わないでよ……」
ツジッキーの悪い予感をたしなめていると、 再び中隊長から号令がかかった。
いつの間にか昼休憩の時間になっていたらしい。
私はその場に座り込んでリュックから取り出した保存用のパンをかじってはみるものの、王宮で食べてた美味しいご飯とは比較にもならない。
これまでの人生で当然と思っていた食事って楽しんで食べるものという価値観が、壊れていく。
ここではただの栄養摂取に成り下がっていて、楽しむ時間も余裕もない。
結局私は一食分のパンを半分ほどかじったところで口を止めてしまった。
「あれ? リコ、食べないのかい?」
「うん……。なんかもうお腹いっぱいになっちゃって……」
「そうなんだ。でももうちょっと食べておいた方がいいと思うけどな。ちゃんと食べておかないといざって時、力を出せないよ?」
「それは分かってるんだけど……」
「やっぱり食べたくない?」
こくりと頷くと、ツジッキーは私のリュックをごそごそとし出して明るい声で言った。
「じゃあいいものをあげよう。じゃじゃーん、キャンディー!」
「えっ、いつの間にそんなもの入れてたの? 全然気づかなかった」
「ふふん。まあ、ちょっと甘いもの欲しくなった時に舐めようかなって思ってたんだけど、リコにあげるよ。これなら舐めるだけでいいし、パンよりは美味しいでしょ?」
「でもそんな、悪いよ。ツジッキーが持ってきたものなんだし私が食べるのも申し訳ないというか……」
「遠慮しないでいいよ。こういう時はお互い様さ。友達の弱っている姿なんて見たくないからね」
ツジッキーはぐいぐいと私にキャンディーを押し付けてくる。
やっぱり断ろうかとも思ったけど、せっかくの厚意を無下にするのも悪いし……。
結局私はもらうことにした。
「えっと……あ、ありがと……」
「どういたしまして」
正直に言えばこれは少し嬉しいものだった。
戦場では糖分は貴重だけど糖分を取ることで頭もリフレッシュできるし。
ツジッキーの手のような耳からキャンディーを受け取り、包装を外す。
これを食べて気分入れ替えて頑張らなきゃ……!
そう自分を鼓舞し、キャンディーを口に運ぼうとした瞬間だった。
「敵襲っっっーーー!!!!!」
男性兵士の必死の叫び声がけたたましい鐘の音とともに辺り一帯に響き渡った。
最初は一体何が起こったのか見当がつかなかったけど、気づいたら私は杖を構えて立ち上がっていた。
「ツジッキー!」
「うん、行かなきゃ!」
魔法少女に変身しつつ周りの魔法使い達とともに最前線の騎士隊のところへ向かうと、そこではすでに騎士隊が魔王軍と思しき相手と剣を交わしていた。
また魔物が相手だとばかり思いこみながらもよく観察してみると、魔物ではなく人型の魔族、つまり魔人だということが分かった。
初めて目にする魔人の姿。
背格好は人間と大差なくほぼ同じと言ってもいい。
魔人たちも金属の鎧を身に着けている。
しかし技術が王国よりも発展していないのか、 鎧は薄く今にも壊れてしまいそうだ。
現に王国軍の騎士の鎧は魔人の剣を幾度となく防いでいるものの、魔人の鎧は騎士の攻撃に対し、傷が増していく一方である。
あちこちで巻き起こる戦いを呆然と眺めていると、ついに戦場の現実が私に突き付けられた。
「ぐはっ! がはっ……」
目の前で王国軍の騎士が魔人の一人の胸を貫き、魔人は力なく地面にひれ伏した。
騎士に剣を引き抜かれた拍子に魔人の顔が私の方を向き、光を失った両眼が私を捉えた。
「……っ!」
先ほどまであんなにも剣を振るっていた魔人が、今はただの地面の障害物と化している。
その光景に今、自分が立っている戦場という場所を自覚する。
王国では人々が互いをいたわり、助け合い、協力して生きていた。
しかしここは違う。
人々が互いに憎み、恨み、殺し合っている。そこに笑顔はない。
ある者は悲痛にゆがむ顔を見せ、ある者は無表情を貫く。
流れるのは楽し気な音楽ではなく、赤黒い鮮血。
漂うのはおいしそうなパンの香りではなく、錆びついた鉄の臭い。
見えるのは人々の笑顔ではなく、悲痛と青白い無表情。
普段の生活とは真反対の世界が眼前に広がっていた。
前回は前線に出ていなかったから気づけなかった私はようやく痛感した。
ここは人を殺すための、殺すためだけにある場所なのだと。
それを悟った瞬間、体が地面に根でも張ったかのように動かなくなった。
「……っ」
なんとか腕を、足を動かそうと体を叱咤激励すれど、細胞の一つ一つがそれを拒否し続けている。
しかしこのままだと私に待つのは『死』一択のみ。
動いて、お願い!
歯を食いしばり、恐怖を力づくで押さえつけてやっと腕がぎこちなく動いた。
よし、このまま足も動かして――。
「リコ、後ろ!!!」
突然のツジッキーの叫び。
頭の反応は完全に遅れていた。だけど尋常ではない殺意に突き動かされるかのように体が勝手に動いた。
空中で態勢を立て直して着地する。
元々私がいた場所に目を向けると一筋の鈍く輝く凶器がそこに突き刺さっていた。
顔を狂気にゆがめ、私に明確な悪意を向けてくる魔人の姿がそこにはあった。
「お前が……お前があああぁぁぁぁぁ!!!!!」
剣を構え、一直線に突進してくる魔人。
私は咄嗟に杖を構え、鋭く風が辺りを薙ぐ様を想像する。
刹那、魔人の右腕が剣とともに吹き飛び、バランスを崩した魔人は地面に転がった。右腕と泣き別れた胴体からは赤い血がドバドバと噴出している。
赤い血。よく見れば魔族とはいっても人間とほとんど変わらない。
頭に角が生えている、歯が鋭いこと以外にはこれといった違いがなかった。
私の魔法を受けたその魔人は痛みに顔を大きくゆがめている。
「うう、あぁぁうぁああ……」
魔人は腕からの出血を抑えるのに必死で動くことができないようだった。
警戒しつつ一歩一歩近づいていくと、魔人は額に大量の汗をかきながらうっすらと目を開けて、
「や、やめてくれ……。……家族が、いるんだ……。待ってるんだ……妻と、子どもが……」
その悲痛な訴えに心が大きく揺れ動くのを感じた。
襲われた恐怖、そして襲ってきたことに対する怒り。
つい数秒前までの感情は露と消え、慈しみがつぼみを出す。
この人にも、私と同じように大切な人がいるんだ……。
もし私が今この人を殺せば、この人の大切な人はどう思うだろう。
深い悲しみ、大きな絶望、芽生えだす憎しみ。想像に難くなかった。
切れた腕は戻らないかもしれない。でも私の魔法を使えば命だけは助けられる。
私は自然と杖を魔人に向け、治癒の想像を始める。
「何やってるの?」
真下から冷え切った冷徹な声が胸を突き刺してきた。
ツジッキーだった。
私は気圧されるように想像を止めた。
「まさかリコ、今こいつを治癒しようとしてたんじゃないだろうね」
聞いたこともない声音に私は言い訳を述べるようにして口を開く。
「でも……今、この人、家族がいるって――」
「そんなのは嘘だ。魔人はすぐに嘘をつく。治癒したらこいつがおとなしく言う通りに帰るとでも? 笑わせないでよ」
ツジッキーの表情はいつも通りの微笑み顔。
だけど、そこに楽しさなんてものは一欠けらも含まれていなかった。
「殺される前に殺すんだ」
「で、でも――」
「殺るんだ」
助けるか、狩るか。私は今、目の前の命の運命を握っている。
こんな責任、負ったこともない。私は、どうすればいいのか。
心に訊いてみたところで、答えなんて返ってくるわけもなかった。
魔人の祈るような視線が再度心のてんびんを傾かせる。
しかし、ツジッキーの刃物のように鋭いまなざしが私を射抜いた。
「……っ」
板挟みになった私は杖を構え直して、杖の先に火球を作り出した。
火球はみるみるうちに大きくなって、私の声とともに放たれた。
「……ごめんなさい」
「や、やめてくれ! 助け――」
それがその魔人が発した最後の言葉だった。
魔人の体は火をつけた紙みたいに燃えてゆき、ほんの数秒で灰と化した。
骨すら残らない光景を目の当たりにしながら、私は魂を抜かれたように佇むことしかできない。
「……ねえ、ツジッキー」
「なんだい?」
「これは……本当に正しいことなの……? 私は今、正しいことをしたの……?」
その問いにツジッキーは一拍おいてから。
いつも通りの声のトーンに戻って断言した。
「当然正しいことさ。リコ、君にひとついいことを教えてあげよう。敵に同情なんてものはいらないよ」
「だ、だけど……あの人たちにも家族が――」
「そもそも戦場は敵を殺す場所。殺そうが殺されようがお互い様。つまりフェアなのさ。だからあのゴミクズどもを殺しても何も考える必要はないよ。何も考えずにただただ殺す。それだけを覚えておけばいいよ。分かったかい?」
戦場は人を殺す場所。今までの常識とは対極に位置する場所。
戦場を知らない私が知らないだけかもしれない。
これがこの場所における正しい答えなのかもしれない。
私は目いっぱい考えみた。
自分の知識、経験、倫理、気持ち、すべてを動員して考えてみた。
だけどどうしても答えは出なかった。
初めて自ら命を奪って気が動転しているのか、それともアドレナリンが出すぎて興奮しているのか。
頭がまともに動かないため、私はツジッキーに答えを委ねるほかなかった。
「分かんない……分かんないよ、ツジッキー……」
「じゃあ分かるまで動き続けよう。そうすれば答えも分かってみんなも救われて一石二鳥。さあ、他の兵士たちも苦しんでる。リコの魔法で助けてあげて!」
「みんなを……救う……。助ける……」
ぽっかりと答えのない脳内にその返事がかっちりとはまった気がした。
そうだ、私がここに来た理由はなんだ。
みんなを守るために、大事なものを守るためじゃないか。
ここで動くことは全部、それらにつながるということで。
自分のしたことは全部、正しかったんだ!
答えに至ったおかげか、不思議な高揚感が私を包み込んでいく。
私は大きく首を縦に振っていた。
「分かった。敵は全員殺す。魔王も魔人も魔物も、魔族は一匹残らず消し去るよ」
「うん、その意気だ! じゃああっちに魔人がたくさんいるっぽいから向かおうか!」
私は力の限りを尽くして魔人を葬り続けた。
何か違和感のようなものを感じたような気がするけれど、そんなのどうでもよかった。
殺して殺して殺しまくった。
辺りには魔人たちの断末魔が嫌というほど響き渡った。




