第八十九話「守りたい人」
ウーの両手には圧縮された空気が集まり、彼を中心にして竜巻が発生する。部屋の中の資料がすべて吹き飛ばされ、戸棚の本間でもが投げ出されて弾丸のようにリーベに向かって飛んでいく。
「くっ……」
物を溜め込むアルトラの癖が災いし、この執務室には任務に必要のない本や置物が数多く存在している。普段は彼女らに知識や娯楽を与えてくれるそれらも今はただのウーの武器でしかない。
リーベは机に身を隠しながらそれらを何とか凌ぐが、上下左右から襲いかかる攻撃を完全に避けきることはできない。おまけに隠れている机までもが揺れ始め、今にも浮き上がりそうだ。
窓が割れ、その破片までもがウーの支配下に置かれる。
胸の柊だけは傷つけまいと手のひらで守るリーベだが、そのむき出しの手にはおびただしい傷が刻まれてしまう。
残された逃げ道は外しかないと割れた窓を見つめるリーベ。
窓までは一メートル程。逃げ切れるかは五分五分といったところだ。
深呼吸して覚悟を決めたリーベが身を乗り出そうとしたその時、ガチャリと音を立てて執務室の扉が開く。
「誰!」
眉間にシワを寄せながら扉を睨んだウーだったが、現れたのがアルトラだと気が付くと途端に笑顔になる。
「にいちゃん!」
「ウー、久しぶりだな」
部屋に吹き荒れていた風もピタリと止んで資料や本も地面に落ちる。
ウーは両手を広げてアルトラに飛びつき、それと同時にリーベは疲れ果てて床に座り込んだ。
「にいちゃんやっぱり居たんだね? あの女……僕に嘘をついたんだ!」
ギロリとリーベを睨みつけて指をさすウーだったが、部屋の様子とリーベの姿を見て瞬時に状況を察したアルトラはその手を優しくつつみ込んで首を横に振る。
「今帰ってきたんだ。それよりウー、その顔はどうしたんだ?」
「うん……虫にやられちゃって。部下も殺されちゃったんだ。だからにいちゃん、仇を取ってよ!」
嘘なのか本当なのか、ウーは大粒の涙を流しながらアルトラに訴えかける。先ほどまでとはうってかわって塩らしいその表情にリーベの混乱は極まる。
「そうか。可愛い弟を痛めつけた奴は俺が退治してやる」
「本当!?」
「ああ、だがその前にやることがあるだろう。勘違いとは言えリーベを怖がらせたんだ」
キラキラした目で兄を見つめたあと、その言葉を聞いてウーは振り返ってリーベの前に立ち、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい」
「……」
血の気が一気に引いた。
開いた口がふさがらないが、言葉も出てこない。
他人が見たら目の前のウーは本心から謝罪をしているように見えるだろう。現にリーベにもウーが偽っているようには思えなかった。だからこそ恐ろしい。
「よくできたな、いい子だぞ。俺は準備があるから少し外で待っていてくれないか?」
「うん! いい子だから待てるよ!」
アルトラに頭を撫でられたウーはにっこり笑いながら荒れ果てた執務室から外に出ていく。
「……すまなかった」
ウーが居なくなるとアルトラはリーベに手を差し伸べる。それを震えた手で握りしめるとアルトラは彼女を抱き寄せ、その手に刻まれた傷を見ると両手で包み込む。
ウーは去ったものの結局本来の目的であるアルトラをウーに関わらせないというものは達成できず、リーベは顔を歪ませる。
「リーベ。俺を守ろうとするのは嬉しいが、まずは自分を守れ。お前、帝都のパルメから連絡があったことも伝えなかっただろう。命令違反だぞ?」
俯くリーベの頭に手を置くとアルトラはそう告げる。
「わ、私はアルトラ様がっ……!」
それ以上言わせないようにアルトラはリーベの口に人差し指を当てる。それだけでリーベは何も言えなくなり、アルトラが手を離しても座り込んだまま動けない。
「先ほど帝都に連絡を取ったが、どうやらパルメがこっちに向かっているらしい」
「ならばここでお待ちになれば……!」
アルトラの傷を目に焼き付けながらリーベが叫ぶ。また何処かへ行ってこんな傷を付けてくるなど耐えられない。そもそも買ってこられる保証もない。
「いや、どうやら数日前にシナムもここを目指して発ったらしい。あいつのことだ、姿がないことを考えるとどこかでトラブルに遭っているのだろう。放ってはおけない」
荒れ果てた執務室から必要なものをかき集め、アルトラは出発の準備を進める。
「行かないで!」
心の底から叫んだリーベはアルトラの背中に抱きつくが、アルトラは少し動きを止めた後優しくリーベを引き剥がす。
「リーベ、ここを頼む。それともしかしたら片手片足の男と炎を操る魔族がここを訪れるかもしれない。その時は絶対に手を出すな。俺たちの手に負える相手じゃない」
アインとリヴのことをリーベに伝えるが、アルトラの安否だけが気がかりな彼女は全く頭に入らない。
アルトラが執務室から去るとリーベは抑えきれなかった涙を両目から解き放ち、届かない名を何度も叫んだ。
もう二度と会えない。なぜかそんな気がした。




