第九十話「このために」
カーターによって意識を上書きされたあの時。
暗黒の海底に沈められていたアインの心を引き戻してくれたのはリヴの温かな炎だった。
初めは僅かな灯火。
それは徐々に大きくなり、氷漬けになったアインの心を溶かしていった。
光に向かって手を伸ばし、必死にもがいて掴んだ手。それはとても暖かく、心地良い。
目を開けた時に飛び込んできたあの優しい笑顔は、決して忘れない。
「リヴ……!」
叫びかけた先にいるのは紛れもなくリヴだ。
その角も、その髪も、その炎も、その強さも。リヴがリヴであることを示している。
だが目だけは違う。
かつて戦った魔喰獣のような無機質な瞳。
何の感情もなくまるで機械のようだ。
「なんだ、まだやってるのかよ」
ギーリコレクションを全滅させたシナムが高台からアインを見下ろしながら告げる。
自分を利用したギーリを取り逃がした怒りは収まることを知らない。
「俺はあの狸オヤジをぶっ殺してくる」
「勝手にしろ」
シナムに付き合ってる暇はないとアインは軽く突き放すが、彼の背後から三体の魔喰獣が姿を現すとそうも言っていられなくなる。
「な……それは!」
「ん? ああ、安心しなよ。あれから調整して魔族だけを狙うように改造したから」
シナムの言葉通り魔喰獣たちはアインに目もくれずリヴに突撃していく。
「くそっ!」
アインは魔喰獣とリヴの間に割って入り剣を振り下ろそうとするが、背後から放たれたリヴの炎によって魔喰獣ごと焼き尽くされてしまう。
「かっ……」
「何やってるんだよ。そいつらはお前の味方だぞ?」
口から黒煙を吐きながら地面に伏せるアインを嘲笑うシナム。
隣に倒れる魔喰獣がギーリコレクションたちと同じ衣服を身につけていることに気が付くと、アインは敵意を抜き出しにした目付きでシナムを睨む。
「まさか……お前が魔喰獣を!」
「だったらなんだよ。言っとくけどそこの女魔族には何もしてないぞ」
たくさんの犠牲が出たならず者の町での出来事を思い出すアイン。その元凶とも思える存在であるシナムに対しての怒りが湧き上がるが、当の本人は全く悪びれる様子もなく、むしろアインの手助けをしているつもりでいる。
「俺が戻るまでに決着をつけておいて。ああそれとその女の死体は俺がもらうから」
「待て!」
コロシアムを去ろうとするシナムに手を伸ばすも、直ぐに目の前がリヴの炎によって遮られてしまう。
「……どうしてもやるのか」
剣を握る手が震える。
リヴを傷つけたくないと言う気持ちも勿論あるが、手が震える理由はそれだけではない。
リヴの炎に巻き込まれた三体の魔喰獣は一瞬にして焼き殺され、いつの間にか元のギーリコレクションに戻っている。
勇者として旅立ってからアインは数え切れないほどの魔族と戦ってきた。
中でも大魔族に分類される魔族は非常に強力で、常にギリギリの状況で切り抜けてきた。
そんな魔族たちがまるで子供に感じるほど圧倒的な力を有していたのが魔王だ。
文字通り手も足も出なかった。
帝都で戦った魔王軍四天王、バートンとルクス。彼らも不死の呪いがなければ退けることができなかった強敵だ。だが魔王に比べれば常識の範囲内の強さだ。
しかし今目の前にいるリヴから放たれている威圧感は魔王に匹敵するほど大きい。
彼女の体から発せられる熱は常人ならば意識を保つことすらできないほどだ。二百年間の拷問で痛みや苦しみに耐性ができたアインでさえ目がかすむ。
もともと強力な力を持っていたリヴだったが、彼女は理性によってその力を無意識の内に制御していた。だが、今はそれがない。
ただ目の前の敵を抹殺するだけの殺戮兵器だ。
勝てない。
魔王に対して感じた絶望感。
それと同じ感覚がアインに襲いかかる。
アインが戦おうとしているのはリヴという魔族ではなく、まるで炎そのもののようだった。
「ふっ……」
思わずアインの口から笑みがこぼれる。
リヴはメラメラと炎をまとわせながら宙に浮く。
昇る太陽を見つめるようにリヴを目で追う。
「お前は本当に強かったんだな」
リヴが上げた手を振り下ろすと空中から炎の柱が出現し、アインを一瞬で飲み込む。
ドロドロと溶け出すアインだが、彼の呪いはこの程度では解けない。徐々に形を取り戻していく。
「その力をずっと内に押し込めて、苦しんで」
アインが生きていると分かると、リヴは再び手を振り下ろす。
「なのに世界はお前を否定する。世界を滅ぼすことなんて簡単なのにな」
一連の動作のようにリヴはアインが蘇るたびに殺し続ける。そこには何の感情もなく、躊躇も怒りも無いただの作業だ。
「でもお前は耐え続けた。ヨミの為に、俺の為に……」
アインの回復速度が速くなり、リヴの攻撃速度が遅くなっていく。その分、アインが言葉を伝える時間が多くなる。
「二百年近く我慢したんだ。本当にすごいよ。だから、もう我慢しなくていい。我慢しなくていいんだ」
リヴの顔色は何も変わらないが、その手から放たれる炎はみるみるうちに小さくなっていく。それでも決して攻撃は止めようとしない。
「全部吐き出せ。好きなだけ殺せ。俺のこの力は、きっとこのためにあるんだ」
何度も殺されたというのに、アインの中から恐れは完全に消えていた。
今までリヴに救われてきた。
今度は自分がリヴを救う番だと、アインは笑みを浮かべながら全身でリヴの炎を受け続けた。




