第八十六話「平和な町」
南の都市。
それは帝都に次ぐ帝国の大都市。
その人口のほとんどが軍人の帝都に比べ、南の都市は大半が一般市民で構成されている。平和という一点だけで見れば南の都市が帝国の中で最もその言葉にふさわしい。
魔王城から帝国の中で一番遠い場所に位置しているのもその要因だが、何よりも灰哭隊の存在が大きい。
もちろんどの都市にも帝国軍は駐在しており、それぞれ平和の維持のために紛争している。だが彼らはあくまでも対人用の部隊であり、魔族からの被害を防ぐ専門部隊である灰哭隊とは似て非なるものである。
帝国の中で唯一灰哭隊の施設が存在すること。それが南の都市が一番平和な都市である大きな理由だ。
その都市の灰哭隊本部の執務室にて、第二部隊隊長を務めているアルトラが机の上に並べられた資料に目を通していた。
「隊長、少しお休みになられてはどうですか? まだお怪我の方も……」
「いや、心配ない。それより資料はこれで全てか?」
彼の副官を務める女性が心配そうな様子で声をかける。
魔族の出没情報があった町に遠征へ行っただけだというのに、部下は全員瀕死。隊長であるアルトラも全身を焼かれたような大やけどを負って帰ってきた。それでも一晩休んだだけでアルトラは魔族の情報が記された資料を読みあさっている。
「はい。ですのでお休みを」
「そうか……アイツラの具合はどうだ?」
自らの怪我の心配ではなく部下の安否を確認するアルトラに、副官は少しだけ心が痛む。
部下たちの状況は思わしくはなく、皆何者かにうなされている。
彼女にとっても仲間である彼らの事はもちろん心配だが、何よりも隊長であるアルトラの身が心配だった。
焼けただれた皮膚。
近くにいるだけで感じる高温。
いつ倒れてもおかしくない。だがアルトラは道中で出会った魔族の情報を少しでも得るべく資料を読み続けている。その表情は執念そのものだったが、なぜか自らの行動に疑問を感じているような表情も時々垣間見える。
「……彼らはしばらく動けないでしょう。ですので隊長もお休みを」
「そうはいかない。こうしている間にもどこかで誰かが魔族に襲われている。あの女魔族……リヴは何かのきっかけになるかもしれない」
あの女魔族。
名前はリヴというらしい。
大切な隊長と部下たちを焼いた張本人だ。
隊長は戻ってからその魔族の話ばかりしている。自分たちを苦しめた魔族に対する情報を求めるのは何もおかしくない。今までも一度敗北し、準備を整えてから討伐した魔族もいた。だが今回は何かが違う。ただ単純に倒すために調べているのではなく、何か別のもの、好きな人の情報を求めているかのような必死さが伝わってくる。
それがたまらなく不愉快だ。
「資料なら私がまとめておきます。必要ならば帝国軍にも協力を要請し、住民たちにも聞き込みを致します。ですがあなたが休まないとおっしゃるなら、私はこれ以上は協力致しません」
アルトラの読む資料を隠すように机に手を叩きつけ、副官の女性はアルトラにきっぱりと告げる。
「わかったよリーベ。その代わり……」
「何かあればすぐに伝えます。それでいいですね?」
副官の女性、リーベの凛とした態度にアルトラはついに観念し、施設内の仮眠室へと向かう。
アルトラの残していった資料を片付けながら、リーベはそのリヴという謎の女魔族を脳裏に浮かべていた。
部下を全滅させ、あのアルトラにも重傷を負わせた実力。残された火傷痕からして相当な魔術の使い手だと推測できる。おそらく自分たちが過去に戦ったどの魔族よりも強力だろう。
そんな魔族の資料が一つも存在しない。
それはその魔族が一度も表舞台に出てきていないか、出会った人間を皆殺しにしているかのどちらかだ。
重傷を負わされたとは言え、アルトラたちは誰一人として死んではいない。たまたまと言ってしまえばそれまでだが、リーベの中にも言い表せない疑問が浮かび始めた。
そんな中、ゆっくりと執務室の扉が開かれる。
「隊長、もうお戻りですか? いくらなんでも……」
あまりにも早すぎるアルトラの復帰を責めようと出迎えるリーベだったが、そこから顔をのぞかせたのはアルトラではなかった。
「あ、あなたは……」
「あれ? お姉さん誰? パルメねぇちゃんとアルトラにいちゃんは?」
現れた少年がアルトラの弟であるウーだと分かるのにリーベは数秒の時間を有した。それほどまでにウーの顔面には見るにも無残な、まるで雷が暴れたような傷が残されている。
「ん、ああこれ? 虫に噛まれちゃってさ」
リーベの真っ青な顔を見てウーは自らの顔を指差しながら答える。その顔は無邪気な笑みを浮かべており、リーベの恐怖心をさらに煽った。
初めて出会った時からリーベはウーのことが苦手だった。
彼女の隊長であるアルトラは魔族を脅威で判断する。ゆえに人に仇なさない知能の低い魔族や、子供の魔族には手をかけない。
だがウーは違う。
姉や兄が褒めてくれるから、それだけの理由で魔族を殺す。そこにはなんの信念も罪悪感も無い。
「今度はみんなで虫を潰すんだ」
彼と同年代の子供が見せるならば微笑ましいその表情も、リーベにとっては悪魔の微笑みにしか見えない。
この子供をアルトラに合わせてはいけない。本能がそう叫んでいた。




