第八十四話「力が欲しい」
初めはとても単純だった。
片田舎の喧嘩場。
一対一で殴り合ってどっちが勝つかを予想する。日銭を握りしめながら若き日のギーリも夢中になっていた。
勝てば夕食が少し豪華になり、負ければ草をしゃぶる。必死に生きて必死で遊んだ。
ところがある日、それは単純では無いことを知る。
久しぶりに大穴を当てたギーリは何日かぶりの酒を煽りながら机に突っ伏していた。
気持ちよくまぶたを閉じようとしたその時、酒場の扉がゆっくりと音もなく開く。入ってきた男は辺りを見渡し、たった一人の客であるギーリが眠っていることを確認すると金の詰まった袋を店主に渡す。
そのずっしりとした重厚な音に目が覚めたギーリだったが、その後に聞こえてきた会話がまともでないことを聞くとそのまま狸寝入りを続けた。
「明日も頼むぜ」
店主にそう告げると男は何も注文せずに店を出ていく。
次の日の喧嘩。
今回の対決の勝敗は誰が見ても明らかだった。
一方は今回が初めての参加。そしてもう一方は勝率九割を超えるベテランだ。体格差も明らかでありまるで子どもと大人だった。
当然誰もがベテランに賭けるが、たった一人だけ新人に賭けた男が居た。直接顔を確認したわけではないが、ギーリはその男が昨夜酒場に居た男だと確信する。
一日汗水流して必死に稼いだ僅かなお金を震える手で全て新人に賭けるギーリ。今回の胴元が酒場の店主であることもギーリの一世一代の決断を後押しする。
胴元は少し驚いた様子だったが、少し笑みを浮かべながらギーリから賭け金を受け取った。
数分後、ギーリは見たこともない大金を両手に抱えていた。
小汚い袋に夢中でお金を詰め込み、体中の高揚感を抑えぬまま走りながら今夜何を食べようかと頭の中で夢を想い描いた。
単純な一本道を進むだけだった人生に抜け道を見つけた気がした。
だが、やはり世界は単純だった。
ギーリは気が付くと仰向けに路地に倒れていた。体中がズキズキと痛み、手に抱えていた大切な袋の中身は空っぽだ。
「ほら、治療費だ」
ギーリから全てを奪っていた男が一枚の硬貨を投げ捨てる。それはあの喧嘩で負けたベテランの男だった。
なんて愚かだったんだ。
八百長は一方だけでは成立しない。
胴元も新人もベテランも、全員がグルだった。
悔しさで涙を浮かべながらギーリは地面を這って硬貨を手に取る。
力。
力が欲しい。
腕力も金も権力も。
誰も抗えない力が欲しい。
世界を単純にするための力が欲しい。
何かを決意したギーリはその硬貨で一本のナイフを買った。
たった数リールの金でギーリはどんな腕力をも凌駕する力を手に入れた。
次は金だ。
胴元の酒場に向かったギーリだったが、まだ早い時間帯だというのに店は閉まっていた。だが明かりはついており、店の中からは談笑する声が聞こえてくる。
裏口に回ったギーリは隙間から中の様子を伺った。
「ギャハハハ。大儲けだぜ!」
ギーリが一時的に手にした金よりも何倍もある金が机の上に積まれている。それを抱きかかえた店主の下品な笑みがギーリの殺意を駆り立てる。
「全くバカな連中だ」
同席している新人の男が隣に座るベテランの男の肩に手を乗せながら歪んだ笑顔を浮かべる。
「そういやもう一人のバカ、アイツも災難だったな。黙って負けてりゃ痛い目見ずに済んだのによ」
自分から奪った金を机の上に追加しているのを目撃すると、ギーリの殺意は抑えきれなくなった。
気が付くと裏口の扉をこじ開けて店主の男の背中にナイフを突き立てていた。
絶叫が酒場に響き渡り、新人とベテランの男は椅子から転げ落ちて腰を抜かす。
あれほど拳で金を稼いできた男たちでも一本のナイフには立ち向かえない。単純な話だ。
程なくしてギーリは真っ赤に染まったお札を袋に詰める。
「葬式代だ」
そう言ってギーリは硬貨を全て三体の死体に残して店を去った。
金を手に入れたあとは簡単だった。権力は自動的に付いてくる。そして金はどんどん膨れ上がった。
「ハァハァハァ」
それがたった二人の男によって全てを奪われた。
だがギーリはまだ諦めない。残された最後の力、チルッタの手を引きながら必死に走る。自分とチルッタの力があれば何度でもやり直せる。
「父さん、待って」
手を引かれたチルッタの声も届かないほど必死な形相で走るギーリ。
目立つ金の服はとっくに脱ぎ捨て、あの日身につけていたようなみすぼらしい服装に身を包みながらただひたすらに走る。
力も金も権力も無い今、生き残るにはそれしかなかった。
「ま……て」
「お、お前。ヒンター……か?」
全身から血が噴き出したヒンターがボロボロの体を引きずりながらギーリの背後から声をかける。振り返ったギーリは少し安堵した表情でチルッタから手を離してヒンターに近寄る。
「よかった、お前がいればまだ何とでもなる」
「父さん駄目!」
チルッタがギーリの背中に伸ばした手が届くよりも早く、ヒンターの手刀がギーリの体を貫通して伸びてくる。
「ごふっ!」
「金の無い、お前……に用は、ねぇ」
血を吐いて倒れるギーリと、目的を達成して力尽きるヒンター。
二人の死体を前にし、チルッタは膝が崩れ落ちる。
物心ついた頃から父が全てだった。
父が正しいと言えば正しく、それが世間的には悪事だと気がついた頃には取り返しがつかないほどの罪を重ねてしまっていた。
でも父が肯定してくれればそれで良かった。
だがその父はもう居ない。
誰も肯定してくれない。残されたのは償いきれない罪のみ。
チルッタは腰につけた護身用のナイフに手を伸ばす。昔、父が誕生日にプレゼントしてくれたものだ。
「ごめん、なさい……」
チルッタはナイフを自分の首に突き立てた。




