第七十五話「スネイルVSローブ」
獣人、ティアベルが戦いを終えたばかりのエーデルに近づいていく。その手には何か薬のようなものが入った小瓶が握られており、エーデルはそれを警戒した様子で睨みをきかせている。
「そこで止まれ」
「そう警戒されるな。見事な戦いぶりであった」
エーデルの言葉に足を止め、ティアベルは手にした小瓶を床に置く。
「見たところだいぶ疲労がたまっている様子。これは私の国に伝わる滋養強壮の効果がある薬だ。飲まれよ」
差し出された緑色の液体が入った小瓶。
とても手にする気になれず、エーデルが警戒を強めているとシナムが横槍を入れてくる。
「やめといたほうがいいぜ。どうせその獣の体液かなんかだろ。反吐が出る」
その言葉にティアベルの顔が強張る。目の前のエーデルが思わず恐怖するほどの恐ろしい形相だ。
「……これはきのみと薬草を煮詰めたものだ。貴様のような小僧には理解の及ばない先人の知恵である」
「獣が知恵を語る? ハハハ。なかなか笑えたよ!」
口ではそう言うものの、シナムの顔は全く笑っていない。
「やめろ、俺の嫁の前で。やるなら試合でやれ」
足を引きずりながらグロモスが控室の入り口に到着する。
「だ、誰が嫁だ!」
立ち上がったエーデルは腕を大きく振りながらそれを否定し、シナムは心底気持ち悪そうに舌を出している。
「獣の次は妄想野郎か。あとはエセ女剣士にゴブリン、根暗に腰抜け。おっと人形もいたっけ。俺以外まともな人間は居ないのか?」
その場の全員を敵に回すようなシナムの物言いに、控室の空気がピリついていく。中でもティアベルとグロモスは顔を真っ赤にして拳を握りしめている。
今にもシナムに飛びかかりそうな二人だったが、ふとローブの人物が立ち上がったことで視線は完全にそちらに持っていかれる。
「うわっ、生きてたの」
ローブの人物を挑発するシナムだったが、一切視線を向けずにそのまま控室を出ていく。
「気をつけよ。お主の次の相手は間違いなくあれだ。私はあれほど身の毛がよだつ者を見たことがない」
エーデルにそう告げるティアベルの毛は言葉の通り逆立っている。先刻感じた殺意は今でも体が覚えている。
「気持ち悪。なあお前もそう思うだろ?」
「……」
黙ったままのアインに喋りかけるシナム。アインはそのローブの人物から漂う気配に妙に引かれ、姿が見えなくなるまで視線を外せなかった。
「ん? なんだ来たのかよ。ケケケ、不戦勝だと思ったのによ」
「……」
足を組んで横になっていたスネイルが、ローブの人物の登場に重たいまぶたを開ける。
エーデルとグロモスの激しい戦いに沸き立った観客たちだが、小人と謎のローブの人物という地味な組み合わせにどこか緊張感が無い。歓声もなく、私語が飛び交っている。
賭けも盛り上がらないが、その様子を見ている主催者のギーリはどっしりとしていて慌てる様子はない。
「ケケケ。お前ら、俺をなめてるだろ」
そんな彼らの度肝を抜くように、ローブの人物が所定の位置についたところでスネイルの姿が観客たちの前から消える。
自らの目を疑った観客たちがコロシアムに身を乗り出してその姿を追うが、薄気味悪い笑い声だけがスネイルの存在を証明している。
賭けも一気に盛り上がり、観客たちはお金を握りしめながらスネイルの名を叫んでいる。
その声は、スネイルの笑い声と共に一瞬で静まり返った。
何が起きたのか理解できたものは一人もいない。
ローブの人物が天に手を掲げたかと思えば、コロシアム内が瞬時に炎に包まれた。その瞬間スネイルの不気味な笑い声は苦痛な叫び声へと変わり、彼の小さな体はただの炭へと姿を変える。
控室に備え付けられたモニターから試合の様子を見ていた選手たちも観客と同様に言葉を失い、ローブの人物の得体のしれない力に息を呑む。中でも細身の男、ヒンターは泡を噴き出して失神してしまっている。
「あそこまでとは……」
決勝の相手となるであろうローブの人物の力を目の当たりにし、ティアベルの毛がまた逆立つ。
「な、なんだあの魔術は」
「おい、棄権したほうがいいんじゃねぇか?」
エーデルとグロモスは燃え盛るモニターに釘付けになっている。
「あーあ。ご愁傷さま。お前死んだね」
ローブの人物と次に対戦するエーデルにそう告げるシナムだったが、内心冷や汗が止まらない。
五者五様の反応を見せる選手たちだが、その誰もがローブの人物への恐怖を覚える。だが、同じくモニターに釘付けになっていたアインが抱いた感情は彼らとは異なるものだった。
「リヴ……?」
あの炎。
あの威力。
それは間違いなく共に歩んできたリヴのものだった。
だが何のためらいもなく相手を焼き殺すその行為は彼の知るものではない。
炎に揺らめくローブを、この空間にいる誰もが吸い込まれるように見入っていた。




