第六十八話「行商人」
体が動かない。
もう、何の感覚もない。
どれくらい時間がたったのだろう。
アインは行商人に声をかけられて自分が気絶していたことを知る。日が昇り始めていることから少なくとも一夜は明かしてしまったようだ。
「あ、良かった生きてるみたいだね」
「み……水をくれ」
布を頭に巻いた女性の行商人が差し出した水を受け取ると、アインは頭からかぶって口に流し込む。
命が戻ってくるのを感じ、アインは体を起こして行商人に礼を言う。
「助かった」
「そりゃ良かった。三百リールだ」
女性は太陽に負けない笑顔でアインに手を伸ばしてくる。
「……金か?」
「慈善家に見える?」
行商人の笑顔に次第に圧と影が掛かっていく。 アインは服に手を突っ込むが、出てくるのは砂や灰ばかりだ。リヴのローブに何か無いかと後ろを振り向くが、そこで初めてリヴが消えていることに気が付く。
「……!」
まだ右足は再生していない。
無理やり立ち上がったせいでアインの体は派手に転倒し、行商人の女性が慌てて体を支える。
「ちょっと、大丈夫……」
「リヴは!? リヴを見なかったか!? 紫のローブを着た黒髪の女だ!」
残された右腕で行商人の女性の肩に掴まり、アインは必死の形相でリヴの名を叫ぶ。だが返ってくるのはアインの急な取り乱しように困惑する行商人の表情だけだ。
「……済まない」
行商人から手を離し、アインは崩れ落ちるように座り込む。
心の奥にぽっかりと穴が空き、そこから絶望が溢れ出すような感覚に陥る。
もしかしたら気絶している間にアルトラたちが戻ってきてリヴを連れ去り、今頃殺されているかもしれない。考えたくもない事ばかり考えてしまう。
「もしかしてあの子の事かなぁ」
心に一筋の光が差し込んだようだった。
「どこだ!?」
「きゃ!」
急に腰に飛びついてきたアインに驚いた行商人の女性は思わずアインを突き飛ばそうとするが、片手だというのにびくともしない。
「ちょっ……!」
「頼む、教えてくれ!」
「き、昨日町で……歩いて……!」
それだけ聞くとアインは行商人の女性から手を離す。
「うわっ!」
勢い余って倒れる女性。
「助かる」
アインは女性に手短に礼を言うと、落ちていた木の枝を杖代わりにして女性が来たであろう方向に向けて進み出そうとする。
「ちょ、ちょっと町の方向分かるの? ていうかその体で行くつもり!?」
改めて左腕と右足が崩れている姿、そしてそれでも進もうとするアインに驚きが隠せない行商人の女性。思わずアインの前に回り込んでしまうが、その鬼気迫る表情に言葉を失ってしまう。
「どいてくれ」
「……ちょっとまってて」
アインにそう言って、女性は待機していた馬車の荷台から何かを持って戻ってくる。
「はいっ」
差し出されたのは古びた義足だった。それでも作りはしっかりとしているようで、とても安物とは思えない。
「金が無いのは知っているだろう」
「ええ。だから貸し」
女性はアインの意思とは関係なしにアインの右足に義足を装着していく。
「お、おい」
「いいから。じっとしてて……出来た!」
それは驚くほどアインの足にぴったりだった。
数時間ぶりに両足で大地を踏みしめる感覚に、アインは何とも言えない安心感を感じる。
「とんだ押し売りだな」
義足で地面を何度も踏み込みながらアインは、にやける行商人の女性に声をかける。
「返品はお断りだよ」
「いや、もらおう。それとあの馬車、席は空いてるか?」
「ほら、着いたよ」
「……ようやくか」
半日ほど荷台で荷物として運ばれたアインの体にたくさんのアザが出来ては消えていった。
体を伸ばしながら荷台から降りると、アインはその町の異様さに目を見開く。
「ようこそ。戦いの町、バルトーレへ!」
戦いの町。
そう呼ぶのにふさわしいほど、屈強な肉体を見せびらかすように歩く男たちの姿が目に飛び込んでくる。誰もが目をギラつかせており、至るところで小競り合いが起きている。
体が自然に町の熱気につられ、アイン心も沸き立っていく。が、それは同時にリヴが騒ぎに巻き込まれる危険が高いことを意味しており、いつまでも武者震いをしているわけにもいかない。
「いい顔してるじゃん。男の子はそうでなくちゃね!」
行商人の女性は頭に巻いた布を取り、雪のような白いウェーブ髪が解放される。
「私はチルッタ。あんたは?」
差し出された手を取りながら名乗るアイン。
「アインだ。色々世話になった」
礼を言い手を離そうとするがチルッタはいつまでたっても強く握りしめている。
「……なんだ」
嫌な予感がアインの頭をよぎる。
チルッタはアインの腕を握ったまま左手をポケットに突っ込むと、メモ帳とペンを取り出して片手で器用に復唱しながら何かを書き込んでいく。
「水代三百リール、義足代五万リール、馬車代二千リール、あと私の体に飛びついた迷惑料六万リール。その他諸々込みで締めて十二万リール……っと」
鬼ような情報の羅列に思わず耳を塞ぎたくなるが、そのための腕はチルッタに完全に固定されている。無理やり振りほどく事もできなくはないが、そうなればあのメモ帳にさらに数字が刻まれてしまうだろう。
「あんたには私の戦士として闘技大会に出場してもらう。もちろん優勝もしてもらう」
「は?」
アインが手を離せず、耳も塞げないことをいいことにチルッタはどんどん情報を流し込んでくる。
「優勝賞金は三十万リールとこの町での自由な行商権。借金を返した残りはあんたにやるよ。悪くない話だろ」
「俺はまだやるとは……」
大げさに手を動かしながら説明するチルッタに若干引き気味なアインだったが、次の一言で表情が引き締まる。
「そのリヴって子を見たのが大会主催者の屋敷だと言っても?」
「なんだと……」
アインの目の色が変わった。それを見たチルッタの目も輝き出す。
「いい目だ。私の目に狂いは無かった」
「もう少しだけ世話になる」
今度はアインの方からチルッタの手を握りしめる。
熱気に包まれる町にまた一つ火種が投下された。




