第六十二話「押し込めていた感情」
照りつける太陽の下、初めて家族と海水浴に行った日を思い出すアルトラ。
砂浜に到着した途端に素足で駆け出す弟たちを追いかけて、幼い日のアルトラも足の裏が焼けるような熱さを感じる。圧倒的な存在感の太陽は彼がいくら手で顔を隠そうとしても容赦なく熱を送り込んでくる。
そんな時は海に飛び込めば良い。姉にそう言われてアルトラは弟たちと一緒に恐る恐る海に飛び込む。海はすべてを受け入れ、熱く熱された彼らの体を気持ちよく癒やす。
そんな三人を両親と姉は優しく見守り、アルトラは満面の笑みを浮かべる。
その記憶をリヴの黒炎が燃やし尽くし、彼を無理やり現実に引き戻す。
「……っ」
あの時の太陽がすぐ近くまで迫ってきたかのような圧迫感。大半の灰哭隊は熱によって気絶し、アルトラの意識も朦朧としてくる。剣は握ることができないほど熱せられ、体全体から嫌な汗が噴き出してくる。
「辛いですか?」
ハイライトの消えた漆黒の瞳でリヴがアルトラに語りかけてくる。抱えていたアインの腕は完全に焼け落ち、彼の胴体が足元に転がっている。
「か……は……」
声を出そうとするも乾ききった喉は音を発せず、ただ小さな呼吸だけを繰り返す。
「私も同じです。ずっとずっとずっと辛かった」
彼女の感情に呼応して黒炎もまた大きくなり、近くの木々を焼き、緑の大地はたちまち火の海になる。
「でも、今は何だか気分がいいんです。本能なのかな? やっぱり私、魔族なんですね。フフ」
喜びなのか、哀しみなのか、彼女の瞳からは絶えず涙がこぼれ落ちるが、地面に着くまでにすべて蒸発してその涙を見るものは誰も居ない。
アルトラはリヴが力に酔いしれている隙に徐々に後退し気絶した部下の救出を図るが、リヴは見逃さない。
「どこに行くんですか?」
リヴが両手を上げると彼女を中心に大きな円状の炎の壁が出現し、灰哭隊の退路を塞ぐ。
「私の命を狙っておいて、まさか自分たちは見逃してもらえるなんて思ってませんよね?」
無慈悲な瞳でアルトラを見下ろし、口元をゆがませるリヴ。
なんとか逃げ道は無いか辺りを見渡すが、どこを向いても黒炎しか見当たらない。部下たちは既に脱水症状を起こしており、急がなければ命が危ない。
「リ……ヴ」
アルトラたちにとどめを刺そうと腕を突きだしたリヴの耳に、アインのか細い声が飛び込んでくる。
「あ、良かった、あなたにも見せたかったんです。私たちを殺そうとしたあの人たちに罰を与えるところを」
再生し始めたアインの目に飛び込んできたのは今まで見たこともないリヴの笑顔だった。
口元は不自然にゆがみ、目尻が下がっている。普段はあまり見せたがらない牙もむき出しになっており、控えめな角も頭上で存在感を放っている。黒い髪も青みがかかっており、その姿はまるで因縁の相手、魔王のようだった。
「リヴ、なのか?」
アインの知っている華奢で健気な少女はそこには居ない。
「そうですよ? ほら」
首をかしげながら、リヴは指先を軽く弾く。すると小さな炎のかたまりが目にも止まらぬ速さでアルトラに一直線に飛んでいき、彼の体に全身を焼かれるような激痛を与える。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
焼けた喉で悲鳴を上げ、アルトラの膝が崩れる。上半身の黒い軍服は焼け落ち、素肌に大きな火傷が残される。
「よく分かった。お前はリヴじゃない」
煙を上げながら気絶するアルトラ。
アインは再生した足で立ち上がると、アルトラに駆け寄って剣を拾う。
「リヴじゃない? どういう意味ですか? 私は私ですよ?」
理解できないといった様子でとぼけた表情を浮かべながらアインの背中を見つめるリヴだったが、アインが振り返って自分に剣を向けていると分かると、その表情は黒く沈んでいく。
「……何してるんですか?」
「お前を止める」
リヴの背後で黒炎が爆発し、彼女の背後が焼け野原となる。
「止める? 殺すの間違いじゃないですか?」
「……」
毛が逆立ち、彼女の足元の小石が溶けていく。
「助けてあげたのに!!」
重力を無視して溶岩がアインめがけて飛んでいく。回避自体はさほど難しくはないがアインの後ろにはアルトラが倒れており、その近くには何人も灰哭隊がかろうじてその心臓を動かしている。
「くっ」
左腕に浴びた溶岩はアインの皮膚を一瞬で燃やし尽くし、傷口が黒く固まる。それはアインの回復機能を著しく低下させ、左腕は使い物にならなくなる。
「どうせあなたも心の中では私を恨んでるんだ!」
リヴが両手を地面に付けると大地が割れ、その隙間から炎が噴水のように噴き出してくる。だがそれと同時に円形の炎の壁にも僅かに切れ込みができ、剣を手放してアインはその隙間めがけて灰哭隊を次々に外に投げ捨てていく。が、最後のアルトラに手をかけると同時にアインの右足が亀裂に飲み込まれ、右足は瞬時に炭になってしまう。
「ぐっ!」
「お母さんに会いたいんでしょ? そのために死にたいんでしょ? そのために呪いを解くんでしょ? そのために魔族を皆殺しにするんでしょ?」
言葉をまくし立てながらリヴがアインに近づいていく。
「だったら私も殺さないと。私も魔族なんだから」
高揚感に支配され、今なら何でもできる気がする。自分を脅かす灰哭隊も、兄や他の四天王も皆殺しにしてしまえばいい。そうすればアインも自分に感謝するだろうし、誰にも邪魔されずに暮らすことができるだろう。
かしずくように膝を折るアインの前にしゃがみ込むリヴ。睨見つけてくるアインの視線も心地良い。
「大丈夫。私が何もかも解決してあげるから」
だがそこでリヴは見てしまう。彼の瞳に映った自分のかわり果てた姿を。
「……っ」
リヴは落ちていた剣を拾い、アインに握らせる。
「何を……」
困惑した表情でリヴを見つめるアインだが、リヴはその瞳から逃げるように目をつぶる。
「ねぇ、死ぬってどんな感じですか?」
「……リヴ?」
剣を握ったアインの手を両手で握り、剣先を自分の方に向ける。
「痛いですか? 苦しいですか?」
「リヴ?」
その手をゆっくりと自分に近づけていく。抵抗しようとするアインだか、左腕と右足を失ったせいで力が入らず、リヴに導かれていく。
「リヴ! おいリヴ! くそっ、動け!」
剣の先端がリヴの肉体に食い込む感触が腕に伝わってくる。自分の手を握りしめるリヴの手も激しく震えており、押し殺した苦しみの声が耳に入り込んでくる。
「うっ……」
「アルトラ? アルトラ! 頼むリヴを止めてくれ!」
アインの叫びで目を覚ましたアルトラにさらに大きな声で助けを求めるアイン。
「な、何が……」
「頼む! 何でもする! 俺はどうなってもいい!」
先ほどまで暴れていた魔族。
その魔族を命をかけて助けようとした男。
戦禍から遠ざけられた部下たち。
順番に状況を整理したアルトラは再びリヴとアインに目を向ける。
リヴは吐血しながらも剣とそれを握るアインの手を決して離さない。アインはその手から逃れようともがき、アルトラの名を叫び続ける。
「アルトラ!!」
「よくわからないが……」
アルトラはアインとリヴの間に割ってはいると、リヴの体を突き飛ばす。その衝撃でリヴの手からアインが解放され、剣は持ち主であるアルトラの手に戻る。
「ううっ……ううっ、うわぁあ!」
リヴは地面に仰向けになりながら目を覆い、大声で鳴き始める。その涙は彼女の心を表すように大地に雨を呼び、彼女の黒炎を消火していく。
アインは魂が抜けたような表情で雨に打たれ続ける。
「なんなんだ……一体」
理解が及ばないアルトラだけがその場に立ち尽くしていた。




