第五十九話「アルトラの正義」
不規則に揺れる振動に、アインは重たいまぶたを開ける。開けたところで何も見えず、僅かに漏れる光によっていつの間にか夜を明かした事を察し、さらに何処かへ移動中だということを理解する。
彼の頭に最初に浮かんだのは自分が今どこにいるのか、どこに向かっているのか、そんなことではない。ジークやオルド、ルルのことも気にならないわけではないが、一番はリヴの安否だった。
リヴの強さを疑っているわけではない。
仮にリヴと戦うことになってもアインに勝てるビジョンは浮かばず、誰かに後れを取ることも想像できない。治癒の魔術も強力で、自分の呪いには及ばないもののそう簡単に命を失うとは考えにくい。
が、最後に見たリヴの姿はひどくやつれていた。
足の腱も切りつけられており、歩くこともできないほどだ。
彼女を捕らえていた黒い軍服の男も全く脅威とは思えず、なぜリヴがおとなしく拘束されたのかも、なぜジークたちがそれを許したのかも理解できない。
脱出しようと腕を動かそうとするも、どうやら手足が縛られているようだ。
死体を拘束する意味も、そもそも運ぶ必要もない。
(アルトラ……と呼ばれていたあの男。やつの指示か)
魔族に対する殺意を前面に押し出していたアルトラがリヴをそのままにしているとは考えにくく、アインの焦りが膨張していく。
一刻も早く抜け出そうと体を揺らしていると、彼の体に伝わっていた振動が減少していき、やがて止まる。
「よし、そこの泉で休憩しよう」
聞き覚えのある声がアインの耳に飛び込んでくる。アルトラだ。
「どこへ向かっているのですか?」
「口を開くな。助かりたくて必死か?」
もう一つ聞き覚えのある声がアインの耳に届く。それは間違いなくリヴのものであり、アインは安堵の息を漏らす。
一番の危惧は去ったものの、依然として状況はおもわしくない。
手足は動かず武器も無い。
今飛び出してもまた無力化され、最悪の場合この場でリヴに危害を加えられてしまうかもしれない。それだけは避けたい。
「積荷を確認してくれ」
「了解です」
声と足音がゆっくりアインに近づいてくる。
アインは息を殺し、狸寝入りを決め込むことにする。
程なくしてアインの背中に光が差し込み、灰哭隊の男が剣の鞘で体をつつく。
「やはり死んでいるのではありませんか? 生き返るとは思えません」
「よく見ろ、傷が消えている。もう目を覚ましているかもしれない」
部下の言葉にアルトラが反応し、アインから取り返した柊の葉の装飾が施された剣を抜く。そしてそれをゆっくりとアインの太ももに刺すが、二百年間の拷問によって鈍った痛覚はその態度では反応しない。
「傷を治せる加護なのかもしれませんが、死んでしまえば関係ないのでは?」
「……かもしれんな。無駄足だったか。よし、あの魔族の処刑に取り掛かるとしよう」
そのアルトラの言葉に、アインの体が僅かに揺れる。突き刺した剣から伝わってくるその振動を、アルトラは見逃さなかった。
「……先に準備を進めてくれ」
部下をその場から遠ざけ、アルトラはアインから剣を引き抜く。
血がどくどくと流れ出すが、徐々に弱まりやがて止まる。
続いてアルトラはアインの首に狙いを定めるが、突き刺さる直前でアインは体を回転させて歯で剣を受け止める。
「やはり生きていたか」
アルトラは剣を横に流し、アインの頬を切り裂く。
「もう一度だけ聞く。なぜあの魔族を庇った?」
「……仲間だからだ」
唯一動かせる目でアルトラを睨見つけるアイン。嘘偽りのない真っ直ぐな瞳に思わずアルトラの方が視線を外してしまう。
「魔族だぞ」
「ああ、それがどうした」
アルトラにとってそれは理解できない言葉だった。
アルトラは帝国のはずれの小さな村で家族と慎ましく暮らしていた。
貧乏で娯楽もない生活だったが家族の笑顔があれば他には何もいらなかった。
そんな幸せな日常は何の前触れもなく崩れ落ちる。
魔族が食料を求めて村を襲い、運悪く遭遇して殺される。世界規模で見ればよくある話だ。
だが、アルトラたちにとってはそれが世界のすべてだった。
駆けつけた帝国軍によって魔族は討伐されたものの、失った家族は戻ってこない。彼の幸せな日常はもう二度と訪れない。
あの魔族もただ生きるために家族を殺したのだろうと頭では理解できる。だがそれは所詮当事者では無い者の意見でしかない。
理由など何でもいい。
結果は変わらない。
「魔族は、悪だ……」
なんの抵抗もせず、他の人間を巻き込まないように自分を犠牲にする魔族。そんな魔族の存在は考えたこともなかった。
だが、魔族は魔族。いつ本性を現して人を襲うかわからない。自分たちのような人間を二度と出さないためにも魔族は殲滅する。
それがアルトラのすべて。
「悪……か。ならお前は何だ?」
アインの言葉にアルトラは答えられない。
同じ軍人に手を出し、同じ人間を何度も傷つけ、推定無罪の魔族を魔族というだけで殺そうとしている。
「俺は……お前たちにとっての悪でいい。俺の正義は家族に捧げる」
悲しみを噛み締めた顔でアインを見下ろし、アルトラは重い足取りでリヴの処刑に向かう。




