第五十一話「滅都」
頭から爪先まで全ての神経が逃げろと忠告してくる。それでもジーク、オルド、ルルの体は言うことを聞かない。
誰かに操られているわけでもなく、精神が乗っ取られらているわけでもない。それでも三人は震える足をとめることができない。
「ジーク、少尉、気をしっかり持て!」
「た、大佐……あれ……」
「今、魔王と……」
書物と言い伝えでしか知らない世界の敵、魔王。
目の前の影が本当に魔王かどうかはアインとリヴにしかわからないが、その存在が今まで出会ったどんな存在よりも強力な力を持っていることはひしひしと伝わってくる。
「外野がうるさいな」
魔王の影は腕を少し上げる。
「ま、待て!」
ザックが吹き飛ばされた記憶が蘇り必死に魔王に手を伸ばすが、その手は虚しく空を掴む。
三人の体は綿毛のようにいとも簡単に吹き飛ばされ、荒野を滑っていく。
「貴様……」
「懐かしい目だ」
魔王はアインの殺意がこもった目を満足そうに眺め、腕を組んで瓦礫の上に座る。
「そして我が娘、リヴよ」
アインの隣で目を虚ろにさせるリヴに視線を移し、魔王は指を動かす。すると糸で引っ張られたようにリヴの体は魔王に寄せられていき、無理やり目の前まで連れてこられる。
「なぜ勇者を解放した? あの女による指示か?」
リヴが口を開かずに虚空を見つめていると、魔王は思い出したようにリヴの頭に手を乗せる。
「おっと、影の影響を受けていたのだったな。失念していた」
魔王の手が触れるとリヴの目に光が戻っていき、精神を取り戻す。それと同時に目の前に突如現れた存在に瞳孔が開き、全力で後ろに飛び退く。
「ふ、嫌われたものだな」
回避の瞬間にリヴによって焼かれた腕を振りながら呟く魔王。傷は始めか部分 らなかったように一瞬で回復する。
町での戦いによって剣を失ったアインは、代わりに拳を構えて戦闘態勢にはいるも魔王は足を組んだまま優雅に肘を立てながら二人を見つめている。
「そう身構えるな。お前と戦う気はない」
「貴様に無くとも俺にはある。お前は仲間の仇だ!」
やれやれと首を横に振る魔王にアインが突っ込むも、何の策もない特攻でしかない。
「死ねぇ!!」
回避も防御体制も取らない魔王の顔面を力の限り殴りつけるが、アインの拳と体は魔王をすり抜けてしまう。
そのままの勢いで瓦礫に突っ込むアイン。
「大丈夫ですか!」
キリっと魔王を睨みつけながら通り越し、リヴはアインを瓦礫から引っ張り上げる。
「仲良くなったものだな。あの女のことはもう忘れたらしい」
「何だと……」
アインは支えるリヴの手を外し、また一歩づつ魔王に向かっていく。そして再び殴りかかろうと拳を振り上げるが、いくら攻撃しようともまた魔王をすり抜けてしまう。
「どうした? 攻撃しないのか?」
「姿を現したらどうだ、卑怯者!」
どうしようもない怒りを込めて言葉を投げかけるが、魔王は無視してリヴに話しかける。
「リヴ、この愚か者に私が死亡したと説明していないのか?」
「聞いた……だが確かにお前はここに……!」
娘への質問にアインが答えたことに魔王はやや不機嫌な表情を見せ、指を鳴らす。すると地面の瓦礫が意思を持ったようにアインに突撃し、その体をリヴの隣まで弾き飛ばす。
「くっ!」
「今の私はこの地に残された残留思念に過ぎない。でなければお前もお前の仲間たちもとっくに私と同じところに送られているだろう」
確かに攻撃を受けたアインの傷は浅く、吹き飛ばされたジークたちも気絶しているだけのようだ。
「何が、目的なのですか」
アインを支えながらリヴが質問する。
「お前の顔が見たかったのだ。リヴよ」
その言葉にアインは拳を握りしめ、リヴは力が抜ける。
再び世界を支配する。
自分の体を乗っ取って復活する。
そんな目的なら父を攻撃する覚悟だったリヴだが、魔王ではなく父の目をしている目の前の男にどう答えればいいのかわからない。
「バートンは息災か? アモールの怠惰ぐせは治ったか? スパーダは……まあアイツは大丈夫か」
まるで相手にされていないアインは怒りに震え、リヴは黙って魔王の言葉に耳を傾けている。
「ここは私にとって重要な場所だ。だから魂の一部を封印しておいた。そのおかげでまたお前の顔を見ることができた」
ルシウスと過ごした百八十六年前の記憶が、もう無い脳裏に蘇る。その目尻には涙のようなものも浮かんでおり、それを見たリヴは無意識の内に一歩前に出ていた。
「父……上」
「……そろそろお別れのようだ」
リヴに呼ばれ、一瞬目を丸くする魔王だったが、そう言って立ち上がると寂しい目で娘を見つめる。
魔王の体は次第に形を保てなくなっていき、影に戻っていく。
「リヴ、最後の願いだ。私が消えれば本来ここにいたものが再び姿を現すだろう……それを葬ってやってくれ」
「待ってください父上! まだ話したいことが!」
「それと勇者よ」
泣きながら魔王に近づくリヴに笑いかけ、変わらず魔王を睨み続ける視線をアインに移す。
「リヴを……頼む」
それだけ言い残して魔王は再び世界から消えた。
「勝手な事を……!」
アインの怒りもリヴの悲しみも、ぶつける先は永遠に戻ってこない。
そして、魔王の言っていた本来ここにあったもの、滅都を滅都にした元凶がゆっくりと姿を現した。
「……下がっていてください」
リヴは涙を拭き、アインの前に立つ。
影はリヴの精神を乗っ取ろうと絶えず攻撃を仕掛けてくるが、リヴの心に入り込む隙はない。
そして魔王を弔うように顔の前で手を組むと、そのまま空に掲げる。
「さようなら」
振り下ろされたリヴの拳は炎の柱を呼び、滅都は影と共に焼き尽くされる。
そして燃え盛る滅都に背を向け、リヴはアインに笑いかける。
「さあ、皆さんのところに行きましょう」
その作り笑いにかける言葉が見つからなかったアインの拳から怒りが遠のいていく。
「魔王、俺は貴様を許さない。だが……」
リヴを追いながらアインは燃え盛る滅都に視線を移す。
いずれ訪れる別れの時を思い浮かべながら。




