第四十四話「得体のしれないもの」
格下。
目の前で獣のような唸り声を上げている魔族に対してアインが最初に抱いた感情がそれだった。
帝都で魔族の最高峰である四天王のうち二人と対峙したアインにとって、ただの野良魔族などとるに足らない相手、そう思うのは必然だった。
口から骨を吐き出し、魔族は顔を震わせながらアインに突進してくる。並の魔族に比べればいくらか素早いが、ルクスのスピードを目の当たりにしているアインにとっては止まっているも同然だ。軽く身をかわして足をかけるだけで魔族はなす術なく地面を滑る。
「あ、あがが」
ラヴィは目の前の男が服屋で出会った浮浪者だとようやく気がつく。そしてその強さを知った今、店での行いがどれほど危険な行為だったかを再認識する。
自分の所属していた組織がただのチンピラ集団ではないことは薄々勘づいていたが、まさか人身売買や臓器売買、そして魔族が関わっているとは夢にも思わなかった。
「いつまでアホヅラ晒してんだ。魔族様に失礼だろう」
何よりも恐ろしいのはこの男だ。
普段自分たち下っ端に対して冷徹で使い捨てにするような男だが、この魔族に対しては盲信している。瞳孔も開ききっており、普段の面影は何処にも存在しない。
アインもまた、魔族に対して奇妙な違和感を感じていた。
下級魔族と上級魔族の大きな違いは知能にある。
下級であればあるほど獣に近く、人間と遠い。ろくな魔術も使えないせいで攻撃手段は爪や牙に限られる。目の前の魔族がまさにそれだ。
しかし、この魔族はあまりにも知能がなさすぎる。
下級魔族とは言えほとんどが人語を操ることができ、そうでないものは荒野で出会った魔族のように貧弱だ。
当たることはないが、この魔族の爪や牙は人体程度簡単に引き裂くことができるだろう。物理的戦闘力だけならば上級魔族に匹敵する。
「……魔族ではないのか?」
口から漏れ出たアインの言葉に、男は興奮した様子で呼応する。
「そう、魔族ではない。魔族様だ!」
男の言葉に操られるように再び魔族が突進を仕掛けてくる。
単調な攻撃、再び避けようとするアインの足に男の放った銃弾が炸裂する。
「なっ!」
動きが止まったところに魔族の突進がもろに命中し、内臓が口から飛び出そうになるような衝撃がアインを襲う。鋭い牙がアインの腕に食い込み、肉を食いちぎる。
「ブッ!」
しかし魔族は少し咀嚼しただけでアインの肉片を吐き出し、自らの舌を手で激しく拭っている。
「どうした?しっかり味わえ。二百年ものの熟成肉だ」
もう片方の腕を魔族の口に突っ込み、牙をへし折るアイン。
「ぐがぁぁがが!」
「魔族様!」
痛みで地面をのたうち回る魔族。
内臓が回復しきっていないアインも血を吐きながら片膝をつく。
男は魔族に近づきすぎない距離で辺りを見渡し、隅でガタガタ震えるラヴィを視線に捉えると真顔でラヴィの腕を掴む。
「魔族様!今はこの男でご勘弁ください!」
そう言ってラヴィを魔族の方に投げ飛ばし、ラヴィは再び死に直面する。
「ぎゃぁぁ!」
「おちおち休んでもいられないか……」
恐怖で悲鳴を上げるラヴィ。
全快するまでまだ少しかかりそうだが、ラヴィが食われてしまっては元も子もない。
自らの体を盾にするように魔族とラヴィの間に割って入り、魔族の爪が体を貫通する。
「ぐふっ!早く……下がれ!」
「そ、そんなこと言ったって……」
まるで自分の足ではないようにラヴィの体は動かない。
「魔族様!助太刀いたします!」
「早くしろ!」
男が再び銃を乱射し、アインの体に小さな穴が空いていく。
意識を保つのも限界に近づいた頃、アジトの扉が爆風で吹き飛ばされ、それに巻き込まれて男の体も天井に叩きつけられる。
「すいません、遅くなりました」
「まだ生きてるかい?」
「……限界だ」
リヴとジークの姿を目の端に捉えると、安心したようにアインは意識を失う。
壁を失ったラヴィに再び魔族の爪が襲いかかるが、今度はオルドとルルがそれを剣で受け止める。
「く、踏ん張れ少尉!」
「なんなんですかこれ!魔族ですか!?」
二人がかりでようやく受け止めたその攻撃の強さに一瞬でも気が抜けない。
「いえ、魔族ではないです!」
「本当かい?ただの獣には見えないけど」
目の前の化け物を魔族ではないと断言するリヴ。だが何者かは分からない。
「そう、ただの獣でも、ただの魔族でもない……」
頭から血を流しながら男が立ち上がり、ふらふらと魔族の方に歩いていく。
「魔族の死体を食って進化した獣……魔喰獣だ」
それだけ言い残して男は頭から魔喰獣に食いちぎられ、この世を去る。
「なっ!」
「急に……力が……!」
男を食った瞬間折れた魔喰獣の牙が再び生え、その力強さも増す。その力に徐々にオルドの剣が押されていき、共にささえるルルは今にもひっくり返りそうだ。
「リヴ、あれの気を引けるかい?」
「やってみます!」
ジークが飛び出すと同時にリヴの手のひらから火の玉が発射され、魔喰獣の顔面に命中する。
「うがぁ!!」
魔喰獣の力が緩んだ瞬間にオルドはルルを抱えて脱出し、ジークも気絶するアインと腰を抜かすラヴィの二人を魔喰獣の前から救出する。
魔喰獣は男の死体を爪に引っ掛けながら奥に引っ込んでいき、ようやく束の間の静寂が訪れる。
しかし、リヴたちは得体のしれない“魔喰獣”という存在を前に、心が休まることはなかった。




