第百十四話「いざ追憶の地へ」
ルルが自身の無力さと残酷さに打ちひしがれる中、この場にいるもう一人の息をしている女性もまた、ルルと同じ感情に苛まれていた。
怒りと悲しみが封じ込めていた感覚が一気に戻ってくる。
手に残る嫌な感覚、目の前の息をしていない一人の男。あれ程憎んでいた存在だったのに今は毛ほども怒りが沸かない。
「そんな……つもりじゃ」
動かなくなったアインに向かって投げかけられた言葉。震えが止まらない両手の平を虚ろな瞳で睨みつける。
血の気が引く。何であんなに殺意に支配されていたのか、リーベは自分でも理解できない。
「じ、人工呼吸っ!」
思い出したように声を上げたリーベは必死に震えを抑えながらアインの胸を手で押す。そして顔を少しだけしかめたあとアインの唇を凝視し、更に顔をしかめる。
「大丈夫ですよ」
やつれたルルの声が覚悟を決めたリーベの耳にかろうじて届き、アインに近づけた顔も動きをとめる。
「どういう……」
アインに顔を向けたまま横目でルルを睨みつけるリーベだったが、その直後アインが咳き込みだすとまるでバネでも仕込まれていたようにリーベは飛び上がって距離をとる。
「気は済んだか? それともまだやるか? 気が済むまでいくらでも付き合ってやる」
アインは首に手を当てながら若干掠れた声でリーベにそう告げる。
「よ……」
先程まで息をしていなかった男がまるで何事もなかったかのように起き上がったことでリーベは驚きの尻もちをつく。だがそれ以上にその顔は安堵に満ちていた。
「よ……よかった」
まだ襲いかかってくるのを覚悟していたアインだったが、リーベから漏れた言葉に目を見開く。頭にはてなマークを浮かべながら隣のルルを答えを求めるように見つめるが、ルルは小さくため息をついて目をそらす。
「無事か! 応援を連れてきたぞ!」
「おい坊主! 生きてるか!?」
息を切らしながらエーデルとグロモスが部屋に飛び込んでくる。場合によっては剣を抜く覚悟もしていたエーデルだったが、修羅場だった先ほどまでとはうって変わった部屋の雰囲気にグロモスと顔を見合わせている。
「だから焦る必要なんて無いって言ったじゃないか」
あとから遅れてゆっくりとジークが顔を覗かせる。
疑問を浮かべるアイン。
混乱するエーデルとグロモス。
胸をなで下ろすリーベ。
複雑な表情のルル。
そしてこの場で唯一落ち着いているジーク。
何はともあれ、ようやく元灰哭隊駐屯所に静寂さが戻った。
「終わったのならもう行く。邪魔をしたな」
イマイチ状況が掴めないままだが、リーベに反抗の意思がないとわかるとアインはリヴが寝ている仮眠室へと進もうとする。
「待って」
引き締まった表情のリーベはアインの後ろを付いていき、自分たちを苦しめた元凶であるリヴを改めて視界に収める。
「先ほども言ったが、お前らを傷つけたのはリヴだ。それについては謝罪する。だがリヴをこれ以上傷つけるなら容赦はしない」
拳を強く握りしめながら顔をゆがませるリーベに対してアインが釘を刺す。
「私にはただ寝ているようにしか見えないが?」
「ああそうだな。もう五日このままだ」
冷たい声でそう言うアインの方に一瞬視線を向け、リーベは再度リヴを見下ろす。
「リヴを叱咤するのは少し待ってくれ。俺たちはコイツを目覚めさせるためにテーレに行く」
アインはリヴを抱きかかえてリーベの視界から遠ざけると、彼女を残したまま仮眠室を出ていく。
「いいのかい? 彼女まだ何か言いたげだけれど」
黙々と出発の準備を進めるアインに対してジークが気を使うように声をかけるが、アインは準備の手を止めない。
「俺たちに今できることはいち早くあいつの視界から消えることだけだ」
仲間を奪われる悲しみ、やるせなさ。
それはアインにも痛いほどわかる。
どんな事情があろうとも、リーベは決して自分とリヴを許さないとアインは理解していた。
南の都市の入口前。
一週間にも満たない付き合いだったが、とても濃い時間を過ごしたエーデル、グロモスとの別れが訪れた。
「お前たちはこれからどうするんだ?」
グロモスに手を差し出しながら質問するアイン。グロモスはその手を力強く握り返しながら大きな口を空けて笑い出す。
「新婚旅行さ!」
エーデルは最早否定するのも疲れたといった様子で大きくため息をつくとアインたちに軽く会釈して一人で歩き出す。
「あ、おい! 待てよ!」
グロモスは慌てた様子でアインから手を離すとエーデルの後を追いかけていく。
「お二人ともありがとうございます!」
「またどこかで会ったら思い出を聞かせてくれよ!」
「ああ! お前らも元気でな!」
「次会ったときは本当の彼女も一緒だと信じている!」
アインよりも更に短い付き合いのルルとジークだったが、共に死地を乗り越えた二人は間違いなく仲間と呼べる存在だった。
四人は互いの姿が見えなくなるまで手を振り続け、アインもその黒い瞳に二人の姿を映し続けた。
「さあそろそろ行こうか。彼女がいつ追いかけてくるとも限らないしね」
ジークの言葉にルルは大いに頷き、エーデルたちから譲り受けた馬車へと向かう。
「そう言えば誰が馬を操るんだい?」
町の外に待機させてある場所へと向かう道中、何気なく疑問を口にするジーク。
「確かに……私も大佐も操れなくは無いですが、オルド准将やエーデルさんと比較されたら困りますね」
一人で馬にまたがるぶんには問題ないが、人の命を預かって操作するのには自信がないと不安を口にするルル。身動きの取れないリヴが乗っているとなれば尚更だ。万が一事故でも起こせば取り返しがつかない。
「俺だってそこまで経験はない」
「仕方ないね。あまり期待はしないでくれよ」
一応聞いてはみたものの、結局ジークが操ることにまとまった。
多少の不安を抱えながら馬車へと向かう一行だったが、その不安は別の意味で増幅していく。
「あいつ……」
いち早く異変を察知したアインがルルとジークを置き去りにして走り出す。
「何を急いで……っルル!」
「はい大佐!」
半拍遅れて事態を察知した二人も全速力でアインを追い、三人は馬車を取り囲むように配置をとる。
「遅かったな」
先ほど確かに灰哭隊駐屯所に置き去りにしたはずの女性。エーデルに渡されたフリルの付いた服が全く似合わないリーベは馬に跨りながら交互に三人を見下ろしている。
「貴様……何のつもりだ」
駐屯所では見せなかった怒りの表情を見せるアインにリーベは若干狼狽えるが、平静を装いながら上からの姿勢は崩さない。
「……安心しろ。中のあれには手出しはしていない」
リーベから必要以上視線を外さないようにしながらも、アインは馬車の中に見えるリヴが無事なことを確認するとひとまず剣にかけた手を離す。
「質問の答えになっていなかったな。お前らの旅、私も同行させてもらう」
「なんでだい? 君は僕たちを憎んでいるんじゃないの?」
何の含みもなく質問するジークにルルはある意味感心し、アインとアイコンタクトを取りながら一足先に馬車に乗り込むとリヴの安全を確保する。
「勘違いしてもらっては困る。私はお前らを助けるつもりはない。これは監視だ」
ジークに視線を合わせながらも、馬車に乗り込むルルにからも意識を逸らさずにリーベは話を続ける。
「お前の言う通り私はあの魔族を許すつもりはない」
「なるほどな。リヴが目を覚まし次第リヴを襲うつもりか?」
リーベが跨る馬の下まで移動し、下から彼女を突き刺すような視線で睨みながらアインが口を開く。
「私がみすみすお前たちを逃がすと思うか?」
しばらく睨み合っていた二人だったが、リーベが全く馬から降りる気が無いと判断し、アインは仕方なく馬車に乗り込む。
「君に馬の操縦をまかせていいのかい?」
「当然だ。敵に手綱を握らせるほど馬鹿じゃない。佐官のくせにそんな事も分からないのか?」
「それって私たちのことを馬鹿だって言いたいんでしょうか」
「まあまあ、ルル落ち着いて。彼女が操縦できるなら任せようじゃないか」
「何でもいいがリヴに危害が加わるようなら突き落とすぞ」
「その男の口を閉じさせろ。もう一度落とされたいか」
「よろしく頼むよ。僕はジーク。彼女はルル。隣で睨んでいるのがアイン」
「……まさか私に自己紹介しろと? お前たちに名乗る名前など無い!」
不安しかない旅が始まった。




