第百十三話「守るとは」
「だから言ったじゃないですか、勝手に服を脱がせるのは良くないって!」
汚れているからといってリーベの軍服を脱がし、洗濯した張本人であるエーデルに対して声を荒げるルル。
それだけではない。軍人ではないエーデルには理解のできないことだが、軍服は兵士たちにとってただの布以上の意味を持つ。それをいとも簡単に、しかも敵だと認識している者たちに奪われたことはエーデルの想像以上にリーベを傷つけてしまった。
「申し訳ない。軽率なことをした」
エーデルは不服そうな顔のリーベに頭を下げながら、まだ乾かない軍服の代わりに用意した服を差し出す。
「一つ……いや二つばかり尋ねる」
少し考え込んだあとエーデルが差し出したフリルの付いた服に手を伸ばしながらリーベはルルとエーデルを交互に睨みながら質問を投げかける。
「お前たちは私の敵か?」
その質問に即座に首を横に振るルル。
エーデル個人としては黒い軍服を着て自分たちに襲い掛かってきたリーベに対して決していい感情は抱いていなかったが、ルルの様子を見て素直にそれに応じる。
「敵じゃありません! 勝手に入ったのは謝りますが、私たちはアルトラさんに……」
「質問はまだ途中だ。弁解はその後にしてもらおうか」
誤解を解こうと身を乗り出すルルの前に手のひらを押し出して、リーベはその言葉を遮るように次の質問を告げる。
「我々の仮眠室で呑気に惰眠を貪っていたあの女……いやあの女魔族の名は何と言う?」
その質問の内容が明らかになっていく内に、ルルの表情はみるみる暗くなっていく。
アインの懸念も鑑みずにリヴの為だ何だといって彼女を連れ出したことを後悔してももう遅い。
エーデルの発言と表情で自分たち、特にリヴに対して強い憎悪を抱いていることは明らかであり、初対面の行動からしてそれは殺意にすら届きうる。
「答えられないのか。それは答えているのと同じだぞ」
完全に確信を得たリーベはエーデルから渡された服を握りしめる手に力を込めながらルルに詰め寄る。それでもルルは何も答えられず口を閉ざし続けるが、その手は自然と腰に付けた剣へと伸びようとしていた。後ろに立つエーデルだけがそれに気づいていたが、その行動が正しいのか否か判断が付けられずにいると、助け舟を出すようにリーベの背後にアインが忍び寄る。
「二つ目の質問の答えだが、彼女の名はリヴ」
アインの声が聞こえてきた途端、リーベはすぐさま体を回転させて拳を構える。
「やはり貴様らが私の部下とアルトラ様を襲った張本人か!」
「三つ目の質問か? 確かに連中を傷つけたのはリヴだが、先に手を出してきたのはお前たちの方だ」
剣を手にしていればすぐに襲い掛かって来るだろう雰囲気を醸し出しながらアインに叫びかけるリーベ。アインも負けじと強気な姿勢で対峙する。
「魔族を討伐するのが我々灰哭隊の責務だ! それを阻むと言うなら誰であろうと容赦はしない!」
リーベの節々が軋みながら音を立てていく。
軍服も武器も奪われようと、誇りだけは失っていない。拳さえあれば戦える。
「この状況が理解できないのか? 視野の狭いやつだ。アルトラに置いていかれたのも納得だな」
サーッとリーベの血の気が一気に引き、直後に抑えようのない激情が沸いてくる。それは誇りも矜持も存在せず、ただ単純な怒りのみで構成されていた。
「貴様ッ!」
気が付くとリーベは力強くアインの首を絞めていた。自分でも信じられないほどその力は強く、指の方が先にへし折れてしまいそうな程だ。アインの首もメキメキと音を立てているがその瞳には力が宿り続けており、真っすぐとリーベを見つめている。
「止めなくていいのか?」
アインが首を絞められているというのにその場で止まり続けるルルにエーデルが声をかけるが、ルルは微動だにしない。
「連中を呼んでくる!」
ルルが動かないのを確認すると、エーデルは首を絞め続けるリーベの横を抜けてジークたちがいる仮眠室へと駆けていく。
「貴様……何故抵抗しない!」
仮にもアルトラを退けた男、その男が無抵抗のまま自分に殺されかけている違和感にリーベの殺意が疑問へと変わっていく。だがそれでも怒りは収まらず、指も首に食い込んだままだ。
アインの顔面から血の気が引いていく。
「答えろ!」
抵抗どころか首を絞める自分の手を掴もうともしないアインの様子に、リーベの疑問が恐怖へと変貌する。
「答えろ! 答えろ! 答えろ!」
恐怖を押し殺すようにアインを押し倒し、馬乗になって何度も何度も叫び続ける。自分の両目から涙がこぼれ落ちるのも構わず、リーベは答えの返ってこない問いを投げかけ続ける。
無抵抗のアインに自分の内なる感情をぶつけ続けた結果、リーベに残された最後の感情はアルトラに置いていかれた純粋な悲しみだけとなる。
灰哭隊も、黒い軍服も、本当はどうでもよかった。ただあの人の隣に立っていたかった。同じ景色を眺めていたかった。この場所に留まり続けるのも、もうその役割を終えた黒い軍服を着続けるのも、アルトラを身近に感じていたかったからに過ぎない。
「頼む……答えてくれ……私はどうすれば良かったんだ?」
答えは返ってこない。
それでよかった。その問いかけはリーベ自身に投げかけられたものだったからだ。そしてその答えも本心では分かっている。
結局アインはその意識が途絶えるまで、真っすぐとリーベを見つめ続けていた。
そしてその光景を前にしてただ立ち尽くしていたルル。リーベを止めようと剣に伸ばした手は微動だにせずそのままになっていた。
何の罪もない一人の女性に対してとってはいけない選択。軍人として恥ずべき行為。大切な仲間を守るためという言い訳すら、アインの行動を目の当たりにしてしまった今は通用しない。
目の前で気絶している元勇者はリヴだけでなくリーベも守った。ルルも一生後悔するであろう過ちを犯さずに済んだ。
守るとはどういうことなのか。
ルルはそれを思い知らされた。




