第百八話「別れと新たな旅立ち」
眠り続ける魔族と人間の間に生まれた少女、リヴ。見た目こそ十代後半だが、実年齢は百九十に達する。そして彼女を見下ろす青年アインもまたその見た目に反し、心臓が鼓動を始めてから既に二百二十二年の時が経過していた。
「リヴ……」
つい最近ようやく口にできた彼女の名前。
彼らは同じ魔王城で百九十年間過ごしてきた。もっとも場所は同じでも共に過ごしたわけではない。一方は魔王の後継者として育てられ、一方は練習相手とは名ばかりの魔族の拷問装置として捕らえられていた。
掴んだその手から温もりが感じられる事に胸を撫で下ろしながら、アインはリヴを馬車へと運ぶ。
「申し訳ない。できれば私も同行したかったのだが」
使い古した甲冑に身を包んだ女性は、ヴァルキリア家特有の金に輝く髪をなびかせながらアインに頭を下げる。
「お前にはお前の、俺には俺の役目がある。またどこかで会えるさ」
差し出された手に、オルドは頭を上げてアインと握手を交わす。
「本当にごめんなさい。私にできることなら何でもする」
オルドとは対照的な白銀の髪がその暗い顔を隠してしまうほど下を向いたチルッタはか細い声でそう言うと、アインは視線を合わせないまま肩を叩く。
「その言葉はリヴに掛けてやってくれ。あいつが目を覚ましたらまた会いに行く。それまでにバカな考えは捨てろ」
全てを見透かされたような背中越しに受けたアインの言葉に、チルッタは思わず口元を緩める。
その言葉はチルッタにのみ掛けられたものでは無い。それを理解しているオルドもまた拳を強く握りしめる。
バルトーレでの騒乱、闘技場でのありとあらゆる非人道的行為、その責任を取るべき人物であるギーリは因果応報ともいえる死を迎えた。彼の行動を咎めず、またその片棒を担いだチルッタはこの騒動の重要参考人としてオルドによって帝都へ連行されることになった。
もはや償う方法が死しか無いと考えていたチルッタはアインたちが旅立ったあと自ら命を絶つつもりだったが、それは逃げでしか無いと悟る。
「ではこれで失礼する。シャルルー少尉、ジーク、アインとリヴを頼んだぞ」
部下のルルとジークの敬礼を背に、オルドは馬にまたがるとチルッタを後ろに乗せて草原を駆けていく。
「それではこのあたりで私も失礼するとしますぞ」
龍の末裔ティアベルはその鱗が露出しないように全身に布を巻くと、この町で出会った奇妙な仲間たちに一人一人頭を下げる。
「もっと君の話を聞きたかったよ」
「大佐はドラゴン大好きですもんね」
キラキラと目を光らせるジークと、彼の折れた足の代わりとして体を支えるルル。そんな二人の前にティアベルは小さな玉を差し出す。
「なんだいこれは?」
「我が一族の祈祷師が作り出した玉ですぞ。加護ではありませんので効きが遅いですが、体を作り直す手助けをしてくれるしてくれることでしょう」
大きさこそ饅頭だが、黒く生暖かく不気味なほど丸いその玉に思わず顔をしかめるルルを見てティアベルは言葉を続ける。
「ハハハ。無理もありませんな。ですが心配はありませぬ。意外と味は……」
説明の途中で何の躊躇もなくそれを飲み込んだジークを見て、ルルもティアベルも開いた口が塞がらなくなる。
「本当だ。胡麻みたいな味だね」
「それはよかったですぞ」
乾ききった鱗に汗を流しながら二人の前から足早に離れ、ティアベルはこの中で唯一自分よりも背の高い男の前で立ち止まる。
「結婚式には呼ぶからよ。それまで元気でな」
「お前まさかまだ私が拒否していることに気がついていないのか?」
熱い握手を交わすティアベルとグロモスの横で、エーデルはオルドと同じ色の髪をかき上げて頭を抱えている。しかしその顔は出会った頃とは違い、柔らかな笑みが含まれていることをティアベルは見逃さなかった。
「奇妙な出会いではありましたが、お互い生き残れたことを神に感謝しましょうぞ」
最後にティアベルが手を差し伸べたのはアインだった。
「神か。もし本当にそんな連中がいるのなら……いや、いろいろと世話になった」
リヴの目を覚まして欲しい。
そう言いかけてアインはティアベルの手を握り返すと小さく微笑んだ。
「おい、そろそろ行くぞ。日が暮れる前に南の都市にたどり着きたい」
馬車を引く馬にまたがったエーデルが声を張り上げている。グロモスは既に乗り込んでおり、ルルとジークが続く。ティアベルの玉のおかげか、ルルの助けは必要なもののジークの足取りは軽い。
「ああ。今行く」
ティアベルと反対の方向に歩き出したアインはエーデルにそう告げるが、それは彼女に向けての言葉ではない。
テーレ。
勇者アインが始まった場所。永遠に共に居ようと誓ったヨミと出会った場所。
そしてもう二度と立ち寄るつもりは無かった場所。そこにはアインが失った物の痕跡があまりにも多すぎる。二百年分の後悔が凝縮されている。
あの日止まった時計の針を動かすために。まだ失っていないものを取り戻すために。
かつて希望を抱いて旅立った勇者は、追憶を胸に再び歩き始める。
今度こそ、守り抜く。




