第百五話「海」
激動の一日が終わり、彼らの暗く沈んだ心を照らすようにまた日が昇る。
草原にはおびただしい戦闘の痕跡が残され、数え切れないほどの痛みが刻まれている。
グロモスはあの後何往復もして怪我人を運ぶほど回復し、ルル、チルッタと協力して全員バルトーレの町の病院へと運ばれた。
ただ二人、アインとアルトラを除いて。
バルトーレの町からそう遠くない海岸にはアインとアルトラが立っていた。その海岸には海を見渡せるように土が盛られた簡単な三基の墓が建てられている。
「助かったお前のおかげで思ったより早く埋葬できた」
「気にするな、あの時の礼だ」
アルトラは墓に手を合わせた後、その中心に自分の剣を突き刺して自分の黒い軍服をかける。
「あの魔族を見逃してよかったのか?」
アインの問いかけにアルトラは少し笑って首を横に振る。
アルトラが魔喰獣と化したウーにとどめを刺し、彼が感情を全て吐き出した後バートンは途端に敵意を失って踵を返す。
「待て。俺たちを放っておいていいのか?」
敵意がなくなったバートンの背中に向かって問いかけるアイン。
「我の目的は達した。愚妹が目を覚まさぬのならここに用はない」
「なら無理やりリヴを連れ帰ればいいだろう」
必要以上に挑発するアインに対して、バートンは怪訝な顔で振り返る。その視線はアインに向いた後チルッタが抱えるリヴに向けられ、リヴの顔を見ると口元を緩ませる。
「なるほど魔力欠乏症か」
「何? 何だそれは」
聞き覚えのない言葉。
周りにいる者たちの顔を見渡すも誰も答えを持ち合わせていないようにその言葉の発声者であるバートンの顔を見つめている。
「魔族と貴様ら人間の最大の違いは魔力だ。貴様らとは違い我らは生命の維持に魔力を用いている。だからこそ貴様らとは比べ物にならない寿命を有し、魔術を扱う事ができる」
指の先から雷を発生させながらそう語るバートン。
「しかし裏を返せば魔力がなければ我らは貴様ら人間と構造は大して変わらぬ」
「本当かい? 君は角も牙もあるじゃないか」
バートンの言葉に口を挟むジークだったが、慌ててルルに口を押さえられる。
「何が言いたい?」
結論が見えてこないことに苛立ちを見せるアインはバートンに詰め寄るが、バートンはアインの焦る様子を楽しむように話を続ける。
「では聞くが、百九十年生きることのできる人間は存在するか?」
「何を言って……」
バートンの言葉に困惑するアインだったが、何かを思い出したように振り返り、チルッタの抱えるリヴに駆け寄る。
「ど、どうしたんですか?」
その慌てふためくアインの様子にルルは不安になって声をかけるが、アインは無視してリヴの顔や手に触れる。
「慌てるな。おそらく愚妹は残された僅かな魔力を生命維持に回している」
リヴの体に変化がないことを確認するアインの耳にバートンの言葉が入り込み、安堵した様子で再びアインはバートンの方を向く。
「しかし本来そこまで魔力を消費する前に体力が尽きるものだが……」
「きっと、私のせいだ」
バートンの言葉を遮ったチルッタに視線が集まっていく。
「この娘の精神を奪ったのは父さんの力じゃない、私なんだ」
チルッタはリヴを抱える自らの手を睨みつけ、深く後悔するように目をつぶる。
「ほう。精神操作の加護か。なるほど、その力で愚妹の魔力管理能力を奪ったというわけだな。ならば勇者、簡単な話だ。その女を殺せ」
バートンはチルッタの力に興味を示すと、牙を覗かせながらチルッタを指差す。
その様子を見たジークとルルはチルッタを守るように彼女の彼女の前に立つが、チルッタの隣りに居るアインは口を閉ざしたままチルッタを見下ろす。
「その女を殺せば加護の効果は解除される。無論愚妹が目覚める保証はないが、より効率的に魔力の回復が見込めるであろう」
「アイン! 聞く耳を持つな!」
腕を組みながらショーを楽しむように笑うバートン。
ジークは何も答えないアインに向かって叫ぶが、アインは目をつぶるチルッタを見下ろしたまま動かない。
「……いいよ。アインにはその資格がある」
チルッタはルルを下ろすと立ち上がり、アインに背を向けて首を差し出すように髪を上げてうなじを差し出す。その手はひどく震えており、すすり泣くような声も聞こえてくる。
「アインさん! きっと他に方法があるはずです!」
「そうだよアイン! あの男の言う事が正しい保証もないじゃないか!」
ルルとジークはバートンに視線を向けたままアインに叫びかける。アインがチルッタを手に掛けることは無いと考えながらも、背中から感じる殺気は本物だ。
「一つ聞きたい」
顔に影を作りながら剣に手をかけるアイン。
「何……?」
涙交じりに答えるチルッタ。
「お前は俺たちの敵か?」
返答次第で殺す。
それだけの圧がその言葉には込められている。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。
チルッタの頭の中で何度もその言葉がこだまし、殺されたギーリの顔が脳裏に浮かぶ。
形だけでも味方だと答えれば助かるかもしれない。現にチルッタに敵意はなく、アインとリヴに接触したのも単なる偶然に過ぎない。
「わ、私は……」
その時、言葉を絞り出そうとしたチルッタの目に倒れたリヴが映り込む。
「うん、ごめんね。さよなら」
気が付くとチルッタはアインに向かって振り返り、涙交じりの笑顔でそう言っていた。
これでいい。
自分が殺されてリヴが助かる可能性があるならそれでいい。自分にできる償いはもうそれくらいしか残っていない。
「そうか。よく分かった」
死を覚悟して目をつぶるチルッタの肩を叩き、アインはリヴを拾い上げる。
「あの時の水、うまかった。それだけは言っておく」
リヴを抱えながらチルッタの前から去り、背中でそう語るアイン。直後チルッタは崩れ落ちて大声で鳴く。その様子を安堵した表情で見つめるルルとジークだったが、バートンは心底がっかりした様子でため息をつく。
「興が削がれた」
バートンはそれだけ言い残すと今度こそアインたちの前から姿を消した。
「見逃したわけじゃない。俺たちが見逃されたんだ。あのまま戦っていたらこの倍は墓がいるぞ?」
「ふ、かもな」
数日前まで殺し合っていた二人は顔を見合わせて小さく笑みを交わす。
「アイン、お前はこれからどうするんだ?」
「なんだ急に」
海を見渡しながら問いかけるアルトラの隣に立ち、アインもまたどこまでも広がる海に言葉を返す。
「俺は軍を辞める!」
海に向かって大声で叫ぶアルトラ。
そこに未練は無く、ただただ深い悲しみだけが海に吸い込まれていく。
叫び終えたアルトラは息を切らしながらもすっきりとした顔立ちになり、額に掛かった汗がキラキラと輝いている。
「故郷に帰るよ。もう何もない場所だけど、また一から作り直すさ」
「そうか……」
そう言うとアルトラはアインの前から去っていく。
「故郷……か」
背中越しに手を振るその姿を見送りながら、アインは小さく呟く。
二百年。
彼が世界から隔離されたその時間は決して短くない。
だからこそアインは自らの故郷を意図的に避けていた。
ヨミと自分が生まれ育った場所。きっともうそこには二人の痕跡など何もないだろう。そもそもまだ存在しているかも不明だ。
もし跡形もなく消え去っていれば本当に自分は世界で一人になってしまう、そんな気がしてならない。それはもう一度仲間と呼べる存在に出会った今も変わらない。
「なんのために俺は生きているんだろうな。いや、俺はとっくの昔に死んでいるんだ。なぁ、そうだろう、ヨミ」
海に問いかけても答えは返ってこない。
ただ今は、そのさざ波が心地良い。
こうしている間は生きていることも死んでいることも忘れられる。
「わかってるさ。まだやることはある」
誰に告げるでもなくアインは海に向かってそう吐き捨てる。
日の光を背中に浴びて、仲間たちの居るバルトーレの町へと歩き出した。
今回のお話で第四章「灰哭編」は終了です。
色々ありましたが無事完結できてホッとしています。
次回の更新から第五章に突入しますが、更新はしばらくお休みします。
ですが必ず完結させますので最後までお付き合いよろしくお願いします。




